放浪日記

刮目せよ、我等が愚行を。

ちーちゃん

2023年08月14日 | 大阪編集精進道
旅で知り合った友人が亡くなっていた。
彼女とは、帰国後も、互いに大阪にいるということもあって、たまにではあるが会って、飲んで、話したりする仲だった。
コロナ禍が始まったあたりで、大阪から東京に居を移し、新しい環境でいろいろなことにチャレンジしているようにみえた。

最近、共通の知人が神戸で飲んでいるときに、同じ店の中で彼女っぽい人がいるとメッセージを送ってきたことがあったのだが、友人が聞き耳をたてていたその人の話の中で、結婚をしていたり、38歳だったということから、それはまったくの他人の空似ということがあった。
確かに、最近彼女と連絡とっていないなぁとなんとなく思っていたり、それまでfacebookやTwitter、tumblr、noteなどで情報の発信があったが、ここんところ止まっていたのも何となく気付いていた。まあ、いろいろと忙しいのだろうと思い込み、こちらからコンタクトをとるわけでもなく、日が過ぎていた。

長い旅にはあまり出ない人だったけれど、常に個性的な旅をしていた。
最初は東南アジアやインドに興味があったようだったが、近年は東欧や中東などを旅していることが多かった。日本人があまり行かないようなエリアでも、海外のサイトなどから情報を得て、短期間でよくぞと思えるような旅をする人だった。
そして、旅先で撮った彼女の写真が、とても魅力的だった。そして、写真だけでなく、書く文章も彼女の性格がにじみ出ているような、やさしさに包まれた温かなものだった。
彼女は2冊の本を上梓し、そして旅立っていった。

彼女は、2022年8月に亡くなっていた。
直接に連絡を受けたわけではないけれど、最後となった本に携わったデザイナーやその関係者のブログやツイートなどからしか、彼女の訃報はわからないけれど、幾人もの人が同じ情報を同日に発信していたり、彼女からの情報発信がなかったことや、僕が送ったメッセージも既読がつかないことから、やはりこれは事実なのだと思う。彼女は、もう、いない。

亡くなる半年ほど前に、メッセージのやり取りをしたのが最後だった。完成した本に、次に会うときはサインをしてほしいとねだっていた。ねえ、まだサインもらってないんだけど。

生前、彼女は闘病を続ける中で、容姿も変わっていっていただろうし、人とはあまり会いたくなくなっていたのかもしれない。小さな体でちょこまか動き回り、甲高い声で笑顔を振りまいていた彼女。旅先で撮ってくれた写真は僕のベストポートレートだし、プリーの床屋のオヤジに断って、散髪をしてくれたのもいい思い出だ。

そういえば、彼女の死を知った昨日は、彼女の初盆だった。
いろんなところを旅しているのだろうけれど、彼女が好きだった高校野球が開催しているこの期間だけは、甲子園の特等席で観戦するために、戻ってきているのかもしれない。




桜切られた

2023年03月01日 | 大阪編集精進道
目の前の公園から桜の枝が徐々に我が家のベランダに向けて伸びてきて、ここ数年はベランダの中に入ってきて、自宅にいながら花見ができるようになっていた。

ところが昨日、外が騒がしいと思っていたら、公園に造園業者がいて、草刈りするついでのように、我が家が愛でていた桜の枝がスッパリ切られていた。

家のベランダに枝が入り込むのは、行政的にも良くないことかもしれないが、本当に悲しくなった。
もうすぐ春なのに、今年はいつものように楽しめないなんて…。

この桜の枝がなくなったら、この家にいる意味ないなぁなんて言ってたけど、そろそろ転居を考える時期に来ているのだろうか…。



コロナの名前

2023年02月16日 | 大阪編集精進道
2類から5類に変更されるタイミングで、コロナも名前代わるんだ。
2019なんて数字がつくと、今後また流行ることもふまえての名付けに見えてくる。
世界中すべての人が何らかの影響を受けたパンデミック。存在することが当たり前の世界になっていくんだと、少しずつ変わっていくんだなと。

再発か?

2023年02月14日 | 大阪編集精進道
もうかれこれ十年以上前。
「良発性頭位めまい症」を発症して、脳がクラッシュしたと勘違いして焦ったり、グルグルを楽しんでいたのだが、いつの間にか収まっていた。

ところが、先週くらいから、寝起きにグラッとめまいの欠片のような感じを覚えるように。

「良発性頭位めまい症」再発したかもしれん…。



放置しすぎた

2023年02月13日 | 大阪編集精進道
ブログ、7月以降まったく書いてなかった。

ウクライナの戦争はいまだ続いているし、各地で自然災害も多い。変な気球が飛ぶ世界は、相変わらず混沌としていて。

そんな中でも、ようやくコロナ収束の目処がたったのは、数少ない良いニュース。
年末には三年ぶりの海外旅行にも行けた。

一度はアンインストールしていたブログアプリを入れたので、つぶやき的に投稿していければと皮算用している。

こんな世界に

2022年07月20日 | 大阪編集精進道
大災害、テロリズム、異常気象、パンデミック、戦争、ジェノサイド、暗殺…。
子どものときに想像していた21世紀って、明るい未来だったのに。
まさか、こんな世の中になるなんて。
とはいっても、毎日お腹がすくし、眠たくもなる。
僕たちは、生きていかなければいけない。
それが、どんな世界であっても。

ガンシセイノウホウ(3)

2021年11月22日 | 大阪編集精進道
入院初日。

病院から事前にもらったパンフレットを参考に準備した、前開きのパジャマやタオル、箸やスプーンなどのアイテムを放り込んだバックパックをかついで家を出た。
コロナの影響で、入院期間中は病棟から出られないということを言われており、病院内にあるコンビニへの出入りも禁止ということなので、お茶やゼリー飲料などの食料も大量に持ち込んだ。
朝10時に病院の入院窓口に行き、簡単な説明を受けた後、自分1人で入院病棟まで向かう。
あわただしいナースセンターの窓ガラスをノックし、入院する者ですが…と声を掛けると、ベテラン看護師がベッドに案内してくれた。
4人部屋だが、すべてカーテンがしまっており、入院患者同士がコミュニケーションをとったりすることは、どうやらなさそうな雰囲気だった。

看護師さんから入院時の病室使用の説明や、トイレなどの場所を案内され、また来ますからとベッドに放置された。
バックパックから荷物を取り出し、使いやすい位置に置く。なんだか懐かしい感じだ。旅をしていたときは、新しい宿に着くたび、部屋の設備を確認し、自分の荷物を一つずつ部屋の中に配置していた。何百回と繰り返したあの感覚。
病室と宿の差はあるものの、窓の外には初めて見る景色が広がっているし、大部屋がドミトリーだと思えば、旅の空の下にいる気になってくる。

この病棟は、僕がかかっている口腔外科のほかに、耳鼻咽喉科の患者も入院しているらしい。
同室には、カーテンで隠れているのでよくわからないが、絶えずピューピューと音をたて、からんだ痰を出すため時折咳き込む爺さんがいた。その音は、どうやら気管に差し込まれている管から出ているようだ。気管切開は大変だよな…と同情していたら、ブッ、と放屁なされた。その後もピューピュー、ゲホッゲホッ、時折ブビッ。その音が絶え間なく続く。先の2つは仕方ないとしても、胃腸は健常なのではと思うと、その放屁にだけ腹がたってきた。
放屁爺の隣のベッドには、僕から遅れること30分、新しい患者が入ってきた。親知らず2本を抜く手術を明日受けるらしい。へー2本なんだ、僕は4本だからね。と病気マウントをとってしまいそうになるが、ぐっとこらえ、心の中だけでつぶやいた。

特になにもすることなく、スマホをいじりながらベッドで寝転んでいると、熱と血圧を測りますねとヤング看護師が訪れたのをきっかけに、栄養士、看護師長が次々と挨拶に訪れる。そのたびに、あ、こりゃどーも、お世話になります。とへこへこして、挨拶を返した。

だいたい1時間に1回くらい何かがある程度で、基本は暇である。病室に入った以上、どこにも行けない。
そういえば、外を歩いている格好のままでいたのだが、いつパジャマに着替えればいいのだろう。通りがかった看護師に聞いてみたら、もうしばらくしたら外来と麻酔科での説明があるので、それ以降のほうがいいのでは?と返される。
そういうイベントがあることを初めて知る。病棟から出られないのではなかったのか。なんだかいいかげんな感じだ。
いろいろやるべきことはあるっぽいが、特に何も知らされていないので、いつかかるともわからない呼び掛けまで、ひたすら待機の時間であった。

小学校の給食を思い出させる昼飯を食べた後、外来へ行ってください。と看護師から告げられる。付き添いの看護師もおらず、道順を教えてくれただけで、自力で向かえとのこと。
エレベーターに乗って、長い廊下を歩き、外来へ。
すでに昼を過ぎているが、大勢の患者さんがソファに座って、自分の順番を待っている。そこに腰掛けながら、この状況が半分外にいる状態だと気付く。
外来で呼ばれたため、診察室に入ると、明日の手術担当という医者(若い女性)から手術の説明を改めて受け、口の中のクリーニングを兼ねた診察を少々。では、明日よろしくお願いしますねと、診察終了。このまま自分の病室まで戻れとのこと。
本当はやっちゃいけないんだろうけど、この隙にと、コンビニに行った。
特に何か欲しいわけでもないが、行けないと言われると言ってみたくなる不思議。あんまり目立つことをやると怒られそうだったので、ポケットに入るくらいのささいな買い物をし、こっそり病室に戻った。

(つづく)

ガンシセイノウホウ(2)

2021年11月08日 | 大阪編集精進道

大学病院ではさんざん待たされた挙句、歯医者と同じようにレントゲンを撮られ、さらにCTスキャンも撮られた。
そして、歯医者の先生と同じことを言われた。
「で、いつ入院しますか? 手術は火曜日と金曜日なので、月曜日か木曜日からの入院でお願いしたいです」
そう急かされても、中途新入社員の僕は、以前のように自分の都合で休みを決められない。
「入院はいつでもご都合のよいときで大丈夫ですが、なるべく早くに行うことをおすすめします」

会社では先輩社員、上司に報告。
とりあえず大きな波が終わる10月後半まで待てるのかと聞かれ、それは問題ないと伝えると、可能であれば11月に入ってからのほうが部署としてはありがたいと言われた。そして、入社して半年未満のため、有給休暇がないということも。

手術の空き、仕事の都合などを考え、入院は11月8日からに決まった。


手術の説明を聞きに行く。
入院前にPCR検査を受ける。
などで、2回ほど通院して、いよいよ入院の日を迎えた。

(つづく)



ガンシセイノウホウ(1)

2021年11月07日 | 大阪編集精進道

「ガンシセイノウホウ」です。
最初何を言われたのか、さっぱり分からなかった。

コロナの流行以降、久しく歯医者に行っていなかった。もう二年は行っていないのかもしれない。
奥歯の調子が悪くなり始め、なんとなくしみるようになってきた。気になり始めると、日増しに痛みが強くなってきている気がする。

これまでは京都の職場近くの歯医者に通っていたが、転職したことで、かかりつけの歯医者がなくなってしまった。
日本では、いまやコンビニよりも歯医者のほうが多いそうで、家の近くにもいくつも歯医者は見かけるのだが、当たりはずれを考えると気軽に足を運びにくい。
そこで、歯科衛生士の友人に連絡し、僕の自宅もしくは職場の近辺で良い歯医者がないか尋ねてみた。
隣駅に大学病院の口腔外科で働いていた知り合いが歯医者を開業したという。
さっそく予約を入れ、行ってみた。

初診のため、状況を聞かれ、レントゲンを撮ることになった。
新しくできたため、設備のすべてが新しい。
診察台も心なしかクッションがいいようだ。
レントゲンの結果も、昔のように現像するのではなく、データでiPadに送信され、診察台に座りながら結果を確認することができる。
「虫歯で来ていただいたんですけどね、」
医者はちょっと間をおいて、
「それより先にお話しなければいけないことがあります」

レントゲンを見ると、立派な親知らずが上下左右にしっかりと写っていた。
「で、ここを見てほしいんですけれど」
左下顎の親知らずを指して、
「歯の頭に大きな丸い物が写ってますよね」
風船のように膨れた丸い物が歯の先端を覆うように写っている。
まるで、パイシチューのようだ。

「ガンシセイノウホウ」です。
えっ? 最初何を言われたのか、さっぱり分からなかった。
「含歯性嚢胞と言います。おそらく良性のものだと思いますが、これほど大きなものはなかなか見たことがないです」
大きいね、なんて、初めて言われた…。すこしこそばゆかった。
「下顎などに痺れなどはないですか?」
特にないと伝えると、それはよかったと医者は微笑んだ。
「いまは無症状かもしれませんが、これからさらに大きくなると、神経を圧迫して、顎の表面の感覚がなくなってきます。そして、下顎の骨を浸食してきます。顎が骨折しやすくなったりすることもあります。大きな病院に紹介状を書くので、すぐに行ってください。まず間違いなく、手術で抜歯することになります。全身麻酔をかけての手術です。入院も3~4日間は必要になります」
奥歯の痛みを忘れるくらいの話だった。
ただ、虫歯を治してほしいだけだったのに…。

僕は大学病院への紹介状を持たされ、歯医者を出たのだった。

(つづく)