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樹木は樹木のすがたに顕現した神である

2017-03-23 09:37:12 | 日記
聖経「甘露の法雨」の中に
「万物はこれ神の心」という一節があるが、
「神の心」というのは
一体何のことであり、
何を意味するのであろうか、
そのことを説明する良い文章が見つかった。

(参考 心と運命 谷口雅春著)
<樹木は樹木の様相に顕現せる神なり>
此処まで来れば、吾々は一般的に事物を「宇宙霊」が思い浮べた観念であると云っても好いであろう。「霊」は心であり、「心」は「想念」によって活動するが故に、「心」が顕現したところの一切のものは想念を通じての創造であり、従って一個の「観念」でなければならない。それは吾々が通常「観念」(単なる心象)として考ふるもの“より”以上のものであることは真実である―何故なら、それは一定の霊知性を備えて活動するからである。例えば樹木は樹木を想念するところの神であり、また神が自己の想念を通じて、樹木を顕現したものであると云う方が、一層完全な言いあらわしかたであろう。何となれば、かかる過程こそ「宇宙の本体」たる「霊」が自己を顕現し、己が想念するところの事物となって発生し、従って所謂る「創造」を営むところの方法であるからである。

谷口雅春氏は
また「神の心」について
神の「理念」という言葉でも説明しているが、
それについては
別の時にご説明させていただきたい。


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