続いて松坂駅から徒歩10分ほどにある龍泉寺へ。
駐車場はあるのですが、
ここが駐車場かなと思って停めると近くの飲食店の駐車場で、
お寺の駐車場が見当たらず僕は途方に暮れる。
でも、ご安心ください。
分かり難いですが車は境内に停めれました。
所在地:三重県松阪市愛宕町1-4
宗派:高野山真言宗
御本尊:愛宕大権現
創建:聖武天皇御代
勅願:聖武天皇
開山:行基菩薩
札所:三重四国八十八か所霊場、伊勢乃国七福神巡り
【縁起】
竜泉寺は愛宕山と呼ばれ、愛宕市や当地方の人々によく親しまれている寺院である。
境内は愛宕権現本殿、愛染堂、稲荷社、行者堂、不動堂などがある。
寺伝では聖武天皇が行基菩薩に勅し、
一志郡中郷村滝野川に一宇を建てたのが始まりという。
御本尊は火防の霊神愛宕大権現は弘仁年中(810~824)弘法大師が、
愛染明王と共に刻まれた尊像と伝えられている。
御本地を勝軍地蔵尊と称し、甲冑を着け、白馬にまたがり法旗と宝剣を持ち、
隆昌安住の三味を往する神像といわれ秘仏である。
この頃は多気国司の信仰厚く、寺領の寄進もあり寺連は隆盛であったという。
その後周辺の戦火の影響をうけ、永禄11年(1568)松ヶ島平尾村に移る。
天正9年(1581)に至り、松ヶ島城が松坂城に移り替えの際、現在地に移建された。
時の住職良宗上人は正親町天皇勅願所の勅許を賜った。
このとき上福院と号することになった。
以来松坂城主蒲生氏郷はじめ代々城主の信仰厚く、
とくに三代目古田重勝は深く信仰を寄せられた。
【鳥居】
ここはお寺ですが山門の手前に赤い鳥居。
神仏習合の神号である愛宕大権現が祀られているから当然ですね。
8年ぐらい前の写真を見ると山門と並んでいたので、
いつの間にか鳥居を移動したようです。
【山門】
松ヶ島城裏門であったのを天正16年(1588)蒲生氏郷が寄進したもので、
松阪市最古の木造建築物だそうです。
山門の下は通れませんでした。
【境内】
結構殺風景な境内です。
【石段】
【狛犬】
【境内社】
【宝篋印塔】
【石塔】
【愛宕権現殿】
本堂・本殿にあたります。
【地蔵尊】
【法華塔】
【境内社】
【愛染堂】
【瀧川稲荷大明神】
【狛狐】
【御朱印】
四体あります。
御住職がご不在で書置きをいただきましたが、
ヨレヨレでした。(^^;
駐車場はあるのですが、
ここが駐車場かなと思って停めると近くの飲食店の駐車場で、
お寺の駐車場が見当たらず僕は途方に暮れる。
でも、ご安心ください。
分かり難いですが車は境内に停めれました。
所在地:三重県松阪市愛宕町1-4
宗派:高野山真言宗
御本尊:愛宕大権現
創建:聖武天皇御代
勅願:聖武天皇
開山:行基菩薩
札所:三重四国八十八か所霊場、伊勢乃国七福神巡り
【縁起】
竜泉寺は愛宕山と呼ばれ、愛宕市や当地方の人々によく親しまれている寺院である。
境内は愛宕権現本殿、愛染堂、稲荷社、行者堂、不動堂などがある。
寺伝では聖武天皇が行基菩薩に勅し、
一志郡中郷村滝野川に一宇を建てたのが始まりという。
御本尊は火防の霊神愛宕大権現は弘仁年中(810~824)弘法大師が、
愛染明王と共に刻まれた尊像と伝えられている。
御本地を勝軍地蔵尊と称し、甲冑を着け、白馬にまたがり法旗と宝剣を持ち、
隆昌安住の三味を往する神像といわれ秘仏である。
この頃は多気国司の信仰厚く、寺領の寄進もあり寺連は隆盛であったという。
その後周辺の戦火の影響をうけ、永禄11年(1568)松ヶ島平尾村に移る。
天正9年(1581)に至り、松ヶ島城が松坂城に移り替えの際、現在地に移建された。
時の住職良宗上人は正親町天皇勅願所の勅許を賜った。
このとき上福院と号することになった。
以来松坂城主蒲生氏郷はじめ代々城主の信仰厚く、
とくに三代目古田重勝は深く信仰を寄せられた。
【鳥居】
ここはお寺ですが山門の手前に赤い鳥居。
神仏習合の神号である愛宕大権現が祀られているから当然ですね。
8年ぐらい前の写真を見ると山門と並んでいたので、
いつの間にか鳥居を移動したようです。
【山門】
松ヶ島城裏門であったのを天正16年(1588)蒲生氏郷が寄進したもので、
松阪市最古の木造建築物だそうです。
山門の下は通れませんでした。
【境内】
結構殺風景な境内です。
【石段】
【狛犬】
【境内社】
【宝篋印塔】
【石塔】
【愛宕権現殿】
本堂・本殿にあたります。
【地蔵尊】
【法華塔】
【境内社】
【愛染堂】
【瀧川稲荷大明神】
【狛狐】
【御朱印】
四体あります。
御住職がご不在で書置きをいただきましたが、
ヨレヨレでした。(^^;