東武練馬駅 その4

2017-06-09 16:50:59 | 日記

徳丸の北野神社。学問の神を祀っています。参道の途中に生活道路が横切ります。田遊びの神事を毎年行っています。赤塚の諏訪神社の田遊びと対。目の東武練馬駅と耳の下赤塚駅の陰線の繋がりです。
地下鉄6号の三田線は顔部の鼻骨。地に現れて高架を走ります。髑髏の頭蓋骨には穴があります。その眼窩。耳の穴の繋がりがこちらです。耳鼻咽喉の骨の伝えです。
単体の徳丸北野神社は眼窩。眼底の視神経。指針、始審、私信。私心の始めです。拝殿本殿から見ると左側に余裕がある造り。

目の前には三つの摂社と天神の牛が右側を陣取ります。右の有る無しを産む有無に蝸牛「かぎゅう」「かたつむり」の牛頭を配置。左側は実感の「在る」を感じます。右側は有無の不確かを感じます。
三つの摂社と牛頭で米神。五穀豊穣の願い。産めや増やせや。紙幣主義だと工場の向上心。掛け合わせて新種や新商品を出します。

江戸時代や明治時代。その当時、海外に出れるのはよほどのエリートでないと無理でした。マイカーは貴族(華族)や大企業の一部の物でした。車は一家に一台以上持ち。パソコンや携帯を持ち。学生旅行で海外にも行けます。その世界観で充分を知りませんか?。
循環紙幣社会。個人個人がお役目を知ります。働かない世界観ではなく。みんなが天職を得ます。転職の転がり回っても落ちつく底が天職になります。

参道の左側に出羽の石碑。三山の散々。サンサンの燦々。潸々は涙を流す。珊々は下げた玉がなる音。美しい音色。恋する熱視線の三三で耳。生活道路で途切れたアイコンタクトも神経玉を透しました。視神経の私信も通すのよ





東武練馬駅 その3

2017-06-09 10:06:10 | 日記

昆虫公園の小屋は緑台になりました。印は頭の天井を透したのよ。虚構自然から球根を受けた右胸のベンチ。滑り台が梯子。降りた先は横隔膜です。

トイレが下「しも」で霜。雨、天、贏(あま)は「かつ」「もうける」意味となります。亡+口=クチナシ。腦の蛇の口無し。腦で制御したい下部の貝部(かいぶ)。「こがい」の戸外。小貝。蚕養を自製。処女膜も精子精液も包める膜です。

天地。転置を結ぶ階段は背中。頭蓋骨から背骨。大腿と足先まで骨「ほね」「こつ」の圣を透しました。もと住んでいたアパートが右側の盲腸の対面。過去に溜めた金縛りの艮の移しです。

昆虫公園から徳石公園。特石の法律に繋がります。石油は湧き出る油(ゆ)で秞。柚子。香り立ちです。目は口ほどの物を伝えます。香りもその一つ。目脂で眵。天然樹脂のヤニ。光沢剤。画材。接着剤。塗料に使われます。自身の脂。腴。膩。臊。
喿、貳(に)、叟(そう)「やせる」も制限できる物です。メヤニが溜まって溢れ出てくる訳ではありません。目脂なのだから体から分離しても、何一つの恨にならないのです。喿は喧しい。騒々しい。印は目障り。耳障り。香りを嗅ぐ。合う合わないは接触する前に判りますね。キにならない距離を保つ事ができます。

昆虫公園~徳石公園までが、目に艮が溜まる。メニコンのコンタクトレンズ。虫眼鏡ですね。視力が弱くなる。循環紙幣社会だと死力が落ちるなんてないのよ。百の精子精液を出し切って死ぬ世界観は眠るように死にます。精も根も尽き果てるの言葉はそのままの意味なんよ。


東武練馬駅 その2

2017-06-09 07:51:48 | 日記

真っ直ぐな階段が昆虫公園。人は腦と同じくらいに目に艮を溜めます。美醜。勉強の「こん」を詰めるのも目から入ります。

昆虫公園は三層。一段目は水場とトイレ。二段目にベンチ。三段目に緑台。そして階段の頂上になります。

公園内に一人。日当たりもよく緑台に寝っ転がります。二十歳の時、目の前に住んでいたのに、ベランダを出ると昆虫公園だったのに。何一つ思い出にかすりません。入院退院してから昆虫公園のことを知ったのです。
循環紙幣社会で人間像の金縛りが解けると。重石やオリや艮の8割9割が軽くなります。その人が死んで、血肉を虚構自然にお返し。土葬すると、地中の虫が還してくれます。艮の抜けた人間像を食べた昆虫は昆を溜めないのよ。虫は無視になります。雑木林が虫の新しい世界観になって弱肉強食のお厄も払えるようになります。個人に帰るのは臓器話。腹話術の意思のやり取りです。

この緑台のあった場所に小屋が立っていました。中には昆虫採集の標本が飾られていました。学問のため。夏休みの自由研究のため。コレクション欲のために背中を針で刺します。その返しを人間像は受けています。女性が潮を吹いたといって男が喜びます。おしっこも破水も潮吹きも下に垂れ流す因果をかけています。おりものです。
人は背中で塩を吹きます。スポーツのいい汗かいた。絶頂感の潮を吹いた。大きなくびれがウエストの腰です。自在性を失っているのは人間像の背中に大きな杭が刺さっているからなんよ。

二段目。ベンチの前に滑り台があります。

ベンチの椅子で奇子(キス)。お尻の穴のキスです。ベンチは便血。虚構に返した屎尿の尸(声)。球根が三つと石ころ。求婚の聶。虚構自然が新しい求婚の結びなおしを表してくれたのよ。



東武練馬駅

2017-06-09 06:09:56 | 日記
東武練馬駅08は足うら印の目(瞳)です。レンタルサイクルで巡ります。08木星の本体が目。伸ばした視線の先が支線で枝葉。木星衛星です。東武練馬駅は私個人にとって思い出の地です。北町(川越街道側)には恋人が住んでいた団地。徳丸地区には水商売のボーイでお友達と同居していたアパートがあります。

練馬線233。23は愛知県。愛を知る県(あがた)で鼎。三つ足の器が鼎(かなえ)。線や入れ物を認識する陰陽の線路の通し。下赤塚駅は09の地獄耳。結びの自在性。目は口ほどに物を言う、目利きの目聴きに穴が空いているのよ。

42号踏切。長崎県42の原爆。九州竜の後頭部に開けた穴が原爆。目頭の穴がこちら。恋は盲目の盲。地獄耳にとっての幻聴。土星9番の原腸に繋がります。目頭にとっての幻視。幻肢。原糸。幺(糸)を自製しますので幻覚も程。保土。解を知るのね。

坂道を下ると徳丸三丁目に入ります。老人施設ですが祭の垂れ幕が掛かっています。印は老人の「もうろく」耄。毟。芼(はびこる)。毛の下支えも重石が軽くなります。現れは目蓋の裏側の映像。思い起こし。良い悪い思い出の妄想に囚われないのよ。

短い緑道。録や彔。タイトルが「下駄」の幼児像が立ちます。いわゆる下駄を履かせる。高く吊り上げる。大きく見せる。

重い思いのオリが軽くなります。幼=幻。糸(幺)や毛は、神の化。毛細血管の枝葉の伸びも自制。今の色彩に充分を知ると、その中の色彩を自在できるようになります。新色の浸食も落ち着くのです。