ゆきちゃん通信++日記++

自閉症の娘、由紀子の毎日を
母親(tomi)の目を通してお伝えします。

1999年3月 (6歳)

2001年01月31日 | ゆきちゃんの日記
これは1999年3月の日記です。
月に一回しか通えなかった
療育センターに持っていくために
書いた日記です。


1日(月)

久しぶりにバスで保育園に行った。

1年半ぶりだろうか……。

乗ったとたんに乗客から
「あら、久しぶりね!」と声がかかって

由紀子はにこやかに
「オハヨウ!」と答えていた。

私は自分の楽のために
ずっと車で登園していたけれど

本当はバスで登園させたほうが
由紀子のためだったのではないかと思ってしまった。


2日(火)

家族でテレビを見ていたら隣の部屋から

ユキ「おかあさ~ん」…私「は~い」。

ユキ「おとうさ~ん」…夫「は~い」。

ユキ「ね~ね~」…長女「は~い」。

ユキ「ま~ま~」次女「は~い」

これが2回続いて,
やっと終わったと思ったら……

ユキ「みんな~!」全員慌てて「は~い!」

すごい!すごい!
と家族で大笑いでした。


由紀子は冬になると
成長のカーブがゆるくなって

暖かくなると急に伸びるようです。

そろそろ由紀子に春がきたかな?


3日(水)

今日は保育園のひな祭りだった。

「おひな様のコロッケ、かわいかった?」

と聞いたら

「きれいだった!」

……「ああ!本物のおひな様ね。よかったね!」

するとユキが

「よかったね~!おいしかった!」

わたし「?????????」

わかっているのか、

わからないのか、

ときどき漫才のような会話になってしまう。


4日(木)

お迎えに行ったら
まだ終わりのご挨拶が終わっていなかった。

先に靴を持って玄関に出てきた由紀子が

「O上先生、さようなら」

のみんなの声にまた教室へ戻っていった。

O上先生は別室で仕事をしていたらしく

ドアを少し空けてみんなに
「さようなら」といって
また戻っていってしまった。

由紀子には気がつかなかったようだ。

すると由紀子は走って
そのドアをあけてのぞき込んでから,
玄関に戻ってきた。

お見送り係のS野先生と

「このつながりの強さは何なのでしょうか?」

と見合ってしまった。


5日(金)

お父さんの顔をさわって

「ジョリジョリ」、

私の顔をさわって

「ツルツル」,

自分の顔をさわって

「プクプク」。

3人で川の字に横になってからの
いつもの台詞です。

今日は私が横に行くのが少し遅れて、

お父さんの「ジョリジョリ」が終わってしまっていた。

そしたら、私の顔を見て
「もう一回!」といった。

新しい言葉だった。


6日(土)

今日は自閉症ネットワーク「クレヨン」の発足会議。

やっとここまでたどり着いたという感じがする。

由紀子は久しぶりに私のいない夜を過ごした。

というよりお父さんがと言うべきかもしれない。

初めて由紀子に薬を飲ませてくれた。

ドキドキしたようだが
由紀子のほうが薬には慣れているから大丈夫。


7日(日)

サティへ買い物に連れていった。

お父さんに由紀子を頼んで
ほかの買い物を済ませて戻ると

由紀子が新しい玩具を買ってもらっていた。

最近始まったアニメのグッズ。

お父さんが言うには玩具の前で
「ドレミちゃん」と言って動かなかったらしい。

「これ買ってといえないことがかわいそうだ」

とお父さんはしんみりして言うが、

横で由紀子は幸せそうに
玩具を抱いていた。

お父さんが思っているほど
由紀子は可哀想ではないな!

と私は思う。


8日(月)

療育センターへ。

お別れ会をしてもらった。

先生たちの劇「3匹の子豚」に子どもたちは大喜びだった。

でも、いつもと違うペースに
由紀子はトイレでおしっこを漏らしてしまった。

着替えをさせて一件落着と思っていたら

帰りに寄った
浜屋のエレベーターの中でもう一発。

たいていの事には慣れた私も
気が遠くなりそうでした。

あわてて着替えを買いに走ったけれど、
浜屋はデパートです、

ズボンとパンツで5000円なり。

再び、気が遠くなる

療育センターでおしっこを
途中で止めていたらしい。

最後にふさわしい大変な長崎行きでした。


9日(火)

長崎で買ってやったおもちゃを持って

アニメの主人公になりきって遊ぶ由紀子です。

やっとそんな遊びができるようになった事がうれしくて、

由紀子にねだられるとついつい買ってしまうバカな親です。


10日(水)

《クレヨン》の発足のご挨拶に
市役所へ行くために、

保育園の送りを車にしたかったので、

由紀子を説得。

「今日は車で保育園に行くよ。」(母) 


 「…… 一番は?」(ゆき)

「?????保育園よ!」(母) 
   

「二番は?」(ゆき)

「おうちよ!????」(母) 

    
「ヤダッ~!」(ゆき)

しまった何か誤解されたようだ……。

「O上先生とおひるねしてね~!」(母)   
「は~い!」(ゆき)

やっと車に乗って
保育園へ出かける事ができました。


11日(木)

卒園式の練習で、
ちゃんとみんなと同じようにやっていると

O上先生からお便りがあった。

卒園児の一言づつの言葉も
ちゃんと言えるようだ。

先生はどんな気持ちで
子どもたちを送り出すのだろうか、

毎年別れを繰り返している先生は
もう平気なのかな?

由紀子との別れは?  

私少しへんかも・……。

何を考えているのだろう。


12日(金)

お父さんの転勤先が
中五島の可能性が強いといわれる。

ねーねーやまーまーの受験を考えると、
福江を離れる事はできない、

由紀子の小学校の事もある。

その時は単身で行くと決めた。

今年の3月はどうしてこんなにつらい事が多いのか……

明日は涙がとまりそうにない。



13日(土)

卒園式。

由紀子が入場してくると思った途端、

涙が出てきた。

そしてずっと泣きっぱなし。

O上先生の転勤も覚悟していたはずなのに…。

由紀子にとって最高の保育園だった。

そしてO上先生との出会いは
由紀子の人生の宝物だと思う。

由紀子!O上先生を忘れないでね!

3年間あなたの事を育ててくれた
保育園のお母さんです。

いつも抱いて寝てくれた
あなたの大好きなO上先生の事を、

いつまでも…。


14日(日)

私は目がはれて外へも出られない状態。

昨日私があまり泣くものだから
由紀子が少しへん。

すぐに私の顔を見に来るし、

テレビの中で泣いている人の
涙を拭いたりしている。

何時までもクヨクヨしてはいられない、

残りの保育園の生活を大切にしてやらなくちゃ。


15日(月)

いつものように保育園へ、

由紀子にいつ区切りをつけさせれば良いのだろうか。
3
0日まで保育園にやるべきなのだろうか?


16日(火)

保育園で字を書く練習を始めたと
先生から連絡をもらう。

すごい!

由紀子が字を書けるようになるなんて。

小学校を終わるまでにできたら良いと思っていた。

由紀子は興味さえ持てば
なんでも上手になるのに…。

私にはそのきっかけを作ってやれない。

O上先生が居なくなったら
誰に頼めば良いのだろう。

小学校の先生がその役を
ひきうけてくださるといいのだけれど。


17日(水)

薬の血中濃度を測るために病院へ。

朝から必死に

「一番は病院」、
「二番は保育園」
「3番はO上先生とお昼寝」

と言い聞かせていったのに、

検査は薬を飲んで
二時間後でなければいけないと言う。

だったら、先に言ってほしいよね

由紀子には、
この後保育園とインプットされているので

家に帰るわけにも行かず、
先生にお願いして後で迎える事にした。


病院で大騒ぎをして、
看護婦さんに馬乗りになられて
4人がかりで採血

その後、

また保育園のみんなを追いかけて
河童公園へ。

みんなを見つけたときに由紀子が
《みんな~!》と叫んでいた。

由紀子も、私もお疲れ様でした。

結果は全て合格。

薬の効き方もちょうど良いそうです。


18日(木)

保育園で給食にイチゴが出た時に

園長先生に

『イチゴをちょうだい』と言われた由紀子

お得意の「ヤダあ!」でお断りしたらしい。

でも、その後O上先生の
「1個ちょうだい」には

「はいどうぞ!」。

O上先生の勝ち~!


19日(金)

昨日の夜中に発熱。

39.4度まで上がって、
痙攣を起こすのではないかと不安になった。

朝に解熱剤を使って下がった熱が
夕方また39度まで上がって、
五島病院へ連れていった。

昼寝中に手足が急に冷たくなった事を先生にいったら

「熱が上がるときにそうなるんですよ。
その時わきの下や首を触ってご覧なさい。
熱いはずだから」

といわれた。

そう言われれば、
昼寝から覚めたときにはもう熱が高かったっけ。



20日(土)

夜中にまた39度を越したけれど、

とうとう解熱剤は使わなかった。

朝8時ごろ汗をかいて熱が下がった。

食欲もまあまあだし、

このまま治ってくれますように。


21日(日)

今日はすっかり元気だけれど、

一日のリズムが狂ってしまった。

朝遅く起きて昼寝が長くて、

夜寝ない。

そこでお昼寝をぬいて

夜早く寝せた。

しかし、夕方から機嫌が悪い事、

大変でした。

寝てからも、ぐずぐず行って私に横に来いと言う。


22日(月)

くしゃみをすると下痢がパンツの中に…。

ちょっとつらい状況です。

テレビを見ている由紀子に

「近くで見たら目が悪くなるよ、離れて。」

と後ろから声をかけたら
振り向きもせずにお尻で下がっていた。

目を合わせなくても
こんなにすんなり指示が入るようになったのかと、

改めて思った。


23日(火)

転勤は無し。

お父さんは商業高校の事務長さんになった。

現在の事務長さんが
由紀子と別れて暮らさなくてもいいようにと、

県にお願いしてくださっていたらしい。

ネーネーが大学でこの家を離れる日まで
家族5人で暮らせる事に感謝したい。

由紀子の様子が少し変です。

風邪で休んだせいもあるのでしょうが、
みょうに甘えてくる。

「お母さん、抱っこして。」

寝ていても寝言のように私を呼び寄せる。

自分の周りが変わりつつある事を
何か感じているのかもしれない。

こんな事には敏感なこです。

「頑張れ由紀子!頑張れ由紀子!」

階段を登ったらまた楽しい日が待っているよ。


24日(水)

明日がいよいよお別れ会。

「由紀子をいつまで登園させようか、
O上先生の最後の日まででおわりにしようかとな」

と、長女に言ったら

「それはお母さんの中の区切りでしょう。
ユキちゃんにはユキちゃんの区切りがあるはず。
お友達との別れはどうするの?
保育園はO上先生だけだったの?」

厳しい娘です。

最後の日まで登園させようかと思う。


25日(木)

O上先生に日記を渡してきた。

これで先生との区切りをつけよう。

後2日。

今日は、O上先生に三井楽まで連れていってもらったらしい。

先生の用で保育園を訪ねたらしいが、

着くなりおしっこを漏らしたらしく
ズボンとパンツをもらってきていた。

最後の最後まで由紀子を可愛がってもらって
本当にありがとう。

Y田先生から電話をもらい、

3月29日に福小で由紀子の今後についての
話し合いをすることになった

お父さんも都合をつけてくるといってくれて一安心。

由紀子とお日様の当たるところを
手をつないで堂々と歩いていきたいので、
よろしくお願いしますとだけ
言ってこようと話し合った。


26日(金)

お父さんが29日に長崎出張になって
学校へは行けなくなってしまった。

Y田先生に全てをまかせたいと考えているので
何も言う事は無いのだが、

由紀子がてんかんの発作の可能性があることを
伝えてこなければならない。

由紀子はO上先生との残り少ない時間を過ごしている。

何を話したり、
何をして遊んでいるのか想像もできないが、

楽しい思い出がふえることを祈るだけです。


27日(土)
O上先生との最後の保育園を終わった由紀子。

夜にO上先生のことを「泣き虫」といった。

もしかしたら先生が泣いたのかもしれない。

明日はお見送りです。

若竹のお遊び会に行った。

みんなで新聞紙を破って遊んだ。

他のみんなは盛り上がっているのに

過敏なタイプの子は
反比例したように沈んでいく。

親が盛り上げようとするので倍疲れる。

もしかしたら本人は楽しかったのかもしれないけれど
表現してくれないから・…。


28日(日)

とうとうO上先生は行ってしまった。

先生の作戦なのか波止場に着たのが

出航10分前

何も話せないままお別れでした。

でも、船の上から由紀子を送ってくれた視線は

「がんばれよ!」と言っていることが
よく分かりました。

先生!さようなら…・。

O上先生を見送って車へ戻る途中の信号でY田先生に会った。

なんという巡り合わせだろう。

神様は今日という日を
由紀子の区切りの日にしてくださったのかもしれない。

「学校で待っているからね!」の言葉に、

私の中でも区切りがついたような気がする。

これからはこの先生に任せていこう。

私も素直に先生の指示にしたがって
由紀子の成長の階段を1段登ることにする。


29日(月)

小学校に行って
校長先生とY田先生そして教頭先生に会って

由紀子の小学校に入ってからの事を話してきた。

てんかんの事、親学級の事
おもったことは全てお願いしてきた、

由紀子の親学級の担任は男の先生らしい。

どんな先生だろう。

保育園は今日で終わりにした。

園長室に新しい主任の先生が入るのを見て
もう保育園は終わったと心から思った。

O上先生元気にしていますか?


30日(火)

雨が降るので車で学校へ。

Y田先生はいなかったけれど、
教頭先生に廊下であった。

「由紀ちゃんね、小学校においでね。
おじちゃん待ってるけんね」

なんとなくずっこけそうだったけど、

由紀子の事を一人でも多くの先生に知ってもらってから
入学させたいと思った。

由紀子は裏庭の鯉とウサギが気に入った様子。


31日(水)

引越しの手伝いがあって
由紀子と学校に行くのが3時になってしまう。

片道30分。

なかなか時間が縮まらない。

このままでは新学期には
7時15分に出なければ間に合わない。

がんばれ由紀子


=END=
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1999年2月 (6歳)

2001年01月31日 | ゆきちゃんの日記
これは1999年2月の日記ですが。
月に一回しか通えなかった
療育センターに持っていくために
書いた日記です。


1日(月)

鬼のお面が完成したらしい。

園長先生のところに用があって行った時

「今日はO上先生に怒られていましたよ」

と聞いていたので寝る前に

「尾上先生にメッ!て叱られたろう?」
Oと聞いたら

「ガオー!」

と答えた。

そうかガオーッて怒られたのか、

笑ってしまった。


2日(火)

脳波三回目。

やはり失敗。

朝6時に起こして昼寝の時間に
検査室のベットを借りて寝せつけて
やっと寝たのだが、

器具をつける途中でおきて
すべてむしり取ってしまった。

とうとう検査室の人には
見放されてしまった。

「もう無理です」

と小児科に言いに行ったら
入院してやろうという事になった。

小児科のM尾先生は
脳神経内科が専門ということで

脳波の機械も先生が
動かしてくださることになった。


3日(水)

療育センターをキャンセルすることにした。

由紀子の体調もいまいちだし、

私自身も咳きがひどくて……。

でも、一番の理由はホテルに泊まるのが怖い。

節分の豆まき。

お父さんが鬼になってみんなで豆をぶつけるが

由紀子は手に豆を持ってお父さんの側に行き
パラパラとかけてやる。

お父さんは「やさしい子だ」と感激するが、

本当は投げるのか苦手なのです。


4日(木)

明日は保育園のお誕生日会。

インタビューがあるので家で予行練習をした。

「何歳ですか?」

   →「6歳です」(おお!よくできました。)

「すきは食べ物は何ですか?」
   →「みかんです。」(去年はりんごだった。)

「大きくなったら何になりたい?」
   →「お花屋さん」(……すごい!去年までO上先生だった。)

きっとO上先生がばっちり練習させてくれているのでしょうが、

立派な答えでした。


5日(金)

今日は保育園のお誕生日会だった。

「大きくなった……。」の質問にはやはり

「お花屋さん」

と答えたらしい。

先生もクラスの子もびっくりしたと
お便り帖に書いてあった。

先生が練習させた訳ではなかったらしい。

大喜びをしていたら、
長女が謎解きをしてくれた。

「トトロの中に
『お父さん!お花屋さんね!』という台詞があるよ」

ガ~ン!

余計なことを言うな。


6日(土)

「今日は土曜日です。」と私が言うと

「給食食べたらお迎えです。」

と由紀子が答える。

最近の土曜日の合言葉です。

休みの日には
1番は○○、2番は○○とスケジュールを決めることも
日課になりました。

これができるようになって
パニックがなくなった気がする。

本に書いてあることをやってみたのだが、
こううまく行くとやはり由紀子は自閉症か・・・

と変に納得したりして……。


7日(日)

日曜日はサティに行って、ビデオを見て…。

なんだか毎週同じ事をやっているような気がする。

由紀子との時間を有意義に過ごせないものか?

最近由紀子が太ってきたことも気になる。


8日(月)

朝食後咳きこんだ拍子に由紀子が少し吐いてしまった。

いつもならば様子を見て
保育園に連れていくのに

今日はどうしても連れていく気にならなかった。

痙攣したときのことが頭に浮かんで
私のほうが震えが来そうになった。

夕方帰宅したお父さんに
保育園を休ませた事を言ったら
バカにされたが、

自分でもなんだかわからない怖さがある。

神経不安症になりそう。



9日(火)

保育園に連れていったらO上先生に

『元気になった?』と声をかけられた。

「痙攣を起こしたときのことが思い出されて、
休ませてしまった」
と答えたら

「なるほど、そういう事か」といわれた。

先生には解っていただけたような気がする。

由紀子は退屈な家から開放されたというように

元気に教室に入って行き、バイバイもしない。


10日(水)

今日は由紀子のお誕生日です。

朝に起きてきて最初に
「お誕生日!」と言いました。

昨日みんなに明日はお誕生日だと
言われたのを覚えていたのでしょう。

ケーキのろうそくを吹き消すのも上手になりました。

6歳です。

元気な1年生になりますように。


11日(木)

由紀子が大好きなサティに買い物に行く途中。

車の後部座席にいた由紀子が急に

「見て見て!」

と言って何かを指差して言った。

新しい車の看板だったのだが
由紀子が「見て!」と言って
そんな表現をしたのは初めてだった。

人に同意を求めてくるなんて…。

びっくりしてしまった。


12日(金)

保育園で使っている絵本の教材に
鬼の顔を書くところがあったらしいが、

クレヨンで泣いた顔、笑った顔、怒った顔と

三パターン課題にそって書いていたと
おたよりにあった。

見てみたい。


13日(土)
若竹の会のお遊び会に行く。

豆まきをした後、
新聞紙を使って大騒ぎで遊んできた。

なかなか自分から仲間に入って行かない由紀子だけれど

私が手を引いて無理に中に入れてやると
けっこう楽しそうにしていた。

ダウンの愛ちゃんに毎回叩かれるものだから
今日は顔を見ただけで走って逃げ回る。

由紀子の怖さも解るし、
愛ちゃんの愛情表現(?)の強さに
申し訳なさそうにしているお母さんの辛さもわかる。

どうしたものか悩んでしまう。


14日(日)

今日はバレンタインデー。

私が用意したチョコレートを

お父さんとおじいちゃんに渡して

由紀子が点数を上げていた。


16日(火)

入院して脳波を撮ってきた。

何とか無事に終わってほっとしている。

薬が効いているのは確かなのだが

怖くて眠れないらしく

必死に目をあけようとする。

回りの人には申し訳ないのだが

由紀子をこんなつらい目に
あわせなければならないことが悲しかった。


17日(水)

保育園でも昼寝ができなくなっているようだ。

眠ってもすぐに目を覚ましてしまうらしい。

怖いのだろう。

今日は遠くの公園まで連れていってもらって

たくさん遊んだので疲れているはずなのに

夜も寝ない……。

ユキちゃん、もう終わったんだよ!

ゆっくり寝てもいいんだよ!

何度話してやってもはっきり通じない

自閉症にもどかしさを感じる。


18日(木)

保育園に迎えに行ったら

「おうちに帰ろうか?!」

と何度も聞いてくる。

これも脳波の後遺症にひとつかもしれない。

「おうちに帰るよ!おうちで遊ぼうね!」

と答えると、うれしそうにしていたが、

車に乗る前にもう一度

「おうちに帰ろうか?!」と聞いてきた。

今回は本当に由紀子には負担の大きな事だったようだ。

結果はもうどうでもいいような気がしている。

もう検査は当分ないだろう、それだけでいい。


19日(金)

脳波の検査結果を聞きに行った。

1個所怪しい波形があるという。

てんかんがあるともないとも
断言できない状況らしい。

「おかあさんがどうしても薬を飲ませたくないと言われれば
今回までは薬を待ってもいいですが、どうしますか?」

と聞かれた。

残酷な質問です!

私はとうとう決められなくて

「先生はどうお考えですか?」

と反対に聞いてしまった。

「僕は飲ませたほうがいいと思います。
プールやお風呂、ジャングルジムの上などで
発作が起きたときは命取りです。」 

「わかりました。始めてください!」 

久しぶりに泣いてしまった。

どうして由紀子だけが
いくつも重荷を背負わなければならないのか。

気持ちの持って行き所がなくて…・・

衝動的に髪を切りに行ってきた。

帰宅したお父さんも口数が少ない。 

やりきれない!


20日(土)

O上先生に薬に副作用の話をして
今後のことをお願いしてきた。

小児科の先生が言われた

「少しおとなしくなるかもしれませんよ」

の言葉で、

由紀子のニコニコが消えたらどうしようかと

不安でたまらない。


21日(日)

お昼寝をしていないせいか
薬を飲んで30分ほどで寝てしまう。

でも、朝などはあまり変化を感じなかった。

このまま普通に生活できますように。


22日(月)

昨日の夜中はせきがひどくて親子とも眠れなかった。

朝に薬を飲ませて少し休ませて保育園へ。

保育園では気になるほどは咳きもなかったらしい。


23日(火)

保育園の帰りの車の中で

急にアニメの踊りを踊り出す。

なんとも楽しい子だ。

親の心配も知らないで。


24日(水)

由紀子のお腹がデップリとしてきて

ズボンがお腹の下まで下がってしまうようになった。

お菓子を食べるわけでもないのに
どうしてこんなに太ったのだろう。

「やっぱり我が子だ!」

と冗談ばかりは言っていられない。


来週から保育園の登園は
バスに変更することに決めた。

学校に入る前に歩く習慣もつけておきたいし。


25日(木)

お迎えに行くと非常用の滑り台でクラス全員遊んでいた。

何度も階段を駆け登ってはすべる、

けっこう長い滑り台だからみんなご機嫌です。

由紀子も1回滑って見せてくれたが
すごいスピードで滑っていた。

もともと滑り台は好きだけど

いつも足でブレーキをかけながら
ゆっくりと降りてくるのだが
今日は速い!

由紀子は元気だ!


長女に

「ユキちゃんに,薬を飲ませるのがそんなに嫌なの?
薬を飲めば発作を起こさないのならそのほうがいいじゃん!
由紀ちゃんではなくてお母さんは自分が辛いんじゃないの?」

と言われ…

その通りで返す言葉がありませんでした。



26日(金)

保育園の帰りにO上先生の横を通りながら

「まったね~!」

と言う。

机で書き物をしていたO上先生が
ガクッとしていた。

その後お見送りの先生に

「早くおいで!」

と言って先生を笑わせていた。

なんだか今日はさえてる感じ。


27日(土)

保育園にひな壇が飾られていた。

先生のお手紙に、

「みんなが遊んでいる中、
一人でひな壇の前に正座してじっと見つめていた」
と書いてあった。

触りたくて近くに寄っては
お友達に止められていたとも書いてあった。

慌てて由紀子の雛人形を出してやったら
うれしそうにひな祭りの歌を歌っていた。


28日(日)

とてもいい天気だったので
由紀子を連れて公園にいった。

保育園のお友達が来ていて
由紀子をうまくリードして遊んでくれた。

きっと保育園でもこうして
遊んでくれているのだろう。

初めは逃げ腰だった由紀子が
最後は楽しそうに後ろについて走っていた。

この子たちと普通学級に行ったならば
由紀子は楽しいかもしれない。

もしかしたら普通学級でも良かったのではないだろうかと

しっかり決めたはずの心がゆれてしまった。

でも、学校は遊びの時間だけではない…・・

わかっているのです。


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1999年1月 (5歳)

2001年01月31日 | ゆきちゃんの日記
これは1999年1月の日記です。
月に一回しか通えなかった
療育センターに持っていくために
書いた日記です。


1日(金)

あけましておめでとうございます。

今年は親戚に喪中が多くて
挨拶回りも少なく寂しいお正月です。

お昼から初詣に神社に出かけたけれど
由紀子は神社が嫌いらしく

ずっと泣くので私と2人で
出店の所で待っていた。


2日(土)

テレビも由紀子にとってはおもしろくなくて

ほんとに退屈なお正月。

おじいちゃんにもらったお年玉をもって街に行くが、

ただ歩いただけで何も収獲なし。


3日(日)

おじいちゃんが食事に連れていってくれた。

今年は私の姉の所が参加しなかったので

ちょっとさびしかった。

由紀子もあまり食欲がなくあまり食べない。


4日(月)

今年最初の保育園だったのに

2回も吐いてしまったらしい。

昨日食欲が無かったのも

胃腸の調子が悪いせいだったらしい。

気づかなくてごめんね。

帰宅しても食欲はない。

夜に下痢。


5日(火)

念のために保育園を休ませて様子を見る事にした。

午後から少し食欲も出てきて
夜に普通のうんちも出た。

他には風邪の症状はないのだが
やはり風邪かな?

家にいるとついつい退屈して
ビデオを見せろ言われて見せてしまう。

他の遊びに誘っても
「おしまい」の一言で拒否されてしまう。

由紀子とどうやって遊ぶか
これが小学校に入ってからの私の課題です。

保育園に頼りすぎた付けが回ってきた感じがする。


6日(水)

保育園では給食のおかわりもしたらしく
やっと調子が戻ってきたようだ。

今日は出初め式を見に行ったらしい。

毎年大きな音におびえて耳をふさぐ由紀子が

今年は文団の人の真似をして
手を振って行進したらしい。

帰宅して聞き出すと

「赤い消防車」

と一言答えてくれた。


7日(木)

何かを聞くと

「はーい」と答えていた由紀子が

「うん」といった。

誰かの真似をしているのかもしれないけれど、
自然な感じがしてうれしかった。


8日(金)

押し入れの中に入るのが大好きな由紀子。

いつも誰かを呼んでいれてもらうのだが
今日はみんなに無視されてしまった。

どうするかなと思っていたら

トランポリンを引っ張って
押し入れの下に置いて登り出した。

上り下りの時のはずむ感じがいいらしく
登ったり降りたり何回も繰り返していた。


9日(土)

最近テレビを見ながら場面を解説する由紀子。

「ころんじゃった。」
「泣いちゃったえ~ん!」
「こわした!」

とても表現が豊かになったと思う。

特に今日は主人公が転んだ時に

「どうしたの?転んだ?」

と疑問文のような感じで
私に話し掛けてきた気がした。

みんなは気のせいだというのだが。


10日(日)

ふとんにはいる時

私に「ばいばい」といって

側に寄らせてくれなくなって久しい。

私は寂しい。

お父さんやおねえちゃんたちとは寝るのに。

ちょっとでも覗くと
大きな声で「ばいばい!」という。

おねしょをした時はすぐに呼ぶくせに!

おねしょが夜中に2回の時もあって
ちょっと困っています。


11日(月)

寒いせいか朝になかなか起きない由紀子。

「起きなさい。保育園に行くよ」

と声をかけると

「お母さんいってらっしゃい」

と答える。

困ったもんだ。


12日(火)

街に出た時に粘土のセットを見つけて買ってきた。

療育センターでやった
クッキー作りの真似をして型で抜いたりして遊ぶ。

由紀子がはまったのは
小さく丸めた粘土を指でつぶす事。

自分では丸められないので

私に丸めろという。

何個も何個もあきずに潰していた。


13日(水)

保育園からみんなからの
年賀状をもらってきた。

みんな上手に字も絵も描いていた。

由紀子も書いたのかな?

最近はお絵描きもしなくなっている。

マジックもかけなくなっているし、
買い換えてやらなくては……。

パズルも一時期熱中してやっていたが
今はぜんぜんしなくなった。

次ぎは何に凝るのかな?


14日(木)

保育園でみんなのカルタとりの中に入って
一緒に座って見ていると教えてもらった。

字を読んだりして遊んでいるらしい。

そう言えば買ってやったカルタを
一人で見ている事がある。

あれは読んでいるのかな?


15日(金)

今日はお父さんのお誕生日。

ケーキに火を付けて電気を消すと
目をキラキラさせて

「おたんじょうび!」と大喜び。

お父さんより早くロウソクの火を吹き消してしまった。


16日(土)

今日は若竹の会の話し合いがあったので
午後からも保育園に預かってもらった。

以前にも居残りをしたことがあったので
大丈夫だろうと思っていたのだが

迎えに行ってみると機嫌の悪いこと・…。

先生が「ドレミの歌」のレコードをかけたといって
パニックっていた。

先生方、申し訳ありません。


17日(日)

朝から長崎へ。

ジェットフォイルを降りたときに

療育センターのバスが待っていないと
パニックになる由紀子。

何とかしようと土曜日の夜から

1番はジェットフォイル。
2番はタクシー
3番はホテル
4番はトイザラス。

と絵まで書いて繰り返し教えた。

そのおかげで長崎に着いたとき
「タクシー」と自分で言って
スムーズに移動ができた。

ヤッター!


18日(月)

療育センターへ。

Hさんと同じ船になる。

療育センターでの由紀子の様子を見て

「自分の子供と違って黙って座っていられる、
自分の子は普通学級に行くのに
授業中のことが心配だ!」

といわれる。

何度も障害の違いを話しても

目の前に見えることしか

理解してもらえないらしく

自分の子どもの方が
重度だと言って聞かない。

困った。


19日(火)

久しぶりに保育園へ。

お土産を持っていったので
いつにも増して人気者だったらしい。

「ゆきこちゃん、ありがとう」

の声に

「どういたしまして、ありがとう」

と1回1回答えていたらしい。



20日(水)

痙攣!

痙攣発作メモ

1999・1・20

朝食をほとんどとらず。

9:30   保健所にて巡回相談(ボールプールで遊ぶ)
10:00  会場で急にゴロゴロしはじめる。だるそうに見える
10:15  帰宅。吐き気がするように見える。フトンに横にすると、
     うとうとし始める。
10:25  正座の状態なり枕にもたれて吐く。
    ・目は上向き、遠くを見つめた状態
    ・呼んでも反応なし
3~5分間 ・手もみが続く
     ・尿失禁

横にして熱を測る38.5度

呼びかけると「ハイ」と小さな声、反応が鈍い。

10分後「ユキちゃん大丈夫?」の問いに
「だいじょうぶ」と返事
11:00 五島病院受診「複雑部分発作」との診断


21日(木)

脳波を撮りに行ったが失敗。


22日(金)

念のために保育園を今日まで休ませる。

由紀子は元気だが私は何をする気力もない。

がんばらなくてはと
気持ちだけが空回りしているような気がする。


23日(土)

今日から保育園へ

先生に
「保育園で発作を起こして何
かあったとしても、
それは保育園の責任ではありません。」

と言ってきた。

手元から離して預けるのだから
それくらい覚悟しなければと思う


24日(日)

昨日近所の三歳の子どもさんが
階段で痙攣をおこしたと聞く。

幸い近くに大人がいて
抱きとめてけがはなかったらしい。

ほかの子も起こしているのかと
安堵した気持ちと

階段のような危ないところで
起きたときの不安が入り混じって

またつらくなってしまった。


25日(月)

由紀子は元気に保育園に通っている。

私は落ち込んでいる暇もなく
自閉症ネットワークの打ち合わせに……。

私には強いというイメージがあるらしく。

落ち込んだ顔をしていると
必要以上にみんなが心配するので
どうしても笑っていなければならない。

少しつらいけど、
そのせいでいつも立ち直りが早いような気がする。


26日(火)

脳波2回目の挑戦も失敗!

お父さんにまで休んでもらって挑んだのに、
8時30分から座薬を使って
14時30分まで眠りかけては起きるの繰り返し。

何かが始まるという感じがあるらしく
どうしても眠ることができない。

座薬を追加するたびに

「おしりのくすり」

と言って半べそかきながらお尻を差し出す
由紀子に涙が出そうになる。


27日(水)

保育園にむかえに行くと

「おうちに帰ろう」

としつこく言う。

「おうちにかえるに決まってるじゃん」

と答えながら

どうしてそんなに聞くのか解らなかったが、

今思うと病院に連れて行かれると思ったのかもしれない。


29日(金)

節分用の鬼の面作りが保育園では始まっている。

由紀子が休んでいるうちに
みんなのお面がどんどんできていたので
心配していたけれど、

今日お友達に手伝ってもらって
半分完成したとお手紙があった。

自分で赤い色紙を選んで貼ったらしい。


30日(土)

風邪が我が家にやってきたらしく
次々と熱を出して寝込んでいく。

それほど高い熱は出ないがせきがひどい。

由紀子がもう熱を出しませんように。


31日(日)

久しぶりに由紀子を自転車の練習に連れ出す。

補助付の自転車で相変わらずゆっくりと広場を進んでいく。

でも、自分の行きたいところを

目指して進めるようになったようだ。

足の力がつきそう


=END=
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1998年12月 (5歳)

2001年01月31日 | ゆきちゃんの日記
これは1998年12月の日記です。
月に一回しか通えなかった
療育センターに持っていくために
書いた日記です。



1日(火)

買い物袋からお気に入りの
こんにゃくを出して遊んでいた由紀子だが、

いざ料理をしようと思ったらこんにゃくが見当たらない。

「ゆきちゃんコンニャクちょうだい」というと

しばらく黙ってしらんぷりをしていたが

「あっ!」というように走り出して
洗面所から持ってきた。

ずっと考えていたのかと思ったら
洗面所を水浸しにしていた事も
叱れなくなってしまった。

最近言葉の理解がまた進んだような気がする。



2日(水)

今日は先日と違ってやる気万々で
サンタクロースを作ったらしい。

マーカーのにおいが好きらしく
いつも鼻に近づけては
みんなに叱られているとお手紙にあった。



3日(木)

蒲団に入っていつまでも眠らないので

10:30頃電気を消して

部屋に一人残してみた。

しばらく鼻歌を歌っていたけれど

11:00頃眠っていた。

はじめ夜に一人で寝つく事のできた夜でした。

でも、明日は寝不足かな?



4日(金)

クリスマス発表が近づいて
衣装の準備が始まった。

由紀子は聖劇で赤いドレスを着せてもらうらしく

今日衣装あわせがあった。

みんなにステキと声をかけられて、

すっかりご機嫌で踊りまわっていたらしい。

おたより帳に書いてあった事を手がかりに

何か話を聞き出そうと

「赤いドレスを着たの?良いね~!」

とがんばったけど

返事は

「Oうえせんせいねた!おやつたべた!」

でした。

花よりだんごのようです。



5日(土)

ご飯の用意の時に

おねえちゃんがついだご飯を

各自の席に運ぶのが由紀子の仕事です。

いつもはおねえちゃんに指示されながらやっているのだが、

今日は自分で茶碗を見ながら

「お父さん、おかあさん」

といって配っていた。



6日(日)

トイレに行くと由紀子が大便をしたまま流していなかった。

お尻を拭いた形跡もない。

保育園では自分で拭くらしいのだが、

家では「お尻ふきふき!」と

誰かを呼んで拭いてもらっている。

そしてたまにはこうやって拭かずに出てきたりする。

洋式トイレなので拭きにくいのかと思うのだが、

何とかしたいと思う。



7日(月)

毎年クリスマス発表会が近づくと

独り言が増えたり爪がなくなるほどの

爪噛みが始まったりするのだが、

今年は落ち着いているような気がする。

環境の変化に弱いせいだと思っていたが、

いろいろな経験のおかげで落ち着いているのかなと思う。



8日(火)

今日はクリスマス発表かの総練習に日だった。

何回も衣装替えがあって

由紀子はご機嫌だったらしい。

家に帰っても、

独り言で

「赤いドレス」と何回も繰り返し言っている。



9日(水)

急に寒くなったせいか風邪を引いたらしい。

夜中コンコンと咳をして苦しそうだった。

由紀子の保育園では真冬でも
登園すると半袖の体操服に着替えます。

強制ではないので
去年は由紀子と後何人かの子どもだけが
最後まで体操服で通しました。

今年も、と思っているのですが、

一番辛いのがこの風邪の引き始めの頃です。

ここで長袖にしてしまうと
もう半袖を着せる事ができなくなってしまいそうで……。

悩んだ末にトレーナーの厚手の半袖を持たせて

体操服の代わりにしてもらう事にした。



10日(木)

今日、車から降りる時に

「ぼうし、もって」といった。

「かして」というのを何とかしたいと思って

「持って」といい直してやっていたら

自分でちゃんと言えるようになった。

うれしい!



11日(金)

保育園でいろいろなお遊戯を見てくるせいか、

いろいろな動きをして家族を楽しませてくれる。

今日のヒットは、

「おさるさん!」と声をかけると

パッと手を頭と顔の下にかまえてポーズを取る事でした。



12日(土)

今日は若竹の練習日でしたが、

風邪気味なのでお休みしてしまった。

何かの行事になると必ず体調が悪い。



13日(日)





クリスマス発表会当日。

今年の由紀子の出番は

天女の踊りと
聖劇では受胎告知の天使の役だった。

天女の踊りでは、

最初にみんなと同じように踊り出したので

もしかしたらこのまま最後までと
期待してしまったが……。

結果はいつものようにみんなの踊りを見て
ニコニコしていました。

でも、最後までニコニコと本当に楽しそうだった。



15日(火)

明日はマリアの園に訪問して
発表会の踊りを見せる事になっている。

そのプレゼントにするために
クリスマスカードを作ったらしいが、

先生から折り紙が上手に折れるようになったと
お手紙があった。

もちろんひとつひとつ指示をしなければできないのだが、

指先が不器用な由紀子にとって

折り紙は本当に苦手なものだった。

がんばっているんだ…。



16日(水)

マリアの園での発表が見たくて
用事を済ませて車を走らせたが、

ついた時にはもう終わっていた。

私がついた時には、
寝たきりのおじいちゃんおばあちゃんのベッドを
一つ一つみんなでまわって
クリスマスカードを渡していた。

由紀子もみんなと一緒にカードを持って……

いつもみんなに
助けてもらったり優しくしてもらうばかりの由紀子にも、
もっと弱い立場の人にしてあげられる事があるのだと思うと
なんだか胸が熱くなった。



17日(木)

このところ動きが活発になったと

由紀子の事を話したら

友人がトランポリンを貸してくれるという事になった。

狭い我が家にはちょっときつい遊具なのだが

持ち込んでみた。

由紀子の反応は上々で、

少しずつジャンプの形ができてきた。

ほとんど上に座って本を読んでいる事が多いけど、

以前は乗る事すらできなかったのだからこれは成長でしょう。



18日(金)

今日は保育園の餅つき大会。

毎年つきたてのお餅の感触が大好きで、

いつまでも丸めているという由紀子。

今年も楽しんだようで、

小さく丸めたお餅を2つ持ち帰ってきた。

でも、家に持ち帰ったお餅はもう硬くなっていて、

由紀子が大好きなお餅ではなくなってしまっている。

1年に1度だけの楽しみなのかもしれない。



19日(土)

また風邪を引いて夜中に咳が止まらない。

明日は若竹の会のクリスマス会なのに。

月曜日の療育センターも気にかかる。

市販の咳止めはちっとも効かない。



20日(日)

明日の長崎行きを考えて

思い切って五島病院の救急外来で診てもらう事にした。

ちょうど小児科のM尾先生がいてくださったので

吸入していただき薬を出していただいた。

M尾先生は転勤してこられた時から

由紀子の扱いが上手だと思っていたら、

以前整枝療育園にいらしたという。

よかった、

何かあった時に相談できる先生がまた一人見つかった。




21日(月)

療育センターの後に
整枝療育園のA川先生に診察を受けてきた。

小学校に入ってからの
由紀子の主治医になっていただきたいと思っている。

入学を予定している
特殊学級の担任のY田先生の恩師になられる。

4月から保育園のO上先生とも療育センターとも離れ、

担当してくださっていた保健婦さんも転勤の予定・…。

私にとっては心細い事です。

でも、A川先生は
1学期に1回程度の診察をしてくださるような話だった。

よかった。



22日(火)

久し振りに泊りがけの療育だった。

Ⅰ藤先生(友人)の所に泊まったのだが、

お風呂は御主人と
夜寝る時は万里子先生と寝てしまった。

今、夜は一人で寝る練習をしていて、
私は寝付く寸前に蒲団から出るようにしている。

その為か眠くなると
「お母さんばいばい」といって私を拒否する。

応用が利かないのでよそに泊まった時も
私以外に頼りになる人を探したつもりかもしれない。

なんとなく寂しい夜だった。



23日(水)

天皇誕生日で保育園はお休み。

クリスマスのプレゼントを
まだ用意していなかったので

家族に由紀子を頼んでおもちゃやさん巡り。

ゆきこを連れていっても
「いらない」としか答えないので何も選べない。

広告などを見ているのを観察して
欲しそうなものを予測するしかない。

今回本当はひみつのあっ子ちゃんの
鏡台が好きみたいなのだが、

お値段がよすぎて手が出なかったので
キティちゃんの鏡台にした。

喜んでくれるだろうか。



24日(木)

久し振りの保育園。

先生方へのクリスマスプレゼントを持って登園する。

毎年小さなプレゼントを全員の先生にしている。

ことしはキ-ホルダー



25日(金)

朝おきて枕元の箱を見つけて

「プレゼント!プレゼント!」と、

大喜びだった。

中に入っていたネックレスや指輪をはめて

少しきどって鏡に映って見ていた。

やはり女の子だなと思う。



26日(土)

保育園でO上先生に
昨日のプレゼントは何だったと聞かれ

「プレゼント、プレゼント、
かがみ、キティちゃんのかがみ」

と答えたらしい。

その答えにクラスの子たちが

「よかったね!」と先生より早く喜んでくれたとか…。

先生は「私の出番がだんだんなくなりつつあります」といわれる。




27日(日)

今週は長崎にいった事もあって
保育園には1日しか行っていない。

なんだかずっとゆきこと一緒のような気がする。

最近寒くて家の中にいる事が多かったので
久し振りに散歩に出かけた。

帰り道、いつもと違う方に行きたいと
「こっち!」といって指を差した。


ゆきこの自閉症が分かる前に、

この子はどうして行きたい所を
指差ししないのかと思っていた。

大きくなったら自分で勝手に行くようになったし・…

そして今日までその行動は見られなかった。

半分あきらめていただけにうれしかった。

今年最後の由紀子のプレゼントだった。



28日(月)

保育園も今年最後の日になりました。

久し振りの天気にみんなで散歩に行ったらしい。



29日(火)

おもちゃ箱のタンブリンを見つけて
何か部屋で踊っていた由紀子。

声をかけると止めてしまうので
見ない振りをして見ていた。

クリスマス発表会でお友達が踊っていた
フラメンコの踊りのようだった。

部屋中駆け回ってほんとに上手に踊っていた。

誉めても「おしまい」といわれると分かっているので

黙って知らん顔を続けた。



30日(水)

おねえちゃんたちは暇さえあれば寝ている。

由紀子は退屈でしょうがない。

お父さんもお出かけしてしまって最悪だった。

何か遊ぶものをと思ってスーパーまで車で出かけたが、

おもちゃを見ても「いらない」という。



31日(木)

私はおせち作りに追われて
由紀子の相手をしてやれない。

おねえちゃんたちを起こして相手をさせる。

やはり私よりはおねえちゃん達の方が楽しそう。

何かを頼む時

「マーマー(おねが~い~!」と甘えた声を出していた。

その後「まり!」と呼び捨てにして

次女に追いかけられていた。


=END=
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1998年11月 (5歳)

2001年01月31日 | ゆきちゃんの日記
これは1998年11月の日記です。
月に一回しか通えなかった
療育センターに持っていくために
書いた日記です。


1日(日)
ジグソーパズルに凝っている由紀子。

毎日同じパズルを何回も繰り返しやっていて、

もうすっかり覚えてしまっているので
新しいものを買ってやる事にした。

でも、ひょっとしたら覚えてしまったパズルをする事を
楽しんでいるのかもしれないのだが…。

パッパと組みあがっていくのを楽しんでいるようにも見えるのです。

今回5個目のパズルはアンパンマン。

初めの2回ほど手伝ってやったらあとは自分ですいすいでした。



2日(月)

郵便局の年賀状発売のセレモニーに参加して太鼓を叩いた。

私が運動会でとても上手に叩いたと言ったので

たくさんの人が由紀子を見に来てくれた。

でも、道路が舞台という事もあって気が散ってしまい
運動会の半分くらいしか実力は出せなかった。

でもあの環境の中ではあれが精一杯だったと思った。


今日は別の意味で感激して帰ってきた。

太鼓が全部終わって帰るために整列した時、
由紀子と手をつないでいたO上先生が
何かの用で少し列を離れた間の事だった。

由紀子が何かをじっと見ていたので
動くのではないかと心配になった時、

案の定フラッと由紀子が動こうとした。

その時、
後ろで他のおともだちと話をしていた男の子が
由紀子の手をサッと握った。

しかも話を続けながら!

あまりのさりげなさにビックリしてしまった。

まるで家族のようなかかわり方をしてもらっている
由紀子の幸せを再確認した瞬間でした。

ほんの何秒かの出来事でした。

その後先生がすぐに戻られて
何もなかったように歩いて行ってしまった。

わたしは独りでニコニコしながら
後について歩いて帰りました。



3日(火)

休みの日は朝からスケジュールを決めるのが
日課になってしまった。

1番はバリューのスーパー(食料品を買う店)

2番はマクドナルドのスーパー(最近できたスーパー)

3番はおうち・・・。

ここまで言うと必ず由紀子が
「4番は?」と聞くので困ってしまう。

なにを言わせたいのか?

4番はトトロのビデオで決まり!



4日(水)

11月の22日に保育園の同じ財団の
老人ホームのバザーがあって、

その時に保育園の子どもたちの作品展があります。

今年は先生に手伝ってもらって絵本を作ったとか。

どんなに仕上がっているのか今から楽しみ。



5日(木)

園児だけでの遠足。

園へ迎えに行くと両膝にカットバンが貼ってあった。

今日の勲章だった。

お風呂に入る時に剥がそうとすると

「おしまい。だめ」といい。

寝る時も

「だめ、O上先生」

といって剥がさせない。

もしかしてと思って

「O上先生が剥がしちゃだめっていったの?」

と聞くと

「そお~!」

と答えた。

なるほどです。

この魔法はO上先生にといてもらわなければ



6日(金)

先生のお手紙には
やはり先生が剥がしちゃだめと言ったと書いてあった。

先生の一言は由紀子にとって絶対なのかもしれない。

あと5ヶ月。

由紀子にO上先生の思い出がたくさんできますように、

そして忘れないように心に刻まれますように。

この出会いは由紀子にとってもわたしにとっても

最高の出会いだったと思います。



8日(日)

今日は保育のつどいに参加してきた。

福江市内の保育園が集まって
親子で運動を楽しんできた。

軽い気持ちで参加を申し込んだのだが、

プログラムを見ると園児だけで
かけっこがあったり
玉入れがあったり、

由紀子はちゃんとやれるだろうかと
少し不安になってしまった。

でも、かけっこは途中で少し止まったけれど
何とか完走できたし、

他の行事も何とか参加できた。

帰りに本部席で仕事をしていた
O上先生に挨拶にいったら、

よくがんばったと抱きしめてくださった。

先生も心配だったのだろう



9日(月)

久し振りの療育センターだった。

由紀子にとっても楽しみなのだが

私にとってもグループのお母さん達と
逢えることが楽しみです。

みんな就学の事で悩んでいる。

私だけではないのだ。



10日(火)

今日保育園の工作の時間に
はさみを鼻に突っ込んで、
もう少しで切りそうになったらしい。

先生が叱ろうと思った時、

子どもたちが

「そんな事をしたら危ないでしょう。」

と由紀子のことを叱ったそうだ。

叱られた由紀子は、

みんなが自分に注目しているのが嬉しいのか

ニコニコしていたと先生が笑っていた。

なんでハサミを鼻に?

きっとお父さんの鼻毛を切る姿のせいだ!



11日(水)

保育園のお散歩の時に武家屋敷通りに行ったら、

若竹のコンサートのポスターが貼ってあったらしい。

誰よりも先に見つけた由紀子が
「ともだちいっぱいコンサート」

と叫んだらしい。

まだ見たこともないはずのポスターなのに……

字を読んだのかな?



12日(木)

若竹のコンサートのリハーサルだった。

崎山保育園の保母さんが
ボランティアで来てくださっていたが、

休憩時間に

「保育のつどいの時、
由紀子ちゃんがんばっていましたね。
崎山保育園でも話題になっていたんですよ。
よく参加されましたね!
お母さんのがんばりに拍手です。」

と声をかけてくださった

その時は
「ありがとうございます。」
と言って楽しく話してきたのだが、

よく考えてみると保育のつどいに参加したことが
偉いということなのだろうか?

障害のある子を公の場に参加させることは、

保母さんにとっても大変な事なのだろうか?

そうだとしたら、

何も言わず当然のように受け入れてくださった

O上先生に拍手です。

リハーサルでは、

やはり「ドラえもんの歌」が受け入れられずに
耳を押さえて走り出すので、

1曲だけパスさせてもらうことにした。



13(月)

今まで毎朝見ていたポンキッキを
拒否するようになって数日になるが、

今度は他のテレビも見たくないと言って
泣き出すようになった。

テレビがみたいというお父さんと
消せという由紀子の戦いが大変。

泣く子に勝てないお父さんがあきらめるのだが、

コンサートの練習のストレスなのだろうか。

テレビを時計代わりにしていた私は
ペースが狂ってバタバタです。



14日(土)

保育園に先生方の
バザーの作品作りの手伝いに行った。

お昼寝の時間に行ったのだが

長くなってとうとうおやつを一緒に頂くことになってしまった。

由紀子はなんでいるの?

というような顔をして見ていたが、

横に座ろうとした私に
「バイバイ」といって
向こうに行けといった。

仕方なく他の子の側で食べた。

大学芋を食べる由紀子をはじめてみた。



15日(日)

コンサートだった。

音楽とスポーツの間に
鼻血を出して大騒ぎしたが、
何とかがんばってきました。

コンサートよりも嬉しかったのは

打ち上げの席でマイクを握って
「楽しいね」の歌を
一人で2番まで歌い上げたことだった。

若竹の会の中ではいつも一人遊びをして
あまり目立たない由紀子が

はじめて自己主張をした瞬間でした。



16日(月)

保育園の七五三お祝いの日だった。

聖マリア保育園では
毎年教会で神父さまの祝福を受けるのですが
その神父さまがコンサートに
友情出演していたバンドのメンバーでした。

みんなの前で、

「昨日のコンサートに聖M保育園の子どもも居ましたね?!
どのおともだちですか?」

といわれ

「はーい」と、
うれしそうに答えていたそうです。



17日(火)

コンサートが終わっても

朝のテレビを嫌がることは続いています。

シーンとした中で始まる1日もいいのですが、

やはりやりにくいです。



18日(水)

私のひざを枕にして
寝転がっている由紀子の耳が
ちょうど良い位置にあったので覗いてみたら

すると何も見えないほど耳垢が詰まっていた。

珍しく由紀子もじっとしているので
掃除をしてみたが
カチカチに固まっていて取れない。

どうしよう!

今まで一度も取ったことがないから……

なんだか大変なことになっているようです。



19日(木)

耳垢の事を誰に聞いても、
早く取った方が良いというので
お風呂上がりにもう一度挑戦してみた。

今日も由紀子はお利口でしたが、
硬くて取れませんでした。

明日病院へ行くことにしました。



20日(金)

ゆきこを連れて初めて耳鼻科に行った。

バスタオルにぐるぐる巻きにされ

3人の看護婦さんに押さえられて耳垢は取れました。

黒くなってカチカチと音のしそうな耳垢でした。

治療の間、

ひきつけを起こすのではないかというほど泣き続け、

肩には押さえられた時のあざまでできて

かわいそうな由紀子でした。



21日(土)

昨日泣きすぎたせいでしょうか、

咳が止まらず夜中に何回もおきて

親子とも睡眠不足になってしまい保育園をお休みした。

10時ごろまで寝た由紀子ですが、

起きてからは咳をしながらも元気いっぱい。



22日(日)

今日はマリアの園という老人ホームのバザーでした。

由紀子の保育園とは同じ財団になるので

子どもたちの作品展も同時にあります。

去年の由紀子の作品は

黒のマジックで
グルグルやテンテンをいっぱい書いてあるだけでしたが、

今年の絵は

「お父さん、お母さん、ねえーねえー(長女)、マーマー(次女)」

と添え書きのしてある家族の顔の絵でした。

1年の成長の大きさに家族で喜びました。

添え書きをしてくださったO上先生にも感謝です。

家族の呼び方まで覚えてくださって、

本当にありがとう。



23日(月)

今日はお休み。

由紀子の体調が余りよくないので

1日中家の中。

私は由紀子のパジャマを作りました。

保育園で着るパジャマは

全て私の手作りで通してきましたが、

とうとう最後のパジャマになってしまいました。

さびしい。



24日(火)

今日は保育園のやきいも大会で、

奥浦の保育園まで出かけた由紀子。

向こうの保育園の子どもたちと

何の抵抗もなく遊んでいたらしい。

保育園のみんなと一緒なら安心なのだろう。



25日(水)

誕生会だった。

今日は玉入れをしたとおたよりちょうに書いてあったので、

蒲団の中でいろいろ聞いた。

※由紀子は白組だったこと 

※白組が勝ったこと 

※ケーキにはみかんとパイナップルと
キュウイがのっていたこと…。

明日は先生にあっているか聞いてみよう。



26日(木)

正解だった。

お母さんが上手に聞き出しているんですね

とおたよりちょうにあった。

うれしい。

教育委員会から就学相談の結果が来ているので

出向くように連絡があった。



27日(金)

お父さんと2人で教育委員会に行って

特殊学級入級の意向を伝えてきた。

これで就学に向けての仕事が一段落した事になる。

悩んだ末に決めた事だから

これでよかったのだと胸を張っていこうと思う。



28日(土)

自分が持っているものを誰かに持ってもらいたい時に

「かして!」という由紀子。

私が由紀子のものを持ってやる時に

『かしてごらん!』というせいだろうか。

今はみんなにわかってもらえるから良いけれど、

小学校に入ったらそうは行かないだろう。

なるべく「持って」と言い直しをさせるようにしよう。



29日(日)

休みの日にはサティーに由紀子と出かける事が日課になった。

相変らず、おもちゃ売り場のビデオが苦手で、

毎回恐る恐る近づいてビデオを確認する。

映っている時はトイレに向かって突進していく。

その後、大回りして本屋さんへ……。

私はいつも由紀子の後をついて歩くだけで

何も買わずに帰宅する。



30日(月)

朝から鼻血が出て大騒ぎをして保育園に行く。

そのせいか今日はやる気がなかったらしく、

みんながトナカイを作る時も

いつもなら一緒にハサミや糊を出して用意だけはする由紀子が

今日は何もせずみんなを見ていたらしい。


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コメント (1)
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