ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

自殺の幇助はなぜいけないのか〜再論〜

2020-07-27 10:29:31 | 日記
ALSの女性患者の依頼を受け、自殺を幇助したとして、医師2人が嘱託殺人の疑いで逮捕された。この医師の行為に対しては、むろん賛否両論があるだろう。私はこの医師たちの行為を是認するが、当然、反論の声もあり得る。

きょう私が閲覧したブログは、後者の声の代表として、安藤泰至・鳥取大准教授の意見を紹介していた。

「重い病者や障害者、高齢者などに対し、不幸と決めつけるような考えが進んでいるような感じがします。これは、生きる価値を、仕事がどれだけできるかというような生産的な能力でばかり考え、自分のモノというよりは、私たちがそれによって生かされている『いのち』の本質的な価値を考えることが少なくなっているためではないでしょうか。・・・・中略・・・・自己責任による生き残り競争にさらされた人たちが、より弱い人を探して攻撃するような社会になっているのかもしれません。私は今回の事件が、安楽死の法制化ではなく、どんな人も生きやすくなる社会について考えるきっかけになってほしいと切に願っています。」

このブログの筆者は、毎日新聞に掲載されたこの安藤氏の意見を紹介したあとで、次のように書いておられる。
「嘱託殺人の疑いで逮捕された医師たちを糾弾したり、安楽死の法制化等を考えるより先に、まず、私たち、ひとり一人が、『いのちの選別』について、しっかり考えてみなければいけないのではないかと思います。」

このブログ記事を読んで、私はつよい違和感をおぼえた。ここに援用された安藤氏が「いのちには無条件の価値がある」とする常識にとらわれている点は良いとしても、その「いのち」の「質」について、彼は根本的に勘違いをしているように思われるのである。

私は本ブログで、以前、こう書いたことがある。
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自殺の手助けをするのと、自殺を思いとどまるよう説得するのと、その二つの行為の違いは、一体どこにあるのだろうか。そこにあるのは、他人の生命を否定するか、肯定するかの違いだとさしあたりは言えるだろう。生命を肯定し、これを促進しようとすることは「善い」こと、生命を否定し、これを抹殺しようとすることは「悪い」こととされるのである。
他人の自殺に手を貸せば、「あいつはとんでもない奴だ!相手は見ず知らずの若い女性だったというではないか。きっと奴は、自分の殺人欲求を満たすためにやったに違いない」などと、白い目で見られることになる。

ここにあるのは、「生きることは、無条件に良いことだ」とする価値観である。世の中は今も昔も、常識と化したこの価値観によって動いている。
もう40年以上も前のことになるが、ダッカ日航機ハイジャック事件(1977年)の折、当時の首相・福田赳夫は「人の命は地球よりも重い」として「超法規的措置」をとり、身代金の支払いや犯人グループの釈放など、ハイジャック犯の要求に応じた。犯人側は、日本政府が要求に応じなければ、人質の命を奪うと警告していた。

それでは〈生命〉を無条件に肯定し、これを尊重するこの価値観は、どこまで正しいのだろうか。「ただ生きるのではなく、よく生きることが大事だ」と言ったのは、古代ギリシアの哲人・ソクラテスである。ソクラテスが差し出したのは、「ただ(安逸に)生きる」か、「よく(道徳的に)生きる」か、という選択肢である。彼はこれら二項の間で二者択一を迫り、「ただ(安逸に)生きる」ことを否定するように勧めた。

けれども、ソクラテスが描いたこの生き方のモデルに当てはまらない人もいる。目の前に「苦しみながら生きる」か、「生きるのを止める」か、という選択肢しか持たない人もいるのだ。ただ生きるだけでも、生きるのに多大の苦しみが伴うような、そういう生き方しかこれからも望めないとしたら、人はなぜそれでも生きようとしなければならないのかーー。

「こんな生き地獄のような生き方、僕はもう止めにしたいよ」と思い、この思いを実行に移そうとしている人がいたとしよう。その人があなたに「お願いだ。僕を殺してくれ」と手助けを求めてきたとしたら、慈悲深いあなたは、きっとこう思うだろう。「この人は困っている。苦しんでいる。何としてもこの人を助けてあげなければ・・・」。

だが、この人の依頼を聞き入れれば、あなたは「自殺幇助罪」という罪を引き受けなければならないのだ。あなたは途方に暮れ、友人に素朴な疑問を投げかける。「なあ、困っている人を助けることが、なぜ犯罪なのだろう? どうしてなのだろう?俺にはさっぱり解らない」
さて、慈悲深いこの男の、年来の友人であるあなたは、この疑問にどう答えるだろうか。
(《自殺の幇助はなぜいけないのか》2019.10.11)

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私が「この疑問」にどう答えるかは、先日アップした本ブログ(《自殺の幇助はなぜいけないのか〜再考〜》7月25日)に書いた通りである。
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