徳丸の北野神社。学問の神を祀っています。参道の途中に生活道路が横切ります。田遊びの神事を毎年行っています。赤塚の諏訪神社の田遊びと対。目の東武練馬駅と耳の下赤塚駅の陰線の繋がりです。
地下鉄6号の三田線は顔部の鼻骨。地に現れて高架を走ります。髑髏の頭蓋骨には穴があります。その眼窩。耳の穴の繋がりがこちらです。耳鼻咽喉の骨の伝えです。
単体の徳丸北野神社は眼窩。眼底の視神経。指針、始審、私信。私心の始めです。拝殿本殿から見ると左側に余裕がある造り。
目の前には三つの摂社と天神の牛が右側を陣取ります。右の有る無しを産む有無に蝸牛「かぎゅう」「かたつむり」の牛頭を配置。左側は実感の「在る」を感じます。右側は有無の不確かを感じます。
三つの摂社と牛頭で米神。五穀豊穣の願い。産めや増やせや。紙幣主義だと工場の向上心。掛け合わせて新種や新商品を出します。
江戸時代や明治時代。その当時、海外に出れるのはよほどのエリートでないと無理でした。マイカーは貴族(華族)や大企業の一部の物でした。車は一家に一台以上持ち。パソコンや携帯を持ち。学生旅行で海外にも行けます。その世界観で充分を知りませんか?。
循環紙幣社会。個人個人がお役目を知ります。働かない世界観ではなく。みんなが天職を得ます。転職の転がり回っても落ちつく底が天職になります。
参道の左側に出羽の石碑。三山の散々。サンサンの燦々。潸々は涙を流す。珊々は下げた玉がなる音。美しい音色。恋する熱視線の三三で耳。生活道路で途切れたアイコンタクトも神経玉を透しました。視神経の私信も通すのよ