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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

擬理の母親かな

2021-02-27 19:02:32 | 日記

風が冷たく寒い日。ねんざは一日一日とよくなっているが、まだ、思うようには動かない。そこへ寒いので厚着をしているので、動きが悪い。家の中で転ばないようにかなり注意している。それが疲れるらしい。さみしいとかではないが、何となく誰かそばにいてほしくなる。

NPOの最後になる冊子が完成した。10年の総集編という感じだ。この10年は何だったのだろうか・・・。サッカーの取材の写真も多いが、それとともに撮った風景や花の写真も多い。初めのころは、カメラも今ほど性能が良くないし、やはり下手だった。思わず、10年やればそれなりにうまくなるのかと、笑ってしまった。

夕方、鎌倉のおばあちゃんから荷物が届く。さくらシリーズとお雛様シリーズだ。でも一番うれしいのは、桜を刺してくれた刺し子のふきんだ。肩が痛い、めまいがすると不調を言っておられたので1年近くかかっての完成だという。息子さんと二人暮らしだが、息子さんの帰宅が遅いので心細いことも多いようだ。でも、親ばかと言いながら、息子さんのために料理を作っている。

だれか心の支えになる人がいることはいいことだと思う。親友は100歳を超える母親を看ているが、主人がいなくなっても長生きするかもしれないが、母がいなくなったら、その後を追いそうという。(笑い)そうね、ひとりは少し寒いのかな。鎌倉のおばあちゃん、長生きしてね。

 

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許せない人たちには?

2021-02-26 17:40:24 | 日記

寒い日に悲惨な電車の事故に巻き込まれた。神戸線でホームから電車のフロントガラスに飛び込んだらしい。今日は陶芸教室に行く日。朝は30分寒い駅で待たされて、ぎりぎりに教室に間に合った。帰りは約120分以上遅れという電車に乗った。駅の周りで電車の待つ人も多かったが、都会と違い静かに待っていた。駅員さんも外に出て丁寧にお客さんに応対していた。飛び込んだ方は亡くなられたというが、頭をかすめるのはコロナの影響かだった。

首都圏以外は緊急事態宣言も条件付きで解除されるようだ。それでも、心は晴れにはならない。少なくともどんよりと重い空下で暮らしていく感じだ。ただ、私の中では、NPOの仕事をやめることで、我慢してお付き合いしてきた方から離れられるのはほっとする部分でもある。でも、本当にそう考えていいのだろうか。

いろいろな方たちのうまくやってきたつもりだが、どうしても生き方の根っこの部分で受け入れられない方もあった。譲れない部分があるというのか。でも、キリスト者である私は悩む。もっと愛をもって接しないといけないのではないかと。あえて拒もうとは思わないが、今は自分から進んでお付き合いしようとは思えない。そのわがままな心が頑固になりそうだ。

私の中の生き方に対するこだわりなんて実はたいしたものではないのではないだろうか。ただそう思って生きてきただけで。年とともに、硬くなる心に春の足音が「ちょっと考えてみて」と言っているようにも思う。そうすると、どんよりした空も晴れになるかもしれないわよと。

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悩んでも詮無きことは

2021-02-25 18:14:23 | 日記

夕方になると、冷え込みが激しい。厚手のカーディガンを羽織って掃除などをしている。母がよく着ていたカーディガンとそっくりのものだ。ああ、寒いのであればかり着ていたのだなぁ と思うと胸が痛む。この頃、私はたくさんのことを母から習っていたことに気が付いた。編み物(棒針もかぎ針も)、刺しゅう、洋裁、和裁、・・・。和裁以外はかなり子供の頃に習った。そう、ほとんどの花の名前も母が教えてくれた。料理は祖母と母がしているときに、手伝っていた。いつの間にか覚えたようだ。自分でなんでも器用にできると思っていたが、「教えてくれたのは、お母さんでした」だ。

ねんざしたところが微妙に痛いので、サッカー友に聞くと、接骨院に行くか(これがベスト)サポーターをすると違うという。早速、サポーターをすると、痛みがかなり和らぎ、歩くのが楽になった。そうか、支えてもらうと痛みも和らぐのだなぁと思った。痛い時は支えてもらおう。よろしくね。

昨日、歩ログに書いた教え子(女の子)からメールが今日届いていた。あれ?ぶろぐのアドレスを教えたかな?でも、内容はちと違うなぁ。なにか見えないものが届いたのかしらしら。そういうはよくある。冊子に交換エッセイを書いている方に昨夜、大まかなエッセイの内容をお送りした。すぐに、お返しに原稿をお送りくださった。別に相談もしないのに同じ場所を書いている。同じようなトーンなのがおもしろい。以心伝心というのかな。この理屈を考えることは無駄だろう。見えない糸があるのですよ。

無駄といえば、悩んでも仕方ないことは、あみだくじにでもしようか と思っている。サイコロを振ってもいい。じゃんけんでもいい。でも、内緒でね。

母の大好きだったミモザの花です。

 

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子どもたちの思い出

2021-02-24 19:09:42 | 日記

買い物に出ると、寒いので空気が澄んでいるのか、空がきれいで、ややお腹の出たお月様がこうこうとしている。ねん挫した足が痛む。昨日、京都へ出かけたせいか?それとも寒さからくる痛みなのだろうか。年も年だから、治るにはもう少しかかるのだろう。

今日は、久しぶりにサッカーの冊子の編集をしている。おそらくこれがラストになるだろう。思い切ってこれからの草の根サッカーの問題を書いたほうがいいのか・・・。結局、最後に残るものだから、明るく終わろうと思った。何を書いても、そんなにきちんとは読まれていないのだから、楽しい話題のほうがいい。

この仕事やもう一つの冊子を編集してる(といってもど素人の仕事だが)と知って、二人の教え子がマスコミ関係に進みたいと話した。一人の女の子は、その方面に有利な学部に行ったが、就職先では人事部に配属されて、昨年会社を辞めて、新しい仕事に取り組んている。ただプライベートでは、仲間つくりをしているようだ。もう一人の男の子は、サッカー部の子で、スポーツが好きで一人でお相撲も野球ももちろんサッカーも見に行く子だった。スポーツ記事のライターになりたいと頑張ってやはりマスコミに強い大学の学部に受かった。まだ卒業していないので、どうなるのか?二人とも、勉強のほかにも、さまざまなことを話した。中学2年から高1ぐらいまでだったから影響があったのかもしれない??

このくらいの年のときには、なにか母親以外の生き方に敏感なのかもしれない。私のような出来損ないの教師に妙な魅力を感じたのかもしれない。二人とも私の知る限りでは、かなり勉強をして入った大学だった。学校の教師と生徒とは違い、つながりは深くないはずだが、心になにか感じるところがあったのかもしれない。

何人のいや何百人の生徒とであったのだろうか。傷つけたことも大かったような気がする。でも、子供のいない私が、子供たちとの思い出を持つことが出来た。それは、それはとても幸せのことだ。

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一人のひとのために

2021-02-23 19:06:29 | 日記

目が覚めると8時だった。祭日で周りが静かだったからだろうか。この頃、よく眠れるようになった。座る場所が見つかった安心感なのかもしれない。予定が1時間ずれて、寒いが京都へ出かけた。用事が一つあったが、どちらかというと都会恋しさ というのか、駅の近くで食事を買い物をした。久しぶりだった。やはり、山科を過ぎると、ああ、京都だ とわくわくする。

帰宅すると、仙台のおじいちゃん(90歳現役のサッカーマン)から、荷物が届いていた。前にもお送りいただいたかまぼこのお雛さまだ。目の手術をされて、最近までサッカーは休んでおられたのいうのに・・・。あたたかいお気持ちが届いた。手術後に3月でNPOを解散するということを知って、ショックだったというお手紙も在中されていた。こういう方からのお手紙が一番心に突き刺さる。

「取材でなく、遊びに行きますね」と仙台の方たちにはご連絡してはいるが・・・。10年間でできた人の輪はほどいてしまうには重い。でも、でも、・・・。百恵ちゃんってすごいなぁ・・・。

この時期は、また谷川俊太郎の「ひな祭りの日に」を思い出す。このバカ娘は一人の男を生かすことはできなかった。でも、この年になると、父の想いがよくわかる。今日はなにか胸がいっぱいだ。

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