畑に吹く風

 春の雪消えから、初雪が降るまで夫婦二人で自然豊かな山の畑へと通います。

ちょっとお出かけ(椿寿荘その2終わり)

2022-12-15 14:51:31 | 暮らし

 なぜここを訪れたかと言うと日曜から月曜日に掛け一泊二日の小旅行。

その際に、旧新津市に単身赴任していた際の行き帰りに脇をいつも通り過ぎていたから。

 一度は見て見たいと思っていて、宿泊地に行く前に立ち寄ったのでした。

庭は京都の庭師「広瀬万次郎」の作によるもので京風の枯山水。仏道の理に適うという。

 

 庭を見渡す、畳敷き二段廊下です。

驚きは右手上の庇を支える丸桁で長さ11間約20mもの吉野杉の一本物です。

 この長さがすべて同じ太さで、節の無い天然絞りの銘木には驚かされる。

どうやって運搬してきたかと言うと海路大阪から新潟へ。そして信濃川を船で運んできた。

 

 庭だけをアップしてみます。

奥の石の五重塔は須弥山を表したものと言われています。残念なのは紅葉が見られなかったことです。

 

 国鉄の民営分割に伴い、田上町が買い取り文化財として保存されている。

来客用の風呂場、トイレがあり古いながらも清潔で広大なもので驚きました。

 それに増して驚かされたのは、廊下を進み少し奥に行くと当主専用のそれがあり驚きました。

何代目かの銀行の頭取まて勤められた人物の肖像写真がありましたが気品があります。

 今のファッション通販であぶく銭をつかみ宇宙旅行を試みた品性に欠けた人物とは違います。

そして、この建物を建てた理由は、不況に苦しむ小作人に仕事を与える意味もあったと言うから本物の豪農の考え方は違います。

         (続く)

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ちょっとお出かけ(椿寿荘その1)

2022-12-15 04:24:31 | 暮らし

 越後には千町歩を超す水田を持つ豪農と呼ばれる家が5軒あった。

その中の一軒が田巻家でこの「椿寿荘」は離れ座敷だと言います。

 田上村には田巻姓の豪農が二家あり、こちらは原田巻家と呼ばれた。

幕末期の最盛期には所有地が千三百町歩にも及び、弥彦参りに他人の土地は通らずに行けたという。

 

 明治30年から建築の構想が始まり、大正三年から三年半の歳月をかけて作られた。

日本三大名工の一人と言われた越中井波の宮大工「松井角平」を統領に招き地元の人々を加えて建築。

この門などは別の名工小出源兵衛がそれより前に薬井門で、母屋に有ったものが移築された。

 

 二度の説明になってしまいますが、こんな案内板が掲げられている。

日本中の銘木と言う銘木が集められた。例えば吉野杉、木曾檜などです。

 

 総ケヤキ作りの仏壇です。漆塗りなどは施されていず質素にも見える。

しかし、この大きさはさすがです。この広大な建物が一時は国鉄の所有物でもありました。

 国鉄が保養所として使ったというが、どこを使ったのかと不思議です。

しかし、スベルベが在職当時支社の職員は「持ち出し」と称し、ここで仕事をしていた記憶があります。

       (続く)

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