母の思い出と只見線と(その1)
誰でも子供には母の実家は懐かしいものだと思う。母の里帰りでの気持ちの高揚が今も私の心の片隅に残っているのであろうか。
広神村の母の実家へは、上越線で小出駅まで行き、そこで只見線に乗り換え、C11形式の機関車に引かれた客車で越後広瀬駅へと向かった。もう少し時代をさかのぼると、小学生だった三人の姉は子供たちだけで歩いて行ったりもしたらしい。
当時、駅員無配置駅などは無くて、どんな小さな駅にも駅長をはじめとする国鉄職員が居た。そして、地域に溶け込み「今日はどこへ行くんだい」なんて気さくに話しかけられたものだった。
さて、その顔見知りの駅員から切符を買い求めて客車に乗り込み、二駅目が乗換駅の小出駅。天井が高くて長い喉に包帯をしたキリン、長い鼻に包帯をした象などの絵が描かれた耳鼻科医院のポスターなどが高い所に貼ってあったことも思い出。
古い、狭い跨線橋を渡ると只見線のホーム。何両かの客車の先頭にはC11機関車が、煙突から白い煙を出しながら連結されている。ホームのベルが鳴り終わり、発車合図の汽笛が鳴り、ゆっくりと走り出しホームを離れる。
走り出してすぐの、カーブした魚野川鉄橋を渡ることなど、胸をワクワクさせるに十分なものでもあった。
(続く)