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心が動いた事を気ままに…RAINがいつでもここに…

インタビュー記事…その2

2009-12-23 21:46:51 | 日記

引き続き気になるインタビューなどをピックアップします。

 Rain カルチェでファンミの時の受け答えですが、正直な気持ちが出ているような気がします。

ピ、「キム・シンヨンの「Rainism」のパロディ、僕もやりたい」
ピが「Rainism」のパロディに対する考えを公開した。
17日午後3時、清譚洞のカルチェの売り場で、ハイカットの読者70名を含む100人余のファン達との「クリスマスに雨が降れば」というタイトルのファンミーティングが盛大に行なわれた。チョ・ヨング氏の司会で行なわれた。
  
 

今回のイベントでピは、「Rainism」のいい加減なパロディーが気に食わなくないですか?という質問に、「パロディをされるという事はそれだけ人気が有って話題になってるという意味です。僕をパロディしてくださる事自体ありがたいし、楽しく見ています」と明らかにした。

引き続き「最もパロディが上手だなと思うのは誰でしょうか」と質問すると、ピはすぐに「キム・シンヨン」と答えた。
キム・シンヨンのRainismパロディを見てひっくり返りました。僕もその歌詞で歌いたいほどです」と伝えた。

彼の話に、チョ・ヨングは即席でダンスと歌をお願いした。
ピは「ステージで」と逃れ、ファン達は「Your My Lady」を求めた。
ピは「カラオケは歌詞がないと。歌詞が分からない」と言って拒んだが、準備の良いあるファンが、歌詞のプリントがあると渡した。

これにピは「もうファンミーティングしない。カラオケの機械もないし…。この歌はキーが高い」と言った。
キーを低くして歌えば良い」とファンが言うと「嫌だ。僕にあれしろこれしろって言わないように。感情を落ち着かせてるのにあれこれ言わせないでよ」とブツブツ言って座を笑わせた。

  

100人余のVIPファン達が招待された中には、LA、日本などの海外ファンも多数参加して目を引いた。
このイベントにピは、ブラックスーツに白いトップをマッチさせ、さっぱりした服装で登場した。

彼は「韓国ファン達に会うための席で、年末になる前に挨拶したくて参加することになった」と挨拶した。「香港コンサートの時に、香港の有名スター達もピを見るためにチケットを直接購入するほど、全世界的にたくさん愛されていることをどう思うか」と言う質問にピは「本当にこのようにたくさん愛されていいの?とも思うし、時には無感覚な時も有る」とワールドスターの余裕を見せた。

ピの挨拶が終わった後、彼のハリウッド初主演映画「Ninja Assassin」に関連した映像を視聴し、ハイカット読者達との○×質問タイム、10人のファン達とのスペシャルフォトタイム等、1時間半にわたるファンミーティングの間、ファン達は拍手と歓声でピに喜んだ。

歌手ピ、「MBLAQは僕の最初で最後の作品」
歌手ピが、自分が育てたグループMBLAQについて「僕の最初で最後のプロデューシング」とドッキリ発言した。

彼は「おそらく僕がプロデュースするのは、彼らが最初で最後になると思う。僕はただ、彼らに希望を見せてあげたかった。僕が踊って歌いたかった時、お金がなくてそうできなかった事がある。今、彼らがまさにそうで、助けてあげただけ」と明らかにした。

引き続き「僕が行く道もまだまだ遠い。俳優としてもっと生まれ変わらなくてはならないし。歌手として歌ももっとうまくなるよう努力しなくてはならない。僕の行く道もまだまだあるのに、今、誰かを教えてる場合か?と思う」と言って、MBLAQが自身の最初で最後の作品であることを強調した。

彼は「MBLAQが上手く行って、直接他の子達をプロデュースする事が出来るようになるかもしれないし」と希望を表した。

彼は最後に「ひとまず僕は、今この子達に集中したいし、また、僕に集中したい」と自らの成長について大きな欲を見せた。
だがすぐに「でも分からない。いつ気持ちが変わるかも」といって、他のプロデュースの可能性も残した。

ピ、「理想のタイプは年上のアタック女性」
ピは「先に告白する女性が良い」と言って、「僕はとても優しい男」と座を爆笑させた。

彼は「愛する仲で、どちらが先に告白するかは重要ではない。好きになったら終わりだと思う」と伝えた。

引き続き「年下より年上がいいと思う。年下は今まで一度も付き合ったことがない。高校の時、僕を捨てた人も年上だったし、歌手になる前付き合った人は同じ年だった。以前は10歳年上もOKだったけど、今はおよそ1,2歳くらいの差がちょうどいいと思う」と伝えた。

結婚については「今年も良いし、来年でも良い。早く結婚したい。今は僕がやりたい仕事が、結婚したとしても支障をきたす事ではなくなったと思うので、彼女ができたら、海外にたくさん行き来するだけ一緒に行ってあちこち見せてあげたい」と細やかな姿を見せた。

また「結婚して(奥さんを)連れて歩いたらコンサートのチケットが半分しか売れなくなるかな」と冗談を言ったりした。

ピ、「Ninja Assassin」を24時間ずっとやめたかった
ピが「Ninja Assassin」の撮影当時、24時間、ずっと辞めたいと思っていたと告白した。

ピは「映画を撮りながら、やめたいと思った事は有るか」という質問に、
あまりにも辛くて、一日中、そう思っていた。24時間、何でこんな事しちゃったのかなと思っていた。逃げたいと思ったというよりも、次からアクションはやめなくちゃと思った」と話した。

引き続き、代役をほとんど使わずに撮影に臨んだ理由も打ち明けた。

僕には音楽活動、俳優生活をしながら、ひとつのルールがある。それは『真正性(本物である事)』だ。実際ハリウッド俳優達は危険なシーンはスタントマンを使う場合が結構ある。だが結局そうではない俳優達の方が成功している。一度運動を習っておけば、次も使う事ができそうなので、代役を使わなかった。たくさん学ぶ事ができた経験だった」と伝えた。

「怪我した事はなかったか?馬鹿みたいに一生懸命したのではないですか」という問いに
車を飛び越えるシーンで、タイミングが合わなくて当たった事があります。痛いとは思わなかったけど、部屋に帰ってみたら大きなあざができていて、ちょっと辛かった。でも幸い良い結果が出て幸せです」と答えた。

興行成績については
観客数が100万を越えてよかったと思います。映画の等級が19歳以上観覧可だったから。『キルビル』もそうでしたが、我が国では19歳以上観覧可の海外映画で観客数が数百万になるケースはほとんどなかった。映画が全世界的に上手く行ったようで感謝しています。タイミングが良かったと思います」と伝えた。

 仕事の事は本当に充実感がみなぎっています。
「Your My Lady」歌ってほしかったですよね。
そして女性からの告白の方がいいみたいですね~。

 

これは「ぴあ」でのインタビューの内容を少しだけ…。

抜粋ですが…
時折、RAINはこう語る「何をしたかではなく、何を考えたかが重要」。
頑固たる戦略的マインド…。
常に考え抜いての結果だという事…ただ本人はそれを語らない。

そして、語らない事は時として誤解や歪曲した解釈が生まれることがある…。
だから彼は結果を残すことにこだわる…。
それだけが彼のエンターティナーとしての価値である…と表現しています。
Rainの頭の中で考えている事は想像でしかわからないのです。

 今年も本当に誠心誠意仕事に邁進してきたと思うRain、結果は本人も納得いくものだったと思います。
来年の仕事を考えるとき、ジフニの中ではもうすでに来年は始まっていますね。
健康でまたすばらしい姿を見せてくれる事を心から期待しています。

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インタビュー記事…その1

2009-12-23 10:26:42 | 日記

今年も休むことなく仕事したRainの印象深いインタビューをのせておこうと思いました。

インタビューに答える事によって見えてくる…
彼の仕事に関する姿勢やプライベートな事に関する考えなどを少し残しておきたいと思いました。

 映画の完成に伴って行われた記者会見で語った事ですね。

Rain(ピ)主演ハリウッドブロックバスター『ニンジャ・アサシン』アジア記者会見
俳優兼歌手Rain(ピ)(チョン・ジフン)はハリウッド主演作を完成させるまで、苦労をどのように耐えたのだろうか。 Rain(ピ)は9日午前11時、ソウル中区小公洞ロッテホテルで開かれた映画『ニンジャ・アサシン』アジアジャンケット記者会見で、韓国内をはじめとして台湾、香港、インド、シンガポールなどからのアジア取材陣の取材に応じた。
この席でRain(ピ)は、撮影中に大変だったときはどのように耐えたかという質問に、

大変なときは韓国に帰りたかった。熱心にコンサートもしてドラマも撮って、韓国で映画も撮りたかった」、「8ヶ月間“なぜ私がこのように生きなければならないのか”と何回も自分に問いかけた」と語った。

Rain(ピ)はまたハードなスケジュール、激しい訓練で苦しかったとき、自身を奮い起こしたのは
ファンとの約束自尊心アンチそしてだったと語った。

Rain(ピ)は「
最初はファンとの約束だった
」、「4年前にファンに、最高のチームと世界市場に出すことができる作品を作るという約束をしたので、それを守りたかった」と回顧した。 Rain(ピ)が明らかにした2番目原動力自尊心だった。Rain(ピ)は「周囲のスタッフたちが私を怒らせた」、「もし私が100kgアレイを持ち上げると“根性がない”、“私たちはこんなのは容易い”、“マット・デイモンやブラッド・ピットも教えたが、君が一番下手なようだ”と継続して怒らせるので毒気ができた」と裏話を打ち明けた。
続いて厳しい訓練に歯をくいしばって耐えた3番目の理由は、
アンチファンと自身に対する非難記事のためだった。Rain(ピ)は「私に対する真実ではない歪曲された記事と、アンチファンの文をわざわざスクラップしておいた」、「朝、起きるとすぐにその文を見て、何かを見せてやりたいと考えた。失敗しても言葉だけではなく、実体を見せなければならない。義務だという気がした
」と説明した。
そして最後はやはり
だった。Rain(ピ)は午前7時から始めて午後10時まで続く撮影と苛酷な訓練のスケジュールを消化して、亡くなったお母さんを思い出したという。
Rain(ピ)は「母は明け方5時から一日中仕事をして、毎日午前1~2時に床に就いた。十数年間、私と妹のために働いた母と家族を思い出した」、「これくらい耐えられなければハングリーでなくなってしまったと考え、また初期のハングリーだった頃に帰らなければならないと考えて動機づけをした」と語った。
彼は引き続き「初めは米国人に会っても、アジア人の成功の可能性は10%だと見ていたが、今は私のそばのウォシャウスキーとジョエル・シルバーを見て、他の人たちまで私に注目しはじめた」、「私の人生の絶好のチャンスは(パク)ジニョン兄に会ったことと、ウォシャウスキー兄弟に会ったことで、彼らから『忍者アサシン』の出演依頼を受けた。この機会を生かすことができなければだめだと思った」と付け加えた。

最後にRain(ピ)は「今のこの状況自体に価値があり、絶対に怠けることができなかった」、「いつかボックスオフィス1位になる日のために最善を尽くす」と覚悟を語った。

26日に封切られる『ニンジャ・アサシン』は、Rain(ピ)のハリウッド初の主演作で、彼は映画の中で幼い頃の友人を殺した忍者暗殺組織に、復讐のために立ち向かう雷蔵役を演じた。

 ファンとの約束と言ってくれるのは嬉しいですね。
写真はカン・ドンウォン主演映画『田禹治』ソウルVIP試写会に参加した時のものです。


 
 

 最近のインタビューで語った事です。

ワールドスターとして飛躍したRain
早朝から夕刻まで続いた撮影の後でのインタビューも、Rain(ピ)は疲れた顔も見せず、覇気のある声で歓迎のあいさつをくれた。最初の質問をする前から、「早く恋人を作って、結婚したい」などと軽口もたたく。自信がみなぎっているように感じられるのは、ことし、それだけ良い成果を収めたという証しだろう。

ことしはワールドツアー米国公演の白紙化で巻き込まれた法廷での争いを終え、2年ぶりにアジアツアーを再開した。今月末には3年ぶり3回目の米国ソロコンサートを開催する。育てたアイドルグループをデビューさせ、11月には初のハリウッド主演映画『ニンジャ・アサシン』が封切られて俳優としての足場を固めた。米メディアも彼の活躍を取り上げた。
毎年休むことなく話題を作り出していくRainだが、ことしは「人生を学んだ年」だったという。真心からの周囲の助言を受け入れる判断力を身につけた年、Rainという名前で生きる上で強く信じてきた自分に対する基準ラインが根本から壊された年だったとも語った。

そのせいで精神的な健康を崩したこともあったし、大きな希望も持ちました。ぼくには10年周期で変化が訪れるんです。1989年に暮らしが貧しくなり、1999年に母が亡くなり、2009年は訴訟という悪材料があったけど、年末には映画封切りなど良いことがありました。人生はまったく、マラソンのようですね」。



2年間の紛争に終止符を打ち、8月の日本を皮切りに韓国、香港、インドネシアなどを回ったツアー<レジェンド・オブ・レイニズム>は、感慨もひとしおだったことだろう。

ステージの大切さはいつも感じていましたが、準備ができれば上がり、また下りてくればいいものだと思っていました。でも今では、ぼくのために動いてくれる人たちの苦労を考えられるようになった。ステージに上がるということが、最近はとにかくありがたくて幸せなんです」。

『ニンジャ・アサシン』の封切り後、2002年にファーストアルバムを出したばかりのころのような、新人の気持ちに戻れたというRain。デビュー8年目を迎えた今も、常に心をデビュー当時の原点に戻すことを忘れない。

Rainを育てたプロデューサーのパク・チニョンは数年前、ニューヨークのタイムズスクエアに立ち、「5年後、Rainの顔をここに掲げてみせる」と語ったが、映画の宣伝ポスターが、この言葉を現実にした。『ニンジャ・アサシン』は当初目標を達成する好調をみせ、同日封切り作品6本中で興行成績1位、封切り1週目の興行成績は6位という成績を収めた。Rainは「ジャブを飛ばしたというところ。カウンターパンチも準備しないと」と、満足げだ。
 
その後、ハリウッドから「良い提案」が相次ぎ、作品選びに悩まされているという。主演という欲はなく、有名俳優が出演する大作に助演クラスででも出演したい。今は配役の限界があるが、いつか乗り越えられる瞬間が来るはずだと話す。最近、ジャッキー・チェンに会った際には、「自分は40代でハリウッドに行ったが、君はそれより20年早い。5年後を見据えなさい」とアドバイスされたと紹介した。

一方で、来年は韓国でドラマに出演したいという抱負もある。アジアのファンは映画よりドラマを望んでいるし、彼自身も韓日、韓中合作ドラマでもいいので人間臭さが感じられるドラマをやりたいという。また、音楽活動については、映画を選択するとワールドワイドアルバムはあきらめざるを得ないのが現状だが、デジタルシングルでファンサービスをしたいと考えている。同じ曲を韓国語、中国語、日本語など、多国語でリリースする計画だと明かした。

来年の抱負を語っているうち、ふと、自分はどこまで行くのだろうかという問いが浮かんだというRain。”ワールドスター”という修飾語はプレッシャーではなく、そこに近付こうという努力の結果、夢と意欲が生じるのだとも話した。これからは「言葉だけではなく、何かを見せないと」。米国での商業的な成功より、むしろ、現地のファンが自発的にファンクラブを作ってくれたとことのほうが励みになる。アジアスタイルのファンミーティングを、アメリカでも試してみたい。自分の道を進まなくては、という彼に、芸能界の国家代表だと考えているか尋ねてみた。

米国誌はインタビューの際、南北問題などさまざまな分野で韓国について調べた上で、彼に話を聞きに来るのだという。自分のことをきっかけに、彼らが韓国を知っていくということが、不思議な感じだったというが、自分のせいで韓国、ひいてはアジアが悪く言われることがあるかもしれないという責任感は、すでに背負っていると答えた。

貧しさと母親の死を乗り越えた彼のサクセス・ストーリーは注目の的だ。後々、自分の人生を映画化してみてはという話もあったという。体がさびついてしまう前に、ダンス映画を撮りたいという夢も聞かせてくれた。
最後に挙げた「希望事項」は、家庭。いつも「結婚準備ができている男」だという彼が描く家庭は、スターらしからぬ素朴なものだった。
週末には電話の電源を切って、子どもたちと弁当を持って遊びに行くような家庭がいい。ぼくの夢は、良いお父さんなんです。貧しくて、家族を愛する時間も持てませんでしたから。歳を取ったら小さなコンサートホールで公演し、映画やドラマは助演で出られればいい。100日働いて、残りの時間は家族に忠誠を尽くすんです」。

 写真は香港でコンサートの時インタビューを受けているものです。
いい笑顔ですね。

来年は、映画、ドラマ、アルバムと期待できますね~。
という訳ですがかなり文字量も多くなってしまったので、またその2をあげたいと思っています。

コメント (2)
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