ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

現代脳科学と幸福論

2017-10-07 11:09:44 | 日記
私たちはこれまで、「うれしいから笑い、悲しいから泣く」という〈天動説
〉の世界を生きていた。だが〈現代の脳科学〉は、「笑ったからうれしく、
涙が出たから悲しい」という〈地動説〉こそが真理だという。これが〈人間
観のコペルニクス的転回〉だ。【A】

『文藝春秋 SPECIAL 2,017夏 もっと言ってはいけない 脳と心の正体』に
あった言葉である。現代の脳科学が語るこういう言説に、「何を馬鹿なこと
を!」という思いをいだく人は、多いだろう。だが私は、そうは思わなかった。
見解【A】の根底にあるのは、以下のような見解(見解【B】)である。

「意識は幻覚で、わたしとは無意識のことだ」。【B】。

もっと詳しく言うなら、

「私たちが『自分』と呼んでいるものは、無意識の多様で膨大な活動を理解
可能なように整理し、意識というモニターに映し出した『幻覚』なのだ」【C】
という見解である。

この見解【B】も【C】も、19世紀末のドイツの哲学者ニーチェの見解と驚
くほどよく似ている。一時期、ニーチェの熱狂的なファンだった私には、こ
うした現代脳科学の見解は、よく慣れ親しんだ、懐かしい思いすら抱かせる
見解である。

ではこれらの見解(【B】、【C】)は、「人間観のコペルニクス的転回」を
説く冒頭の見解【A】と、どのようにつながるのか。

「うれしい」とか「悲しい」といった感情は、意識に現れ出た意識的感情で
ある。こうした感情は、無意識が作り出した幻覚であり、無意識によって規
定されている。
ならば、何らかの操作によって無意識が変化すれば、それによって作り出さ
れる意識的感情も変化する。「笑う」という身体的動作により、それに応じ
た変化を蒙る無意識は、「うれしい」という感情、ないし幻覚を生み出し、
「泣く」という身体的動作により、それに応じた変化を蒙る無意識は、「悲
しい」という感情ないし幻覚を生み出す、ということである。

今月から始まったNHKの朝ドラは「わろてんか」。このテレビドラマを観
て、大いに笑えば、私も毎朝ハッピーな気持ちになれるかも知れない。

さて、私が『文藝春秋 SPECIAL 2,017夏 もっと言ってはいけない 脳
と心の正体』という本?に目を通すことになったのは、アマゾンからの案内
メールで、「kindle unlimited 読み放題」の企画を知ったからである
。私はいつの間にか(自分でも知らないうちに)アマゾン・プライム会員に
なっていた(させられていた)ので、リストにある電子書籍なら、(期間限
定だが)何冊でも読むことができる。プライム会員の会費(年額3,900円
だったか)を少しでも取り返すべく、この書籍をダウンロードすることにし
たのである。

この書籍、一般受けをねらってか、現代脳科学の言説を幸福論と結びつけよ
うとする意図がにじみ出て、牽強付会の感がなきにしもあらずだが、テレビ
ドラマが端境期にある今の時期、暇を持て余している私には、悪くない時間
つぶしの材料である。
コメント
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