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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

大丈夫じゃないのに大丈夫なふり

2021-05-31 17:38:30 | 日記

今日も晴れ。少し肌寒い風が吹いているが、歩いて体が温まると心地よいシャワーのようになった。昨日も今日も歩いているが、以前のようにねんざしたところが傷まない。ああ、治ったのだなぁ。日薬とはよく言ったものだ。

「ワクチン」と「オリンピック」の単語があふれている。昨日、聖火リレーを見た(会社の前を通ったという)友人が、リレーランナーがどうのというよりはオフィシャルスポンサーというのその車がすばらしかったわと言った。趣向を凝らした素晴らしい車が何台もランナーの後を走っていたという。あれが「オリンピックよ」とお友達は言った。

前からきになっていた「大丈夫じゃないのに大丈夫なふり」(韓国のクルベウ著)の記事で、自己肯定感の低い人は、人に依存しやすいがあった。ひとは得意不得意はみな違うのに、自分はダメだと思ってしまう。そして、失敗すると自分を責めてどんどん自分を低く見てしまう。その自分を誰かに依存することでその人の中に入り込もうとするらしい。その依存に失敗するとさらに自己否定が強くなるという。何かよくわかる気がした。

まず、自分と対峙しないといけないんだよね。今日、サッカーの長老からお葉書が届いた。(84歳)ずっと応援してくださった方だ。お褒めの言葉がたくさんあった。うれしかった。私はつまらぬことで落ち込んだのだ。ジョンソン首相の結婚だ。写真を見ただけで、ああ、年の差が23あるということはこういう現実かと。もと夫と彼女の年齢差がそのくらいだ。若さだけの問題ではなかったが・・・。ひとはつまらないことでもつまずくね。

「さびしくちゃいけないかい?」前の教会の神父様の言葉が蘇る。たまには愚かしく落ち込むのも私らしいかもしれない。無理しない、無理しないでね。

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幻想的な世界から雄大な世界へ

2021-05-30 19:37:11 | 日記

夏のような陽ざしだ。空も夏空。でも午前中は何となく落ち込んだ。陶芸教室で陶灯がうまく彫れない。生地が厚すぎたり柔らかすぎることもあるが、花筏のイメージの流れる感じの花びらが彫れない。切り口がうつくしくないのだ。自分自身の技術に対する欲求も大きくなるのだろうが、今日はだめだった。100を超える花びらが残っている。「それが仕上がる頃にはなんでもなくなるよ」と先生が言われた。先生の切り口をみると本当にがっかりする。

午後は近江八幡の八幡山城址の瑞龍寺の紙の灯り展を見に行った。標高は207メートルくらいだ。ロープーウェーで登るにつれ視界が広がる。新緑の間から見える古い町並み、水路や長命寺川も見える。ロープーウェーを降りて、頑張って石段を上ると瑞龍寺だった。灯り展は一番奥の部屋だ展示されていて規模は小さかったが幻想的な世界だった。

北の丸からは雄大な風景が眼前に広がる。琵琶湖を隔てて遠くには比叡山が望まれ、広がる田園地帯、安土城址や伊吹山も見える。思い切って来てよかった。階段がややきついので、親子連れやカップルが多い。行けるところは早くいかないと、石段は登れなくなるなぁ。

今、中途半端な自分がいる。陶芸ももう少しほかのものも(お皿とか茶碗とか)作りたい。昔ならすぐ行動に起こすのに・・・。動けない自分がいる。コロナのせいでもないのだが、金銭的なことも昔以上に気になる。年齢のせいかもしれない。

やがて、時が来るのだろう。もう少しがまんかな。行きたい方向を向いていれば(見ていれば)時はやってくる。

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歩み寄ろうね

2021-05-29 17:52:43 | 日記

ドクダミの花が咲き出した。おかげで一輪挿しに挿す花にしばらく困らない。クレマチスやアマリリスが咲いている。この辺りの流行りなのか。さきほど昨夜できなかった5通のメールを出すことができた。時間がかかるわけではないのだが、サッカーを見てしまったのが、敗因だった。前半でもういいかなと思いながら、余裕でアイロンがけをしながら後半も見てしまった。でも、あの軍事政権下で来るチームはどんな構成なのだろうと気になった。NHKのニュースウオッチナインを見てわかったのは、フクダアリーナの付近で在日ミャンマー人による軍への抗議行動があったということだ。そして、チームは母国の代表チームだから軍の支配下からの派遣だという。海外(タイ)でプレイする2名以外は国内のチームでプレーするメンバーだという。

大量得点で勝利したし、吉田麻也は国情などには関係なくプレイすると話していた。スポーツはそういう世界でいいのだと思うが・・・。日本はやはり平和なのだ。

番組のそのあとが興味深い対談だった。尾身会長とEXITのりんたろー。さんの対談だ。年齢は尾身会長の半分がりんたろー。さんだという。会議の後に駆けつけたという尾身会長が背広でないのが印象的だったなぁ。若いひとにメッセージが届かないという話題は興味深かった。TVは見ないから会見内容などはわかるわけがない。「緊急事態宣言」が出ていることさえ知らないこともあるという。スマホもニュースなどよりは自分の好きなものだけを追いかけていればわかるわけがない。そういう時代であることを再認識した。

政治に若者がかかわっていないというか、若者の声が届いていないという。この高齢化社会は知らず知らずにそうなっているようだ。高齢者も若者も「歩み寄る」という言葉が最後に出ていた。どこかに人として共有できることはあるはずだ。

どのようなことにも「歩み寄る」ことはだいじなのだろうなぁ。それには向かい合わないと。

写真は陶芸展の時の絵画の参加作品「竜宮の遣い」

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御里が知れる

2021-05-28 17:58:11 | 日記

半そでで歩ける暖かさ。(暑さ?)昨日は朝は5分ほど暖房を入れたのに。今日はどうやら聖火ランナーが湖北に向けて走るらしい。町は静かで関心が薄い。話題になるのは(高齢者には)ワクチン接種だ。もうすでに接種した方もいる。あまりあせることもないのだが、近所に主治医というほどのお医者さんもいないしアレルギーが気にもなる。

さすがにコロナ関連の(オリンピック開催も含めて)番組は見たくないので、あさドラの後もチャンネルをそのままにしておいた。朝ドラ「おかえりモネ」のサヤカさんこと夏木マリさんが出演されていた。話題の髪の毛の色もそうだが、今日は髪型が素晴らしかった。たぶん小顔なので似合うのだろう。でも、私は彼女の目元や額の「しわ」がうつくしいと思った。変に若々しく見せようとしわやらを隠す女優さんも多いのに、いいなぁ自然体でと思った。美人だけが勝負の今の女優さんには出せない味だ。「雰囲気のうつくしさ」を見習わないと。

「御里が知れる」という言葉があるが、ともすると差別用語に思われる。「御里」は実家を表す尊敬語・美化語だという。言動の端々に現れる生い立ちや経歴を表すらしい。若い時は諸々の要素がその育ち等を見えなくしているが、(若いというだけでうつくしいから)この年になると、そうはいかない。生い立ちもそうだしどう生きてきたかもが外に現れてくる。もはや、若さという特権がないと、しわはうつくしくもなり、ずるさにもなる。言葉もそうだ。滋賀の言葉なのかしれないが「あんたなぁ・・・」という言葉がある。どうも好きになれない。「あんた」がいけないのだろう。昔、草柳大蔵さんが「口元のうつくしい人が減っている」と言っていた。への字に曲がった口元の人が増えた。食事の箸の作法もそうだ。そんなことをいうとおばあさんだと言われるが、おばあさんがうつくしく見えるのはそんなことでしかないだろうな。

ばあさまも白髪、しわが増えても、やさしくうつくしいおばあさんでいたいと思った。

 

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埋め込まれた運命のチップ

2021-05-27 17:50:07 | 日記

昨夜はスーパームーンを見ることができなかった。満月は南中するのが真夜中だから、高度が低いこともあったが雲が多い。ネットで見ていたが、なにか物足りずにやめてしまった。同じ月を見たかっのに残念。今日は朝から冷たい雨が降り続いている。さすがに出かける気にはなれない。先日の陶芸展の写真をプリントすることにした。YouTubeで音楽でも聞きながら作業しようと思った。画面に出てきた「過ぎし日のセレナーデ」をまた聞こうと思ったのが間違いだった。音楽だけでなくハイライトシーンが流れている。上品で美しい高橋惠子(志津子)が、田村正和(榊孝之)のもとに「今行かなくては、後悔するから」と走っていく。これで調子が崩れた。今日はのんびりしよう。

そういえば、遠い記憶の中から思い出したことがあった。田村正和さんの奥さまのことだ。叔母がOL生活に疲れて、住み込みのお手伝いさんになったのが、田村正和さんの奥さまの実家だった。まだ、ご結婚前だったと思う。素敵な女性だったのだろう、大スターのKさんともお付き合いがあったとか。今考えると、田村正和さんとの結婚の方がしあわせだったような気がするが・・・。

高校時代のお友達たちは、大学卒業後2,3年すると結婚する人が多かった。その一人の新居へ遊びに行った。ご主人はある電機メーカーのエリートだった。ピカピカの電気製品はもちろんそのメーカのものだったのを覚えている。びっくりしたのは、ご主人が彼女が高校時代に憧れていた先輩にそっくりだったことだ。帰り道、みんなで「好みは変わらないのね」と話した。私の一番の親友はお父さまが東大出の小児科の開業医だった。お兄さんがいて、五浪くらいしてある私大に入った。彼女は銀行に勤務して、高卒の男の人を好きになったがお父さんに大反対されて、諦めた。お父さんまは東大以外は大学ではないという人だった。それへの反抗か彼女はなかなか結婚しなかった。最終的に、結婚したのは東大でのエリートだった。

なにかそういう運命のようなチップが体に埋め込まれているのだろうか。この年齢になって、なにが幸か不幸かわからないが、その選択がよかったのだろうなぁと思う。結婚とはそういうものなのではないだろうか。山があって谷があっても一緒にやっていくものだろう。

どうにもならない運命のチップがあるのだろうな。

 

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