gooブログはじめました!

あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

スマホにはない世界 生も死も触れて感じる

2022-01-31 18:13:00 | 日記

福島のサッカー仲間から「小雪が舞っています」とメールが届きました。夕方はまた冷えてきて厚手のカーデーガンを羽織ります。北京オリンピックのニュースは雪と氷なのでちょっとごめんなさいという感じです。それにしても、コロナだけでなく世界はウクライナや北朝鮮の問題と危険な情勢を感じます。コロナ対策も7月の選挙含みで対策も動いているという人もいます。命がけで医療現場で働いている人もいるのに、どうしてそんな薄っぺらい政治なのだろうかと思うのです。

今朝の朝ドラでは、私の育ったころの風景がありました。朝のラジオ体操のカード、線香花火、縁日の金魚すくいやヨーヨーや射的など懐かしいです。この頃、生物的なことにたくさん興味を持たせてくれた祖父のことを思い出します。もちろん、祖父は私が生物を好きになるように縁日などに連れて行ってくれたわけではないでしょうが。「金魚は梅雨前に買うといいんだ。梅雨を過ぎると死んでしまうことが多い」と祖父は教えてくれました。それが不思議と今も残っています。都会でしたので、鈴虫やキリギリスは縁日で竹の籠に入れてもらい買ってきました。エサやりは私の当番で(これは怪しいのですが)茄子は虫の声が悪くなるからキュウリがいいとかでした。そして、死んでしまったときは土に戻すことを教えてくれたのは祖母でした。狸の置物の下の土に埋めました。お線香と花をあげるのも今も習慣になっています。そう、祖母は柚子の木が大好きなクロアゲハになる幼虫を育てることを教えてくれました。さなぎになって、蝶に変わることがとても不思議でした。

 

「氏より育ち」といいますが、祖父の祖先は茨城ですが「平家の落人」とか。大河ドラマを見て「平家か・・・」と思っています。決していい家柄に育ったわけだはありませんが、禿げ頭で小うるさかった祖父のおかげで生き物に興味を持てたようです。植物も四季を通じていつも豊かでした。それをこの年になって気が付きました。

スマホの世界では味わえないものがあった時代。それは生も死も「触れて感じる」ということでしょうか。

寒いので暖かそうな写真です。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

実のなる木を育ててみませんか

2022-01-30 17:44:54 | 日記

夕方5時でも明るいのですが、寒さが4時過ぎるとやってくるので早々とカーテンを引かなくてはなりません。今日は足が冷たくて足元カイロを入れました。足元が暖かいと落ち着きます。

長浜の町は感染拡大とは関係なく人が出ています。今感染が拡大している20代、30代の人が多いようです。その半分以上の人が何か食べ歩いています。もちろん、マスクは外しています。若いだけに声も大きくこりゃあ大変だと思います。ばさまは早々に用事を済ませて帰りました。できるだけ人通りの少ない道を選びます。ちょっとそこで見つけたのが、レモンの木でした。葉は虫に食われていてかわいそうですが、5つくらい実がなっていました。そうか、ミカンと同じように今頃実をつけるのだ!

前にブログに書いた記憶がありますが、離婚後まだ大変な時期にお友達に「実のなる木を育ててごらん」と言われて、3寸レモンの木を買いました。あまり大きくならないレモンなのだと思いました。そのころはやたらに植木を買って育てたので、ベランダが植木であふれて引っ越し先を探したのでした。そうしないと気持ちが落ち着かなかったのでしょうね。そういえば、金魚も買っていました。

何かに執着したようにものを買うときは、心が満たされていないのでしょうね。今もお付き合いしている不動産屋さんに「植木のためにお引越しですか」と笑われながら、20坪の庭のあるマンションに越しました。それで、実のなる木を3年育てるといとしくてなりました。お友達が進めてくれた気持ちもわかりました。20坪の庭にたくさんの花や木を育てられたのは、豊かな時間でした。

そうですね、今飼っているメダカでも外から帰ってくると、「生きてるぞ!」と言わんばかりに元気に泳ぎます。しばらく実のなるものは育てていませんが、何か一つ記念に(なんの?)育ってみようかな思いました。

あなたもいかがですか?下の写真が3寸レモンです。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

四角を丸にする ゆめを届けたくて

2022-01-29 18:17:20 | 日記

土曜日、なぜかいつもゆっくり起きだします。寒いのがいけないのか頭が痛い、顔面が痛いと朝は不調です。やはり、手ぬぐいでも被って寝たほうがいいのでしょうか。笑。

四角ものが丸くなるんだと思い出したものがありました。今日のスタートはそこからでした。昨日UPしました写真は慶雲館という所ですが、そこの近くに四角が丸くなったものがあります。

そう、丸い食パンです。売っている食パンやサンドイッチなど全部丸い食パンです。(ばからしいと思わないでくださいね)今はそうでもありませんが、午前中で売れきれの時もありました。

帰りに新しくできた「湖(うみ)のスコーレ」という商業施設に寄りました。発酵食品を使った食べ物やおしゃれな食器、装飾品など欲しくなるようなものがいっぱいです。その空間はゆめがありました。実用品ばかりでなく、これはどうするの?というようなあそびのあるものも多いのです。「癒し」は必要だけどそこからはやはり先につながる「ゆめ」も必要だと思いました。陶灯も「癒しの陶灯」は終わりにして、ゆめのあるものを作ろうと思いました。

「ゆめ」はひとのこころをあたためくれます。「ゆめ」ではごはんは食べられないけど、「ゆめ」があれば今の私のように貧乏でボロ長屋で粗食で暮らしても、辛くない気がします。

コロナ禍で本当に過酷な毎日の方が多いと思います。何を言ってるのだと叱られるかもしれませんが、丸い食パンでゆめもできるんですよ。

慶雲館は今は白梅が咲き出しました。紅梅が咲き出すころにはもう少しあたたかくなりますね。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

休んで、あっちむいてホイ!

2022-01-28 18:29:54 | 日記

ニュースを見ると「止まない雨はない」と言っていましたが、何年降り続くのかしらと思います。多くの人が出口の見えない毎日にどこに気持ちを向けていいのかと苦しんでいるのではないでしょうか。コロナ感染の影響は受けない人はないですね。

昨日はサッカーの代表戦を観てぶろぐはお休みでした。ネットでは「日本、中国に快勝!」とニュースが流れていましたが、「快勝」かな?と違和感のある言葉でした。人質立てこもり事件。(人質の方が亡くなられました)生活に関することは、電気代の値上げやら紙製品の値上げやら、1月からなんでもな上がりしています。値段は変わらなくても、量が少なくなりました。うちは生活していけるのだろうか・・・。

現実は厳しいですが、行き詰ったときは、少し休ん(10分ぐらい?)で違う視点からみるといいと言われました。四角いものは丸くは見えないけど、四角の大きさをかえたり、台形にしたり、ひし形にしたりしてみるといいかもしれません。ある意味で「自由である」ということも大事かもしれませんね。1日だけの自由とか。お友達は糖尿病で甘いものなど制限されているのですが、お友達が買ってきてくれたケーキを食べたとか。かなりストレスフルでしたが、「ほっとした」とか。お医者様に叱られてしまうかもしれませんが。

現実が動かない時には、精神の自由でだいぶ違う気がします。生活苦なのですが、その中で毎日料理を楽しんでいます。それが私を元気にさせてくれます。出かけられない分、家の生活の充実は、今までの人生では味わえなかった喜びです。

四角を少し変形してみませんか?

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

遅すぎる出逢いはないかもしれません

2022-01-26 18:35:21 | 日記

夕方から雨が降り出しました。

「春さめや ゆるい下駄貸す 奈良の宿」(蕪村 歌のある風景より)読んでいた大岡信さんの本にありました。も少しして春雨が降る頃の情景が目に浮かんできました。大岡信さんは「ゆるい下駄」と「奈良の宿」がとてもよく合っていると書かれていました。そうですね、「京の宿」でしたらゆるい下駄は合わないですね。のびやかな奈良の景色にあっている気がします。

私が彼女にあったのは30年くらい前でしょうか。ある女性雑誌にリビングでくつろいでしる白髪の素敵な女性の写真とかの女が白いパンツをはいて海辺を散歩するがありました。いまでもとても印象に残っています。それがどんな記事だったかは覚えていません。そんな感じの女性が今日から通う工芸教室の主です。関西大震災の時からこの地で何か人のお役に立つ場所として教室を(展示会場)を始められたそうです。少しでも「ひとのこころがやすらぎますように」と。

この方との出会いは本当にうれしいです。こんなことがあるのでしょうか。そして、陶芸の先生もいろいろお話をしながら、教えてくださる先生でした。そこに流れる雰囲気に癒された時間でした。

人に出会うにはやはり時があると思うのです。もう少し早く出会ってしまっていたら、我の強い自分で大事な出会いに気が付かなかったかもしれません。そう、「ゆるい下駄」が「京都」とは合わないように。なぜあの時…と思う出逢いでも、ああ、あの時でなくて今でよかったのだと思えるのです。それを人生のからくりというのでしょうか。

陶芸で招き猫を余った土で作られた方がいました。「右手がお金?左手が友達?」と考えながら「いいわ、両手をつけてしまおう」と言われると「両手では万歳ですよ!」と先生。面白いお教室です。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする