昨日書かせていただいたように、
悟りを得るために行う神想観は
私としては行う必要性を感じなくなった。
既に実相においては「神人」であることを自覚している人間が
さらに神になることを求める必要はないからである。
だから
これはあくまでも私の場合にすぎないが、
実相の悟りを求めて捩り鉢巻きで
神想観をする気持ちが
すっかり消えてしまったのである。
だが神想観というものが不必要であるなどと
私は言うつもりはない。
既にある実相の無限の恵みを
現象化するための神想観は必要なのであって、
私はこのための神想観を
しっかりしていくつもりである。
神想観についての解釈は
私個人の私の状況に応じての解釈であるから、
これを一般化などできないことは、
勿論のことである。
悟りを得るために行う神想観は
私としては行う必要性を感じなくなった。
既に実相においては「神人」であることを自覚している人間が
さらに神になることを求める必要はないからである。
だから
これはあくまでも私の場合にすぎないが、
実相の悟りを求めて捩り鉢巻きで
神想観をする気持ちが
すっかり消えてしまったのである。
だが神想観というものが不必要であるなどと
私は言うつもりはない。
既にある実相の無限の恵みを
現象化するための神想観は必要なのであって、
私はこのための神想観を
しっかりしていくつもりである。
神想観についての解釈は
私個人の私の状況に応じての解釈であるから、
これを一般化などできないことは、
勿論のことである。
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