Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてⅢ

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印が趣味です。
生きた証として好き勝手に書いております。(笑)

郡山城跡 お城まつり(2019年4月7日観桜)

2019年05月03日 | 旅行・その他
郡山城の本丸跡に鎮座する柳澤神社を参拝後、
桜を楽しむことにしよう。



所在地:奈良県大和郡山市城内町2
築城主:筒井順慶
築城年:天正8年(1580)
城主:筒井氏、豊臣氏、水野氏、柳沢氏
廃城年:明治6年(1873)


【歴史】



【城址会館】


明治41年(1908)奈良県立図書館として、
興福寺境内に建立されたもの。


【内堀】



【追手門櫓】



【展望台】


展望台の石垣には、
逆さ地蔵があるのだが完全に見逃していた。


【風景】












展望台から見た城内。

最高です。(^^

さて、城址会館の方へ行ってみよう。


【本殿】


展望台の階段から見た柳澤神社の本殿。


【石塔】



【桜】





【内堀】


桜が最高の状態です。(^^


【山高神代桜の実生子桜】





【石垣】


去年の台風の影響でしょうか。

工事中でした。


【休憩処】


私の大好物の建物の前で抹茶はオツなものです。

しかし、私の家族は全く興味無し。(^^;)

家族間での多数決で無念のスルー。(泣)


【追手向櫓】







【桜】





【多聞櫓】


この中ではお土産モノが売っていました。


【城址会館】



【追手門】






明治6年(1873)に明治政府により破却されましたが、
築城400年を記念して昭和55年(1980)に復元されたもの。

廃仏稀釈令と共に明治政府の愚行は万死に値する。

マジで最悪ですね。(怒)


【追手向櫓】







【桜】





【内堀】








素晴らしい。

歴史好きで社寺建築好きなのに、
何故かお城はあんまり興味が無いのよね。(^^;

だけどやはり桜は偉大です。

郡山城跡の桜のチカラによって楽しめました。

興福寺(2019年1月6日参拝)

2019年02月07日 | 神仏霊場巡拝の道
本日最後の参拝となるのが興福寺です。

前回、中金堂落慶法要に参加した時は、
ちゃんと中金堂に入れなかったので、
今日は何がなんでも入ったる。(笑)


<2018年10月7日参拝>
https://blog.goo.ne.jp/051006250510/e/cac30f9be42d4d12ef5173ad1f45ddd9



所在地:奈良県奈良市登大路町48
宗派:法相宗
御本尊:釈迦如来
創建:天智天皇8年(669)
開基:藤原不比等
札所:西国三十三所観音霊場、西国薬師四十九霊場、神仏霊場巡拝の道



【奈良春日野国際フォーラム】


ここから見る若草山と奈良春日野国際フォーラムの風景がいい。

ただし、鹿のフンが多いので御注意を。(苦笑)


【五重塔】


国宝。

もう見飽きるほど見てます。(笑)


【中金堂】


拝観料500円を支払って柵の中へ。






早速堂内に入ってみると、
実にあっさりとした雰囲気。

罰当たりかも知れないが、
この中金堂の堂内に決定的に足りないものがある。

それは歴史の重み、渋さ、重厚かつ荘厳な雰囲気です。

デキたてのホヤホヤだから、
それを求めるのは無理なのは承知しているが、
やっぱり新しい伽藍は軽くて威厳を感じない。

この中金堂もあと数百年も経てば、
間違い無く威厳が出てくるんでしょうけど。


堂内は撮影禁止でした。


【五重塔・東金堂】



【境内】



【北円堂】



【南円堂】


西国札所なので参拝は外せません。


【三重塔】


国宝。

場所が分かり難くて皆さん見逃してますが、
興福寺には国宝の三重塔があります。






小ぶりながら優美な搭です。

さすが国宝ですね。


【南円堂】



【猿沢の池】


さて、昼飯を食いに行こう。


【麺闘庵】


いつもお昼時になると行列が出来ている人気店ですが、
今日は1組だけが待っていたので入ってみることにした。


【板野友美】


いろんな芸能人が来ているようですね。

しかし板野友美ってこんな顔でしたっけ?(^^;


【巾着きつねうどん】


これが有りそうで無かった巾着きつねうどんです。

出汁は色が濃いな。
関東風なのかな。

うどんはこの巾着の中に入っていますので、
破ってみましょう。




出た!

これはやっぱり面白いな。(^^

うどんは腰のある四国風と柔らかい大阪風の真ん中ぐらい、
出汁は普通の味でしたね。

私の好みは喉越しを楽しむ柔らかいうどんが好きですけど、
まぁまぁ美味しかったです。

この巾着うどんは味よりもアイデアによる勝利でしょうね。


【天丼】


こちらは海老が3匹乗ってるシンプルなもの。

味は普通。

セットで2千円オーバー。

ちょっと高いかなという印象。

次に入店するならカレーうどんにするかな。


【御朱印】


4体の中で今回は中金堂をいただきました。

東福寺 其の一(2018年12月1日参拝)

2018年12月29日 | 仏閣
善峯寺と大原野神社の紅葉を見て、
私の中で紅葉を愛でたい心が沸騰。

これはもう京都の超有名寺院に行くしかないと決心。

超有名寺院といえば東福寺か永観堂。

しかし、紅葉の時期の東福寺と永観堂は皆さんご存知の通り大混雑。

今日は大混雑を覚悟して東福寺に行くことにした。

ちょっとでも観光客が少ない早朝を狙って、
朝8時に近くの有料駐車場に停めて東福寺へ。


<2010年11月27日参拝>
https://blog.goo.ne.jp/05100625/e/584582ecbcbc1ae372aa57e3099bdeff

<2013年11月30日参拝>
https://blog.goo.ne.jp/05100625/e/0e62ac71f8037c66f5e56ebc30dbc015



所在地:京都府京都市東山区本町十五丁目778番地
宗派:臨済宗東福寺派
御本尊:釈迦如来
創建:嘉禎2年(1236)
開基:九条道家


【紅葉】






月下門へ向かう途中に見えた紅葉。

ここは相変わらず素晴らしい紅葉を楽しませてくれます。


【栗棘庵・京料理 高澤】




東福寺塔頭栗棘庵の中にある高澤というお店で、
美味しい京料理が11月中は食べれるそうです。


【明暗寺】





【紅葉】


臥雲橋から通天橋を望む紅葉。

東福寺屈指の撮影ポイントの一つです。






臥雲橋を過ぎて通天橋へ行く参道の途中でも紅葉が楽しめます。


【境内】



8時15分に到着すると既に拝観待ちの人々の列。

200人ぐらい並んでるとか凄過ぎ。(^^;


【禅堂】







【鐘楼堂・経蔵】


8時半になったので拝観開始。

幾ら長蛇の列だったとしても、
拝観時間が前倒しすることはありませんでした。

その点は規律の厳しい禅寺だけありますね。(^^;


【紅葉】








やはり興福寺の紅葉は素晴らしい。









【経蔵】






早朝の段階だとまだゆっくりと、
この紅葉を堪能出来ます。

やっぱり間違っても昼ぐらいに行ったらアカンな。(^^;




落葉の絨緞も美しい。






まだまだ紅葉を堪能しますよ。

というか、まだ序盤です。

既に序盤で満足している私がいる。(^^












ふぅ、もうお腹いっぱいです。

さすが東福寺の紅葉ですね。


【洗玉澗】






この辺りの雰囲気がとても良い。


さて、長くなりましたので続きはま明日。

金剛寺(2018年10月8日参拝)

2018年10月28日 | 洛陽四十八願所巡り
昨日は興福寺で法要に参加させていただき大満足。

今日は浄土宗寺院大公開に参加している金剛寺というお寺へ向かう。

近くに青蓮院門跡や粟田神社といった有名寺社が近くにあり、
金剛寺は三条通り沿いにあるということで、
近隣の有料駐車場に車を停めてお寺を探す。

しかし地味なお寺のようで、
お寺の前を気づかずに通り過ぎるという。(^^;

おかしいなと思いつつ、
道を戻ると発見した次第。(笑)



所在地:京都市東山区三条通白川橋東入五軒町124
宗派:浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:天平年間
開基:行基菩薩
札所:洛陽四十八願所巡り


【縁起】
当寺は山号を一切経山とする浄土宗の寺院である。

奈良時代、天平年間に行基菩薩が東岩倉山の一切経谷に創建した、
阿弥陀堂に起源を持ち上の堂とも称した。  

伝えでは行基菩薩は丈六の阿弥陀如来像を彫ったとされる。

応仁の乱で東岩倉山一帯は戦場となり当寺は荒廃したが、
焼けた御堂から首だけになった阿弥陀如来像を信者たちが見つけだし、
それを粟田の地に遷し、仮堂(粟田惣堂)を建て蔣を敷き、
その上に阿弥陀如来の頭部像を祀ったところから、
今も蹴上には小物座町という地名が残る。

以降、地元の住民たちによって御堂は守られ信仰されてきたが、
慶長7年(1602)に岌然上人が青蓮院門跡の許可を得て、
現在の地に堂を移し寺を再興した。 

正徳3年(1713)に御本尊が修復、
享保15年(1730)には本堂が建立され現在に至る。

また当寺は洛陽四十八願所巡りの第二十七番の札所であり、
慶長年間の頃から朱印に行基菩薩御作出陣の弥陀安置という印を捺している。  


【山門】


山門を見てもやはり小さなお寺のようです。

金剛寺のFACEBOOKを見ると、
1台分の拝観用駐車場があるということだが、
確かに山門奥に軽自動車が停まっているのが見える。

境内に停めてるのはお寺関係者(住職)の自動車だろうし、
あの狭い境内が駐車場では無いと思う。

ましてやあの狭い山門を普通自動車がくぐるのは厳しいわ。(^^;

どこかに駐車場を確保してるんでしょうね。


【境内】


意外と大きい本堂と庫裏です。

もっと狭い境内で小さな本堂かと思ってた。


【観音堂】





【地蔵菩薩】



【本堂】


本堂に上がらせていただくと、
御本尊が余りに立派で驚いた。


【出陣の弥陀】






これほどとは。

行儀菩薩作の真贋を問うのはナンセンスだと思う程、
素晴らしい御本尊がお出迎えです。

感動です。

過去にもこのような経験がありましたが、
無名な幾つものお寺に丈六の御本尊がいらっしゃる。

さすが京都と言わざるを得ない。


【諸仏】






脇壇には何体もの仏様や高僧が安置されていました。


【善導大師・法然上人】





【屏風】



【掛軸】








龍虎図。




六字名号。


【庭園】



【木魚念仏】


御住職と共に木魚を叩いて般若心経を唱えた。

今まで木魚は本堂で一回ポンと叩いたことはありますが、
ここまでガッツリ叩いたのは初めてで、
とても良い経験をさせてもらいました。(^^


【出陣の弥陀】




最後に御本尊を見納め。

またお会いしたいものです。


【御朱印】


書置き対応のみでした。

興福寺 中金堂落慶法要(2018年10月7日参拝)

2018年10月27日 | 仏閣


ある日、興福寺からこのような内容の往復ハガキが届いた。

興福寺の中心伽藍となる中金堂落慶法要の参加の有無の連絡。

興福寺は生まれてから毎年参拝してるけど、
関係者に知り合いは居ないし、ビッグマネーを寄進している訳でも無い。

うーん、何でやろ?

デジタルのHDでは無くアナログのフロッピーディスク並みの、
私の記憶力を辿ると、中金堂の瓦を寄進したことを思い出した。

あの瓦は千円と超リーズナブルな値段で瓦を寄進出来たんよね。

その時に名前と住所を寄進帳に書いたわ。

数年前の事だったからすっかり忘れていたよ。(^^;

それにしても、たった千円で法要に参加させてくれるとは、
興福寺も太っ腹ですね。(^^

まぁ、大勢の方に参加してもらった方が華やかだからね。


【中金堂】


そんな訳で受付を済ませ会場入り。

私のような瓦寄進者の他に、茶道、華道の関係者、
その他いろいろな方々が参加されているようです。

10時に始まり導師や式衆が入場。

導師の中に一人だけ白人が居て驚いた。








屋根にある鴟尾の除幕。

外観から判断すると東大寺の大仏殿に該当するのが、
この中金堂なんだろうね。




屋根から散華が撒かれていましたが、
私の席までは届かず。(泣)

大型モニターを見ると五重塔からも撒かれている。




画像はネットで拾ったものですが、
めちゃくちゃ羨ましい。

五重塔に登れるのは大変貴重な経験ですから。






続いて観世流シテ方の浅見真州師による「翁」が舞われました。

「翁」は天下泰平、国土安穏を祈る儀礼曲。

シテ方とは能楽における演者集団とのこと。

現在、能のシテ方には五つの流儀(観世、金春、宝生、金剛、喜多)があり、
喜多流以外の四流は能の大成以前からあった猿楽座の一つである、
大和猿楽四座の名残です。

それぞれ600年以上の歴史があります。


【献華】


次期家元である池坊専好尼による献華。


【献茶】






献華と同時に武者小路千家15代家元後嗣である千宗屋による献茶。

その後、東大寺長老の唄匿、興福寺多川貫首の再建落慶奉告分、
東大寺狭川別当の慶讃文、文化庁の祝辞、舞楽、読経、回向文、
多川貫首のご挨拶と続く。

最後は近鉄の社長やら国会議員の高市早苗等が焼香して終了。

ここまでみっちり2時間かかりましたが、
全く苦痛ではありませんでした。

このような歴史的な法要の初日に参加出来て光栄です。


【中金堂】


法要が終了すると中金堂の中に入れるとのこと。

さすがに今日は無理だろうと思っていたから、
これは嬉しい誤算です。(^^




しかし一斉に中金堂に殺到するもんだから大渋滞。

しかも中金堂に入る手前の階段が結構急だから危なかったよ。


【釈迦如来】




中金堂御本尊の釈迦如来です。

堂内は案外サッパリとした感じで、
薬師寺の金堂のような雰囲気でしたね。


【五重塔・東金堂】



【散華】


お土産でいただきました。


【パンフレット】


写真付きで充実したもので、
こちらも無料でいただきました。


これにて本日の落慶法要全て終了。

301年振りに再建された中金堂は興福寺の中心となる伽藍です。

興福寺は五重塔や阿修羅像は余りにも有名ですが、
中心伽藍は存在していませんでした。

南円堂や東金堂では中心伽藍には成りえて無かったですから。

あとは山門があれば完璧なんですけどね。


御朱印は余りの行列に断念。

次回参拝した時は中金堂の御朱印をいただくことにしよう。

泉橋寺(2018年10月6日参拝)

2018年10月23日 | 仏閣
浄土宗寺院大公開のお寺を求めて木津川市へ移動。

今年は木津川市の4ヶ寺のお寺が参加されていて、
まずは泉橋寺というお寺へ。

当然ながら初めての参拝となり、
ネットで調べても余り情報が無いお寺です。

お寺の場所は木津川沿いの堤防の近くにあり、
ちょっと分かりづらかったが何とか到着。


所在地:京都府木津川市山城町上狛西下55
宗派:浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:不明
開基:行基菩薩


【縁起】



【地蔵菩薩】


お寺の前には大きな地蔵菩薩坐像が見えます。

これを見たら泉橋寺より先に参拝するのは至極当然です。

ちなみに泉橋寺には駐車場がありませんので、
地蔵菩薩が祀られている場所の前に停めさせていただいた。

有料駐車場なんか全くありませんから。(^^;






デカいです。

4メートル58センチもあるそうで、
恐らく日本一の大きさの石仏の地蔵菩薩だとか。


【古地図】


第11代征夷大将軍徳川家斉が将軍になった天明7年(1787)に
発行された拾遺都名所図会に泉橋寺と地蔵石仏が描かれています。

これほど大きいお地蔵様は珍しいので、
もっと有名であっても不思議は無いんだけどねぇ。


【狛犬】




近年に建て直されたものと見られるお堂の中に、
これまたよく分からんものが安置されていました。


【表門】


もとは春日大社の若宮社の拝殿のもので、
元禄2年(1689)興福寺の子院である知足坊の門になり、
やがて知足坊の廃絶に伴い、約200年後の明治7年(1874)、
檀家の寄付により門を貰い受け、知足坊の僧数人と共に再建されたもの。


【境内】



【十三重石塔】



【本堂】


浄土宗寺院大公開に参加しているにも関わらず、
公開しているのは境内だけ。

本堂は堂内に入れないとしても、
参加する限りは本堂を開けるべきだと思う。


【観音堂】



【五輪塔】


光明皇后の御遺髪を御祀りにする為に建立されたと伝えられているが、
平重衡の南都攻めの犠牲者とされる多くの遺骨が発掘され、
これはその犠牲者達の供養塔であったとされます。


【御朱印】

阿波國分寺(2018年5月1日参拝)

2018年06月21日 | 四国八十八ヶ所霊場
十四番札所常楽寺から約1キロの近くにあるのが、
十五番札所阿波國分寺です。

これだけ近いと歩きお遍路の方々にとって、
ご褒美みたいな距離ですね。

10数台分の無料駐車場がありました。



所在地:徳島県徳島市国府町矢野718-1
宗派:曹洞宗
御本尊:薬師如来
創建:不明
開基:(伝)行基菩薩
札所:四国八十八ヶ所霊場


【縁起】
阿波國分寺には聖武天皇から釈迦如来の尊像と大般若経が納められ、
本堂には光明皇后のご位牌厨子を奉祀されたと伝えられている。

開基は行基菩薩で自ら薬師如来を彫造し御本尊としている。

創建当初は奈良の法隆寺や薬師寺、興福寺と同じ法相宗であり、
ここに金堂を中心に七重塔も建つ壮大な七堂伽藍が整っていた。

この寺域からは塔の礎石などが発掘されており、
徳島県の史跡に指定されている。

弘法大師が弘仁年間(810-8
24)に四国霊場の開創のため巡教された際に、宗派を真言宗に改めている。

その後、天正の兵火によって灰燼に帰しており、
境内は相当に衰微していた。

寛保元年(1741)に阿波藩郡奉行、速水角五郎によって、
伽藍が再建されて以来、現在の禅宗・曹洞宗寺院となっている。


【山門】


堂々たる山門です。


【境内】


あー、本堂は絶賛工事中かぁ。


【本堂】


仕方ないとはいえ残念。


【七重塔心礎】





【地蔵堂】



【大師堂】


ありがたや ありがたや。


【仮本堂】



【鳥瑟沙摩明王堂】



【秋葉大権現・白山大権現】



【御朱印】


他に本堂裏手に名勝庭園である見事な石庭があったようだけど、
拝観料が必要だし、京都と違って大したことないと思って回避。

しかし、それは間違いであった。

ネットで見るとそれはそれは豪快な石庭。

見ればよかったと後悔したが、
本堂が絶賛工事中だったので、
庭園の良さは半減していたかも知れない。

神宮寺(2018年5月1日参拝)

2018年06月17日 | 四国三十三観音霊場
日本で神仏習合思想に基づいて、
神社に隣接して建立されたお寺が神宮寺と呼ばれる。

春日大社の神宮寺が興福寺のように、
本来の寺号とは違った名前のお寺のことです。

上一宮大粟神社にも隣接する神宮寺があり、
そのお寺の名前がズバリ神宮寺です。

神宮寺は四国三十三観音霊場の札所なんですが、
四国はお遍路が余りにも有名過ぎて、
三十三観音霊場があるとは知りませんでした。

何でも平成2年に設立された新しい霊場会で、
中国、四国、九州の観音霊場からなる百八観音霊場でもあります。


所在地:徳島県名西郡神山町神領字上角438
宗派:高野山真言宗
御本尊:文殊菩薩
創建:神亀5年(728)
開基:行基菩薩
札所:四国三十三観音霊場


【縁起】
当山は聖武天皇、上一宮大粟神社を崇敬の余り勅令を以て、
神亀5年3月、行基菩薩をして創建せしめた勅願寺である。

歴代阿波藩主の尊崇厚き祈祷所として、
初代家政公、四代光隆公の帰依浅からず、
寺領並びに定紋を寺紋として賜り神事には騎馬二頭祭日には神馬を供せられて、
永く鎮守代神の別当であった。

開山以来数度、堂宇を焼失するもその都度、
再興され幾星霜法燈耀として輝き今日に至る。

境内には大師堂、瑜伽大権現、天神社、愛宕社、弁財天を安置す。

大師堂内には弘法大師上一宮大粟神社尊像並びに八幡神社尊像、
その他二体はいづれも神仏習合分離以前、
それぞれ両社に祀られていたものである。

瑜伽大権現は紛失物の祈願をすれば速やかに発見される
霊験あらたかな権現で知られ参詣者が絶えない。


【鐘楼堂】


上一宮大粟神社と神宮寺には明確な境界線が無く、
この鐘楼堂はちょうど真ん中にあって、
どっちの所有なのか分かり難い。

まぁ、隣にお寺があるので、
鐘楼堂は神宮寺のでいいでしょう。


【瑜伽大権現】


上一宮大粟神社を紹介するブログの方々は、
瑜伽大権現を神社の境内社として紹介していますが、
神宮寺の縁起に瑜伽大権現が記載されているので、
神宮寺の境内社でしょう。


【境内】


この辺りから神宮寺の境内ということがハッキリします。


【境内社】


天神社と愛宕社と思われます。




弁財天。


【大師堂】





【ぼけ観音菩薩】



【十三佛】



【本堂】




現在の本堂は弘法大師1150年御遠忌を迎うるにあたり、
檀信徒の浄財に依り改築、昭和58年3月18日に落慶法要したもの。


【寺号標】


門柱があるだけで山門はありませんでした。

下にあった神門がかつての山門だったのかも知れませんね。


【御朱印】


セルフで押印しました。




バインダー形式の書置きでした。

耕三寺 其の二(2018年3月11日参拝)

2018年04月24日 | 仏閣
耕三寺は広くて見所が沢山あります。

まだまだ続きますよ~。


【孝養門】






日光東照宮陽明門を模倣したものですが、
文部省に1組だけあった図面を苦心の末に入手し、
10年の歳月をかけて忠実に再現したそうです。




近くでみるとその細かい浮彫、組物表面に施した宝相華と、
繧繝彩色は見事としか言いようがないです。

第二次大戦後の建築である為、登録有形文化財の登録対象外。

戦後だと対象外になるとは知りませんでしたね。

それにしても、
これほどの建築物を個人で造るとは。

一体幾らかかったんでしょうね。(^^;


【龍図】



【如意輪観世音菩薩】



【千手観世音菩薩】



【十一面観世音菩薩】



【聖観音菩薩】



【本堂】


宇治平等院鳳凰堂が原型。






只今、色の塗り直し中のようです。




肝心の内陣は入れないようです。

残念。


【東翼廊】


左右の翼廊はそれぞれ中に入れるようです。

先ずは向かって左側へ。


【阿弥陀如来】


こんな所に重文の阿弥陀如来がいらっしゃるとは。

しかも、興福寺から買い取ったものとか。

いや~びっくりしました。


【至心殿】





【西翼楼】




これはデカイ。




下からみるとようやく見えました。

不空羂索観音のようですね。


【天井画】



【境内】



【石仏】



【千仏洞地獄峡】




ここが入口らしい。

行くしかないでしょ。






洞窟っぽくてワクワクする。(^^




地蔵菩薩というより年老いた人の良さそうな老僧のようです。








ここは地獄を表現しているようです。








地獄観・極楽観が表現されていました。






この辺りからやたらと石仏が多くなる。




餓鬼のような子供を抱いた石仏です。

こういう石仏は初めて見ました。






圧巻です。

見る人によっては怖さを感じるかも知れない。




六角堂です。

ここが最後となり、
外に出ると高さ15メートルの救世観音がお出迎え。

あー、ここが出口だったのね。


【五重塔】




室生寺五重塔を模したもの。


【孝養門】


ここから見る孝養門もいいですね。


【法宝蔵】





【僧宝蔵】






中はこのような展示室になっています。












なかなか素晴らしい焼き物が展示されており、
焼き物好きとして見れて良かったです。


【礼拝堂】


礼拝堂まで戻ってきました。


【紅梅】




これにて全ての主要伽藍の拝観終了。

以前はあった御朱印は確認したところ無くなったとのこと。


最後は御母堂様の為に建設した潮聲閣を拝観しますが、
続きはまた明日。

願昭寺(2018年1月13日参拝)

2018年02月11日 | 仏閣
今年の冬は例年以上にマジで寒い。

寒い時は神社仏閣巡りも億劫になりがち。

近場の奈良市内、京都市内の神社仏閣も、
いろいろ参拝しまくったお陰で、
ここに参拝したいというのが減ってきた。

かと言って遠くへ行って見知らぬ神社仏閣を、
ガッツリ参拝する気力もない。(^^;

でもちょっとは参拝したい。

分かります?この気持ち。(笑)

こういう時は軽く参拝したいので、
以前から気になっていた大阪の富田林市にある願昭寺へ行く事にした。

ここは八宗兼学真修教という知らない宗派の大本山であり、
戦後に開山された新興宗教のお寺です。

新興宗教といえば危ないとか、
排他的なイメージがありますが、
大阪で唯一の木造の五重塔が見たいので参拝です。

それにネットで調べる限り願昭寺は、
悪いイメージは無いみたいなので。



所在地:大阪府富田林市伏見堂953
宗派:八宗兼学真修教
御本尊:目白不動
創建:昭和30年(1955)
開山:願昭大和上・浄心大法尼


【境内】


登りの参道を車で走ると広い境内と、
五重塔がある願昭寺に到着。

車は境内に停めることが出来ました。
勿論無料です。


【烏枢沙摩明王】


トイレも綺麗でした。(^^


【五重塔・鐘楼堂】


見事な美しい五重塔とデカい鐘楼堂です。

二年前ぐらいに通称外環の国道170号を走っていると、
五重塔が見えていたから存在は知っていたんですよね。


【鐘楼堂】




重さ12トンもあるという。


【五重塔】


平成23年(2011)に建立されたもので、
大阪で唯一の木造の五重塔です。

そういや大阪には四天王寺の五重塔がありますが、
木造では無くコンクリート製でしたね。

木造だったら最上階まで行けないもんな。


【石段】


上に行くと何かありそうです。


【石仏】





【五重塔】


ここから見る五重塔もまた良い。(^^

色がとても鮮やかです。

京都の東寺や奈良の興福寺の五重塔も、
建立当時はこのような鮮やかな塔だったんでしょうね。


【八大龍王社】



【白龍大明神】



【修行大師】


八宗兼学真修教は真言宗系なんですね。


【金剛力士】




お寺には山門が無いと思っていたら、
こういうことだったのね。

まずは金剛力士ありきなんでしょうけど、
これほど巨大なものに見合う山門は、
資金面の問題でまだ建立出来ないと思われますね。

それでもこの立派な金剛力士を造立するには何年もかかるし、
何百万円の単位では無理です。


【本堂】


本堂のようですが巨大なものです。


【境内】



【本堂】




実際に行ってみると予想以上の大きさ。

伽藍好きはたまりませんね。

早速参拝。


【風神雷神】


外陣には色が着けられていない風神雷神が目に入る。

見事な造りです。

それにしても回りの囲いは何の意味があるのだろうか。


【釈迦如来】


チベット系らしい風貌のお釈迦様ですね。


【アンコールワット石仏群】


十二世紀のものらしく、見る限りガネーシャでしょうか。


【馬頭観音菩薩】


とても厳しく威厳のあるお顔をされていました。


外陣と内陣は仕切られ、内陣には入れませんでしたが、
ガラス越しに御本尊が拝めました。

内陣は絢爛豪華ですが、御本尊の不動明王は威厳は無く、
面白いお顔をされていました。(^^;


【四大聖地お砂踏み場】


外陣は本堂を一周出来るようになっています。







【手水舎】





【護摩堂】


護摩堂には見えない白いお堂ですが、
扉は開いておりませんでした。


【本堂・護摩堂】



【不動明王】



【子安地蔵尊】



【鳥居】




寒いけどこれを見たら登るしかないでしょ。(^^




さぁ、頑張っていきまっしょい。


【足手荒神】





【弘法大師】





【鳥居】



【社殿】


緋袍大明神が祀られている高台に到着。

うぅ~寒過ぎる。(泣)


【生目八幡大明神】


社殿が三社あるようです。


【緋袍大明神】



【目白不動明王】



【風景】




展望台から見た境内。

本堂がいかに巨大か分かりますよね。




PLの塔もここから見れます。

この展望台は見晴らし良好なんですが、
さすがにこの時期は寒過ぎてつらい。(^^;

早々に下に下りたのは言うまでもない。


【開山堂】




寺務所裏手を回ると開山堂があった。

岸元知事が書かれた扁額がありました。


【氷】


水も凍るほどの寒さです。

朝から夕方までガッツリ参拝してたら風邪ひくわ。(^^;


【御朱印】


「土曜日は古寺を歩こう。」様のブログを見ると、
ケンモホロロに断られていたので、
半分諦め&特攻の気持ちで挑んだら、
寺務所で無事にいただけました。(^^

http://blog.goo.ne.jp/mrslim2/e/1a460b02fef336f6e3e99cf81756a34f


【感想】
文化庁のHPで確認してみると、
八宗兼学真修教の信者数は25590人、本山末寺は10ヵ寺ほど。

決して大きな規模の宗教法人では無いにも関わらず、
これほどの伽藍を揃えているとは。

信者さん達はかなり頑張ったんでしょうね。(^^


お寺は普通の雰囲気で、
新興宗教にありがちな排他的な雰囲気はありませんでした。

拝観料も不要ですので、お気楽に参拝されてもよろしいかと。

現光寺(2017年11月11日参拝)

2018年01月17日 | 京都南山城古寺の会
本日のメインである現光寺へ。

こちらは普段は無住で海住山寺が管理しているお寺です。

現光寺の珍しい重文の十一面観音坐像が仏像マニアに有名で、
一度は拝仏したいと願うものです。

しかし、この仏様が安置されている収蔵庫を開けていただくには、
予約が必要かつ15名以上で無いと無理なんです。

この15名というのが余りにもハードルが高くて、
拝観したくても出来ないという涙無くして語れない状況だったんです。

それが何と今回の京都非公開文化財特別公開で、
あの現光寺の名があるじゃないか。

これを見た時は目を疑ったね。

あの現光寺が参加するのかと。

今回逃がすといつ参拝出来るか分かりませんからね。
とても貴重です。

本日、念願の参拝となりました。


【薬師寺】








大きな臨時駐車場から線路を超えた場所に、
薬師寺というお寺を発見。

サクッと参拝して現光寺へ急ぐ。








地元民しか通らないような道を徒歩で進む。

拝観者は車では通れませんでした。




臨時の無料駐車場から徒歩5分程で到着。



所在地:京都府木津川市加茂町北山ノ上9
宗派:真言宗智山派
御本尊:十一面観音菩薩
創建:不明
開山:不明
札所:京都南山城古寺の会



【境内】


いきなり大行列が見えたのでびっくりした。

ツアーの団体さんもいたよ。

いや~、これほど人気があるとは。
現光寺をナメてましたね。(^^;

参拝客の皆さんもお目が高いですね~。(^^


私も拝観料を支払い列に並ぶ。

寒いし待ち時間が長い。

30分程待ってようやく収蔵庫の中へ。


【収蔵庫】


昔は村民が小さなお堂でずっと守ってきたが、
重文に指定されてからは収蔵庫で安置されるようになったが、
老朽化したので現在の収蔵庫は二代目です。

収蔵庫の中は狭く十数名がすし詰め状態で拝観。

おっちゃんのボランティアガイドさんによる説明あり。


【御本尊】

(画像をネットで拾ったもの。)

とにかく美しい。

まさに美仏としか言いようが無い。

さすが重要文化財です。

左右後ろには普段は奈良国立博物館に寄託されている
四天王も一時的に里帰り。


この素晴らしい御本尊は明治時代の頃には、
荒廃した小さな草庵に祀られていたとか。

今では考えられないことだけど、
廃仏稀釈の時とか仏教寺院が破壊されまくった時代もあり、
こんな扱いを受けた仏像も多い。

現存する国宝や重文の仏像は篤く守られてきたものもあれば、
吹きさらしの無住の荒れたお堂に忘れ去られた仏像もあった。

あの興福寺の五重塔ですら格安で売却されそうになったほど。

今は重文の仏像でも当時だったら二束三文で買えたはず。

私の御先祖さんにもし伝えることが出来るのなら、
有り金ハタいてでも、これらの仏像を買って子孫に残せと言いたい。(^^


【本堂】




収蔵庫で念願の仏様を拝んだ後は境内散策です。

昔はこちらに御本尊が祀られていたそうですが、
今は何も祀られていません。

雨漏りや床が抜ける等痛みが激しくなり、
この本堂で御本尊は安置してはならないという、
お偉い文化庁のお達しがあり、
周辺の住民の浄財により収蔵庫が建設されたとか。

本来なら海住山寺や京都国立博物館に寄託されるのが普通ですが、
御本尊を守っていきたいという地元住民の方々によって、
収蔵庫を建設してまで、今も守っていらっしゃいます。


本堂の修繕は管理している海住山寺がしたそうです。


【境内】





【紅葉】



【石灯篭】



【鐘楼堂】


鐘楼はありませんでした。


【土蔵】



【御朱印】


書置きのみでした。