案内板によると白光大神石切奥の院の更に上に、
石切奥之院金剛寺があるとか。
しんどそうだったから止めておこうかと思ったが、
行けなければ後悔しそうだったので、
余り気は乗らなかったが行ってみることに。
所在地:大阪府東大阪市山手町1983-4
宗派:単立
御本尊:辨才天
創建:明治時代後期
開山:諦真大僧正
【縁起】
当山は明治時代後期、諦真大僧正の開山に始まります。
開基諦真大僧正は深い観音信仰により霊感を授かり、
石切山の山中において当地、当滝を感得したのです。
黒い雲に乗った辨才天神が現れ、この石切の地を行場とし、
この世の不浄を清め、万民豊楽の為、誠を尽くせとの御霊示があり、
この瀧を辨天瀧と称したのです。
また当山には開基以前より神武天皇腰掛け石と言い伝わる石があり、
これはその昔、神武天皇が日本国を統一せんが為、港より討伐に向かわれし際、
その戦いが思うに任せず、石に腰掛けて思案の末、
東(太陽)に向かって矢を放ってはならぬと、この地を下り、東側に回られた。
その言い伝えにより当山に名神武堂と称し、
今も本堂南側に神武堂遥拝所としてお奉りしております。
時に昭和57年8月、豪雨のもたらした水害により、
瀧場の上より多量の土砂が境内にまで流れこみ、
参道の木々はなぎ倒され修復の見込みが立たず、やむなく閉山となり、
十二年の月日が流れ、本堂の屋根は破れ、床は腐り、
当山は荒れ果てたのでした。
平成6年7月天地観世音菩薩の御霊示により、
当地を訪れた仏子覚道僧正は復興を決意、
天地観音信徒の絶大なる協力の元、平成6年11月成満、
明治時代より百余年に渡る当山の法灯を絶やす事なく、
当山は蘇ったのです。
【参道】
杖が用意されている。
思いっきり嫌な予感しかしない。(^^;
とりあえず杖を持って進む。
日蓮宗の大安寺があるみたい。
まだ昼の15時ぐらいなのに何とも薄暗い。
上は墓地があるようだ。
【大安寺】
どうやら廃寺になったか移転したようです。
そりゃこんな辺鄙な場所にお寺があって、
墓地もここにあれば、墓参りもきついよね。
妙見堂。
【石碑】
【案内板】
案内板も何だか怪しく感じてきた。(^^;
あと8分。
このままUターンして帰りたくなるのを我慢。
【鳥居】
怪しい雰囲気がどんどん増していく参道です。
こんな参道は初めてかも知れない。
【案内板】
日曜、祝日、毎月28日は開山。
今日は日曜日・・・
いつもなら開山していてラッキーと思うところだが、
今日は閉山してほしかったな。(^^;
私が行こうとしている奥之院は下の上石切町にある、
金剛寺石切観音院が管理しているようですね。
【鳥居】
荒れてるけど何とか修復している感じ。
【参道】
ようやく到着。
距離はそんなに大したことは無いけど、
雰囲気が薄暗くて疲れた。
【門】
開いてました。(^^;
ここで閉まっていれば言い訳が出来たのにな。
正直、この時点では金剛寺の情報が何も無く、
得体の知らない宗教施設と感じていた。
恐る恐る入ってみた。
【境内】
【悪因縁切水掛け観音】
【石仏】
【とげ抜き地蔵尊】
【日吉大神】
【鳥居】
【石仏】
【悪因縁切】
【奥之院本堂】
堂内は神社っぽい感じですね。
【境内】
本堂の奥にあるであろう辨天瀧は、
お寺関係者が居たので先に進みませんでした。
うん、勝手に入って怒られるんじゃないかと思って、
ビビッてました。(^^;
そういう訳で、
そーっと気付かれず帰りました。(^^;
御朱印?
野暮な事を聞いてはいけません。(笑)