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“実相世界”とは“神の第一創造世界”と言換えることが可能

2018-09-28 10:16:46 | 日記
“実相”というものは
神の第一創造である理念世界であることが
聖典『神癒への道』を読み分ってきました。
ですから実相を観じるということは、
“神の第一創造世界”を観じることと
同一であったわけです。
大分実相と現象の区別が整理されてきた感があります。
実相が現象に時空展開をしていると言っても
現象の方から実相にせまることはできないので
神の第一創造世界をつかむため、
それに神想観で肉迫していくしか
方法はないと思っています。
時間と空間が本当にあるものではないと悟ることが
真理を極める必要条件だと思いますが、
ツェノンのような学者の説も面白いですが、
私の場合は
生老病死のような不幸な出来事があること自体が
現象は本当にあるものでなくウソの世だと思い
現象人生を「真実ならず」と思い込んでいるので
それでいいのだと思います。
つまり“現象(時空世界)は実在でない”ということです。
(参考『神癒への道』(谷口雅春)日本教文社)
【詰りガスの火の形はガス“そのもの”でないのであって設計家の心の中にある。それと同じく人間の形は肉体そのものの中にあるのじゃないのであって、人間を設計した神様の心の中にある。その心的存在即ち「理念の人間」が本当の人間であって、「人間」とは神様の心に描かれたところの姿なのであります。即ち「理念」でありますから、人間は砕けようがないのです。即ち永遠不滅の人間であって、釈迦が涅槃経で説いた、仏身、法身、金剛不壊身、非雑食身であって、決して食べ物をこね上げて造ったものではないのであります。
しかし、その実相身、法身は五官の方からは見えない。五官の方から見えるのは、そこから映し出された影の方ばかりである。影の方は映画のようになって、養分が交替して見えているのであるから、やがて交替が止れば死んでしまうということになっているのであります。そういうわけで吾々の本当のいのちというものは死なないものである。永遠の存在であるということを釈迦もキリストも言ったのであります。】