ようこのかまど

おいしいからうれしくなるのかな、うれしいからおいしくなるのかな。

飴色玉葱

2017年08月24日 | ひとり飯 ~持続可能な生活会議~
タイトル書きながら、中学生のときに夢中になった空色勾玉という本を思い出しました。
…はい、それだけです笑


このローテ期間中さいごの料理はカレー。
うっかり飴色玉葱を使うレシピを選んだために、いったん空いたお腹も落ち着いちゃう長時間コースになりました。
白色透明の玉葱の薄切りがいつか飴色になることを信じ、火力を強めたくなる心をぐっと堪え、汗ダラダラかきながら炒め続けることは
最初に覚悟を決めればできないことではないわけです。
たとえ、最初に提示された出来上がり時間が予告なしに何度も延びたとしても。


*****


あーなに待ってたんだろ。ばっかみたい。
って一晩こころの中で呟き続けてやっと頭が動き出しました。
たぶん私は、もっと強い証しが欲しかったんだと思う。人間のする証しなんてあてにならないのは自分が証明したくせに。
…もしや過去を繰り返している?立場は逆で。
ああ……

先日、他院の先生を案内した時にお渡しした新しい名刺を見ていた私の師匠が
後の懇親会で酔っ払って、名刺に心療内科って書いてあったのがすごく嬉しかったと教えてくれました。
志望科はだいぶ前から宣言していたし、他のみんなもそのつもりでいるし、むしろ(まだただの内科専攻医なので)載せるのはおこがましいと思われるかな…と考えていたくらいで、そんな気持ちにさせてたなんてちょっと驚き。
伝わりきらないものだな、と思ったのを思い出しました。

スケールは違うけれど、
信じることがいろいろな前提になるのであり、信じられるようにといろいろな証しもあるけれどそれを見て自分と関連付けるにも信じることが必要なわけで
信じること自体は結局ジャンプなんだって、このまえ教わったこともリンク。

私はどちらかというと影響を受けやすい、というか
ラッキーなことにその点であまり苦労してこなかった方だと思っていたけれど
実は無意識のうちに信じきれていない自分がいたのかなあ。

自分のこととなると自分中心にしか考えられなくなって、手遅れになるまで気付かないことの多いこと…
まだ待てる、私は。だって考えることに退屈していないから。
ほんとはもうちょっと他のことで頭をいっぱいにして忘れられる時間もあるとラクだけど!(今夜も本当にPHSが鳴りません…)

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