旅で知り合った友人が亡くなっていた。
彼女とは、帰国後も、互いに大阪にいるということもあって、たまにではあるが会って、飲んで、話したりする仲だった。
コロナ禍が始まったあたりで、大阪から東京に居を移し、新しい環境でいろいろなことにチャレンジしているようにみえた。
最近、共通の知人が神戸で飲んでいるときに、同じ店の中で彼女っぽい人がいるとメッセージを送ってきたことがあったのだが、友人が聞き耳をたてていたその人の話の中で、結婚をしていたり、38歳だったということから、それはまったくの他人の空似ということがあった。
確かに、最近彼女と連絡とっていないなぁとなんとなく思っていたり、それまでfacebookやTwitter、tumblr、noteなどで情報の発信があったが、ここんところ止まっていたのも何となく気付いていた。まあ、いろいろと忙しいのだろうと思い込み、こちらからコンタクトをとるわけでもなく、日が過ぎていた。
長い旅にはあまり出ない人だったけれど、常に個性的な旅をしていた。
最初は東南アジアやインドに興味があったようだったが、近年は東欧や中東などを旅していることが多かった。日本人があまり行かないようなエリアでも、海外のサイトなどから情報を得て、短期間でよくぞと思えるような旅をする人だった。
そして、旅先で撮った彼女の写真が、とても魅力的だった。そして、写真だけでなく、書く文章も彼女の性格がにじみ出ているような、やさしさに包まれた温かなものだった。
彼女は2冊の本を上梓し、そして旅立っていった。
彼女は、2022年8月に亡くなっていた。
直接に連絡を受けたわけではないけれど、最後となった本に携わったデザイナーやその関係者のブログやツイートなどからしか、彼女の訃報はわからないけれど、幾人もの人が同じ情報を同日に発信していたり、彼女からの情報発信がなかったことや、僕が送ったメッセージも既読がつかないことから、やはりこれは事実なのだと思う。彼女は、もう、いない。
亡くなる半年ほど前に、メッセージのやり取りをしたのが最後だった。完成した本に、次に会うときはサインをしてほしいとねだっていた。ねえ、まだサインもらってないんだけど。
生前、彼女は闘病を続ける中で、容姿も変わっていっていただろうし、人とはあまり会いたくなくなっていたのかもしれない。小さな体でちょこまか動き回り、甲高い声で笑顔を振りまいていた彼女。旅先で撮ってくれた写真は僕のベストポートレートだし、プリーの床屋のオヤジに断って、散髪をしてくれたのもいい思い出だ。
そういえば、彼女の死を知った昨日は、彼女の初盆だった。
いろんなところを旅しているのだろうけれど、彼女が好きだった高校野球が開催しているこの期間だけは、甲子園の特等席で観戦するために、戻ってきているのかもしれない。
彼女とは、帰国後も、互いに大阪にいるということもあって、たまにではあるが会って、飲んで、話したりする仲だった。
コロナ禍が始まったあたりで、大阪から東京に居を移し、新しい環境でいろいろなことにチャレンジしているようにみえた。
最近、共通の知人が神戸で飲んでいるときに、同じ店の中で彼女っぽい人がいるとメッセージを送ってきたことがあったのだが、友人が聞き耳をたてていたその人の話の中で、結婚をしていたり、38歳だったということから、それはまったくの他人の空似ということがあった。
確かに、最近彼女と連絡とっていないなぁとなんとなく思っていたり、それまでfacebookやTwitter、tumblr、noteなどで情報の発信があったが、ここんところ止まっていたのも何となく気付いていた。まあ、いろいろと忙しいのだろうと思い込み、こちらからコンタクトをとるわけでもなく、日が過ぎていた。
長い旅にはあまり出ない人だったけれど、常に個性的な旅をしていた。
最初は東南アジアやインドに興味があったようだったが、近年は東欧や中東などを旅していることが多かった。日本人があまり行かないようなエリアでも、海外のサイトなどから情報を得て、短期間でよくぞと思えるような旅をする人だった。
そして、旅先で撮った彼女の写真が、とても魅力的だった。そして、写真だけでなく、書く文章も彼女の性格がにじみ出ているような、やさしさに包まれた温かなものだった。
彼女は2冊の本を上梓し、そして旅立っていった。
彼女は、2022年8月に亡くなっていた。
直接に連絡を受けたわけではないけれど、最後となった本に携わったデザイナーやその関係者のブログやツイートなどからしか、彼女の訃報はわからないけれど、幾人もの人が同じ情報を同日に発信していたり、彼女からの情報発信がなかったことや、僕が送ったメッセージも既読がつかないことから、やはりこれは事実なのだと思う。彼女は、もう、いない。
亡くなる半年ほど前に、メッセージのやり取りをしたのが最後だった。完成した本に、次に会うときはサインをしてほしいとねだっていた。ねえ、まだサインもらってないんだけど。
生前、彼女は闘病を続ける中で、容姿も変わっていっていただろうし、人とはあまり会いたくなくなっていたのかもしれない。小さな体でちょこまか動き回り、甲高い声で笑顔を振りまいていた彼女。旅先で撮ってくれた写真は僕のベストポートレートだし、プリーの床屋のオヤジに断って、散髪をしてくれたのもいい思い出だ。
そういえば、彼女の死を知った昨日は、彼女の初盆だった。
いろんなところを旅しているのだろうけれど、彼女が好きだった高校野球が開催しているこの期間だけは、甲子園の特等席で観戦するために、戻ってきているのかもしれない。