Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてⅢ

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印が趣味です。
生きた証として好き勝手に書いております。(笑)

聖衆来迎寺(2017年12月10日参拝)

2018年02月01日 | びわ湖百八霊場
坂元の律院から少し離れた大津市へ移動。

森蘭丸の父である森可成の墓がある
聖衆来迎寺というお寺に到着。

こちらは事前予約すれば本堂の拝観が出来るということで、
一週間ぐらい前に電話したのですが、
冬場は拝観を受け付けていないとのこと。

本堂が閉まってるお寺は参拝し甲斐が無いので、
今回は華麗にスルーしようかと思ったが、
とりあえず寄ってみた。


所在地:滋賀県大津市比叡辻2-4-17
宗派:天台宗
御本尊:阿弥陀如来、釈迦如来、薬師如来三尊
創建:延暦9年(790)
開基:伝教大師最澄
開山:恵心僧都源信
札所:びわ湖108霊場会、湖国十一面観音霊場


【縁起】
延暦9年(790)伝教大師最澄がこの地に地蔵菩薩を祀る寺を建て、
地蔵教院と称したのが聖衆来迎寺の起源であるという。

しかし地蔵教院についてはこの寺伝以外に史料はなく、
宗祖を開基に仮託した伝承の域を出ないものと思われる。

その後長保3年(1001)恵心僧都源信がこの寺に入り、
念仏道場として再興したという。

源信が紫の雲に乗った阿弥陀如来と二十五菩薩が、
現れるのを見たところから、紫雲山聖衆来迎寺と名付けたとされる。

元亀2年(1571)織田信長の比叡山焼き討ちに際して、
当時の聖衆来迎寺住職は仏像、仏具などを船に乗せて、
琵琶湖の対岸の兵主大社へ避難させた。

比叡山の諸堂や山麓の坂本の町も焼き尽くされたにも関わらず、
聖衆来迎寺は焼き討ちを免れ、その為多くの文化財が現代まで伝わっている。

聖衆来迎寺が織田信長の焼き討ちを免れたのは、
信長の家臣森可成の墓所がこの寺にあった為という。

天正元年(1573)京都にあった後醍醐天皇の勅願寺元応寺の御本尊が、
聖衆来迎寺に移され、天正17年(1589)には、
元応寺が正式に聖衆来迎寺に合併された。


【参道】


20台は停めれる無料駐車場がありました。


【表門】


坂本城から移築されたもので、
明智光秀坂本舊城門だそうです。

滋賀県内では最古の城門の遺構で重要文化財。


【境内】



【大玄関】



【本堂】


寛文5年(1665)に建立されたもの。

釈迦如来と共に重要文化財。


本堂や客殿は8月16日の虫干し会の際に拝観出来るので、
その時に訪れると良いでしょうね。


【鐘楼堂】



【開山堂】


寛永15年頃(1638)建立されたもの。
重要文化財。


【石仏】





【庭園】



【客殿】


寛永16年(1639)に建立されたもの。
重要文化財。


【鎮守社】



【御朱印】


こちらは観光寺院ではありません等が書いてありました。

まぁ、観光寺院では無いのは見たら分かります。(笑)




バインダー形式の書置きをいただきました。


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