Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてⅢ

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印が趣味です。
生きた証として好き勝手に書いております。(笑)

天龍寺(2020年5月30日参拝)

2020年10月02日 | 神仏霊場巡拝の道
続いて普段は中国人や日本人の観光客でごった返す天龍寺へ。

天龍寺は何回も参拝してるし、
清水寺同様、観光客の多さに辟易していたけど、
コロナによる緊急事態宣言が明け、
ガラガラ確実な天龍寺で静かに心を癒そうとやって来た次第。

車は天龍寺の有料駐車場に一日千円で停めれます。


<2011年11月30日参拝>
https://blog.goo.ne.jp/05100625/e/b9b872bcc680bebbb4cfab9cf1e580ae


所在地:京都府京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町68
宗派:臨済宗天龍寺派
御本尊:釈迦如来
創建年 康永4年(1345)
開基:足利尊氏
開山:夢窓疎石
札所:神仏霊場巡拝の道


【縁起】


足利尊氏が後醍醐天皇の菩提を弔う為、
大覚寺統の離宮であった亀山殿を寺に改めたのが天龍寺である。

足利尊氏は後醍醐天皇の始めた建武の新政に反発して
天皇に反旗をひるがえした人物であり、
対する天皇は尊氏追討の命を出している。
いわば「かたき」である後醍醐天皇の崩御に際して、
その菩提を弔う寺院の建立を尊氏に強く勧めたのは、
当時、武家からも尊崇を受けていた禅僧・夢窓疎石であった。

寺号は当初は年号をとって「暦応資聖禅寺」と称する予定であったが、
尊氏の弟・足利直義が、寺の南の大堰川(保津川)に金龍の舞う夢を見たことから
「天龍資聖禅寺」と改めたという。
寺の建設資金調達の為、天龍寺船という貿易船(寺社造営料唐船)が
仕立てられたことは著名である。
落慶供養は後醍醐天皇七回忌の康永4年(1345)に行われた。


【法堂】


元治元年(1864)の兵火にて焼失、その後明治になり、
江戸後期建立の雲居庵禅堂(選佛場)を移築されたもの。

法堂には日本画家加山又造画伯の雲龍図が天井にあり、
拝観料500円で見れますが、一回見たら良いかなという感じ。

申し訳無いが狩野派絵師の雲龍図は凄いなと逆に思いました。(^^;


【鎮守社】



【庫裏】


明治32年(1899)に建立されたもので、
拝観入口となります。


【大方丈】





【小方丈】



【曹源池庭園】














予想通り人がほとんどいません。
こんな天龍寺は初めてです。

とても静かで庭園を眺めていると本当に心が落ち着く。
座禅したいぐらい。(笑)

天龍寺の価値は静寂の中にあることを認識しました。
わざわざこの時期に来た甲斐がありますわ。


【蹲】



【庭園】





【廊下】



【花頭窓】



【甘雨亭】



【多宝殿】






後醍醐天皇の尊像を祀られていました。


【鐘楼】





【曹源池庭園】













【大方丈】



【更紗楊櫓木】







【大方丈】





【中門】









【庭園】


これにて天龍寺の参拝終了。

天龍寺と龍安寺は人が居ない時に参拝するに限る。

人が多過ぎて見えなかったものが、
人がいないことによってお寺の良さが見えてくる。


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