旅と宝塚と写真好きジジ

現在、過去、未来の旅日記、花や風景写真、宝塚、相撲、ポケモン、ハリポタゲーム等について投稿しています。

桜便りを聞くと大空襲を思うジジ

2017-03-19 15:27:16 | 雑感+時折「旅の思い出ミニ写真展」添付

春爛漫、桜満開近しの気配のする今日この頃になると思い出すのは太平洋戦争末期の大空襲。戦後一貫して平和が続き、その中で起きた自然災害の死者を悼む声は巷に満ちていますがそれでも風化が言われています。戦時中の大空襲で大勢一般人も亡くなったと言う事実はもっと風化してしまいました。

小さな空爆が続き始め、本土決戦の噂が子供心にも戦争の恐怖を駆り立てていた頃。それでもまだ暢気に空襲警報が出ているのに、給食のコッペパン欲しさに粘って、貰うと脱兎の様に駆けて帰りました。当時まだ本当の恐ろしさが誰にも判って無くて、庭に小さな防空壕を掘ったり、押し入れの前に色んな物を積み上げて作った防空室様なものに深夜警報が出ると入って解除まで待つと言うような日々が続きました。

そうした3月のある夜空襲警報が出て、海岸寄りの方にまるで花火の様に焼夷弾が一挙に落ちてきて燃え上っているのを山手に住む者はまだのんびり高みの見物していました。そうこうする内にまるで街中を照らしているのではと思う程の明るい照明弾が頭上に落ちてきて、一挙に焼夷弾が落ち始めそこら中の家屋がワッと燃え広がりました。

辺り一面は火の海になりもうどうしていいか判らない状態でしたが、幸運にも途中で風向きが変わりジジの家まで延焼はありませんでした。夜が明けると辺り一面煙で何も見えず、被災した人が大勢海岸の方から山手へ逃げてこられました。その後6月にも工場群主体の爆弾空襲があり街は壊滅しました。最後まで躊躇っていたジジも半強制的に集団疎開へと駆り立てられました。

それにしてもあれだけ大勢の人が亡くなった戦争なのに、それにより亡くなった方々の慰霊祭は部分的にはあっても全国的な慰霊が行われていないのは何故でしょうか。いつも言いますが戦争と地震はもうこりごり、保守色を進める政権が世界中で増え始めたキナ臭い昨今。2度と戦争は起きない、起こさない、起きてはならない。あんな悲惨なものは無いと思うジジです。

 

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