放浪日記

刮目せよ、我等が愚行を。

ズレてきているのか、俺は

2006年02月28日 | 半死的世界旅行
インドにて。
モリモリの葉っぱではありますが、日本でこんだけ持ってたら大金持ちになれるでしょう。
インドではあくまでふつー。持ちたければ持てるし、吸えるって感じ。


先日、当ブログにてゴアでのケミカルドラッグについて書きました。
ここにコメントを書いてくれた人、メールにて意見をくれた人、ありがとう。
書くことは残ることです。勇気がいります。それなのに、書いてくれたということに関して本当に感謝です。
何の反応もなかった人たちも、何の感想も持たなかったかというとそうでもないだと思っています。よくわからない、専門外だ、書くまでないとか、俺が書くほどの値打ちがないとか、まあ、いろいろな意見があって、そういう選択肢を選んだのだと思いますので。別にそれはそれでしっかりとした選択だし、こんなわけのわからない、どうでもいいことよりも、本当に読んでくれるだけでありがとうと思っています。



僕は今旅をしていて、インドを旅していて、しばらく日本とは縁遠い世界にいる人間です。
日本でなにが起こっているのか、ぶっちゃけ何も知りません。
昨日ようやくホリエモンが逮捕されたことを知ったくらいなので。


圧倒的多数のインド人や外国人に囲まれて、また日本人に会うといってもしょせんは海外をぶらぶらしている「ろくでもない」日本人たちなので、ますます世間でいうところの常識から外れていっているのではないかと、不安になることもあります。

今69歳の御大と一緒に旅をしているのですが、もし僕が彼くらいの年齢であるとするならば、そのあたりは開き直って楽しむのでしょうが、僕の帰る場所は日本以外にないと思っているので、どこかで日本人である自分と、日本人から乖離していき始めている自分を比較しながら旅をしているという現状です。
そして、むしろその乖離を書くことで、自分が楽しんでいるという感じです。


ドラッグの賛否についてこのブログ上で語る気にはなりませんが、おそらくこのブログを読んでいる皆さんは、僕の日本での生活を、日本で生活している日本人としての「にいや」をご存知の方が大半でしょう。
そんな「にいや」は海外に出て変わった…のかもしれません。
けれど、僕自身はまったく変わった気がしていません。
その気になれば日本人だもの、日本の生活にすぐに戻れる自信があります。
だってそうでしょ。
28年間培ってきた自分のアイデンティティを、たった数ヶ月の旅ですっかり変えられる?
そんなヘボい28年間は歩んでこなかったつもりです。
何かを求めるために旅に出る。
そんなウンコちゃんな考えは、もう19歳のときに捨てました。
旅に出ても、僕は僕。


だから、これからもそういった関係の記事を書くこともあるかもしれませんが、それはあくまでも旅という「ゲーム」のなかの記事であることを明記しておきます。
たしかに僕が経験したことかもしれませんが、それが僕のすべてではないし、それにハマっていて日常生活を送りたくないよ~なんてたわけたことを書く気もありません。


なんかよくわからないことを書いてしまいましたが、とりあえずこの葉っぱは全部吸いきってやったということで。

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悪評高い町なれど

2006年02月28日 | 半死的世界旅行
悪評高い町、カルカッタ。
汚い。臭い。空気が悪い。人がしつこい。物価が高い。観光名所っぽいところがない。



はい、そのとおりでございます。

カルカッタを褒めようとしてもでてくる言葉はあまりない。
それに反して、けなそうとするといくらでも言葉が浮かんでくる。



でもね、僕はこの街、案外好きなんだよね。
実際に一週間もいると空気の悪さに咽喉をやられ、風邪を引いてしまうこと確実の街なんだけど、好きなんだよね。

その魅力は、よくも悪くもインドっぽいというところ。
インドの首都デリーは、インドっぽい下町が残っているけれど、いかにも首都ですって感じの、整然とした「造られた」町並みがあるのがどうも気に入らない。
ムンバイ(ボンベイ)は、イギリス文化をモロに受け、堂々と自分たちの文化を主張しているけれど、それはインドっぽいかと聞かれると、どうも英国っぽいと言わざるを得ないところが、インドではないと思う。
チェンナイはどこか中途半端。南インド一の街だけど、南インドは、今回旅をしてみて、インドっぽいところと独自のタミル文化圏がごっちゃまぜになっている。チェンナイをしてインドと言えると断言はできない。

で、残ったのが、カルカッタ。
確かにこの街はベンガル文化圏に属し、インド文化とは微妙に違うものの、かつての英国文化を確実に引きずっているし、インドの持つ貧困も混乱も、臭いも、カーストもあからさまに感じることができる。
観光名所がないぶん、カルカッタそのものが名所なのだということもできる。
玄関口ハウラー駅では毎日信じられないほどの人間たちが、大混乱の中移動をはじめているし、その横の悪臭漂う川では、信じられないかもしれないが、へどろが浮いている川で洗濯をし、歯を磨き、行水をしている低カーストの人間たちがいる。
一方で、オベロイ・グランドに代表される豪華ホテルでは、インドの雰囲気を微塵も感じさせない素晴らしいサービスが(金持ち限定だが)受けられる。
これをインドと呼ばすして、なにがインドなのだろう。

かくして、僕はカルカッタこそ本当のインドっぽいと思うのである。
まあ、反論はいろいろあると思うけどね。


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また風邪ひいた

2006年02月28日 | 半死的世界旅行
やはり風邪ひいた。

インドに来て、覚えているだけで3回目。
気温が急激に変わるところにくると体調を壊すことが判明した。
(こんなこと判明してもちっとも嬉しくないんだが…)

ラジャスタンに入り、昼夜の温度差が激しくなり、また空気も断然乾燥してきた。
いままで南インドにいて、昼夜関係なく暖かいというより暑い環境から、一気に砂漠気候へ。海辺の湿気の多い空気から、一気に乾燥した空気に。

毎度のごとく、鼻をやられ、咽喉をやられ、風邪を引きました。




しばらくこの町で休養…と思ったけれど、あんまり僕はこの町が好きになれないので、風邪の身体にムリを言わせ、一気にジャイサルメールというインドの西果てに近い砂漠の町に移動することにしました。

砂漠で引いた風邪は、砂漠で治るに違いないと願いつつ…。
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こんなんじゃないの

2006年02月26日 | 半死的世界旅行
ラジャスタン州に入り、僕が楽しみにしていた砂漠の民に会えるかと期待に胸を膨らませていたのですが、


そんな雰囲気ちっともないの。


ふつーにインドの町っぽいの。


こんなん、僕のラジャスタンじゃないの。







たぶん西の果てまで行かないとラジャスタンらしい、インドの砂漠らしい雰囲気はないのだろう。
だから、ちょっと急いで、そっちに向かうことにすますた。


砂漠の民に、早く会いたい!

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さて、問題です

2006年02月26日 | 半死的世界旅行
問題「この写真に写っている男の名を挙げなさい」






ヒント「この写真はインドのカルカッタ(コルカタ)で撮りました」






さて、わかるだろうか?


インドを旅していた人間ならわかるかもしれない。
旅の本をよく読む人、猿岩石のヤラセ旅番組を見ていた人ならわかるかもしれない。




答え「サトシ」。
パラゴンの横にいる、サトシ。






この男、日本語がかなりうまく、っていうか、もう日本人の域に達している。
職業は土産物屋。
バックパッカーが多い、カルカッタのサダルストリートにある、人気宿「パラゴン」と「マリア」のあいだで、屋台を出して、旅行者に土産物を売っている。
見た目は確かにあやしいのだけれど、かなりのいいやつで、体調を崩して困っている日本人を助けたり、トラブルに巻き込まれたときは助けてくれたりと、もちろん仲がよくならないといけないが、使えるヤツなのだ。

僕は、かつて初めてインドへ行こうと思って、いろんな旅人から情報を教えてもらっていたとき、必ずこの「サトシ」の名前が出てきた。
「カルカッタにいったらサトシによろしく」
「サトシってやつがいるから会ってみな」と。
インドを訪れる日本人旅行者のあいだで知らない人はいないと思っていた。



今回カルカッタでサトシと話していたとき、サトシが僕につぶやいた。
「最近日本人の客、けーへんねん」(なぜかサトシは関西弁だ)
「え? どうして?」
「なんかな、俺みたいに日本語ぺらぺらなヤツ見ると怪しいって思うんやろーなあ。ぜんぜん声かけても反応してくれへん」
「まあ、そんなやつもいるよ」
「俺が昔商売始めたときは日本語話せるヤツなんて、ほとんどおらへんかったよって、怪しいとも思われんかったんやけど、最近はみんな日本語話せるようになってなあ。そんなやつらと一緒に見られてる」
「…」
「だからな、最近は日本語話すのやめてんねん」
「…」
「売り上げも全然や。もう日本人、買ってくれへん」

サトシは悲しそうにつぶやいた。
これがサトシの手だったら、かなり売り方も進化したなあ、と思いながら、それでもたぶん僕はサトシの言葉は本当だと思った。


その直後、僕がホテルであった日本人の大学生にサトシんことを話すと、
「え?誰ッスか、それ? 僕、知りません」




かつてインドにくる貧乏旅行者は必ずといっていいほど、旅行者同士の情報網を生かし、それを武器にやってきた。
だからサトシのことだって会話の中に出てくるし、いざとなったら、という思いの中で、記憶していたのかもしれない。
けれど、今の世の中、ネットの時代。
自分のほしい情報は、パソコンの画面の中から簡単に、しかも余分な情報が一緒に入ってくることなくピンポイントで見つかるようになった。
旅行者の情報源が、口コミからネットへと変わったことが大きいように思う。
サトシはひょっとすると、情報に付随する「どうでもいい話」に分類される人間の代表のようなものではないのか。

ほしい情報は手に入る。けれど、それ以上の情報は手に入らない。
たしかにネットサーフィンをすれば、ほかの情報も手に入るかもしれないが、それはあくまで自分の興味があってのこと。
自分の興味対象外への情報へのアクセスは限りなくゼロに近づいていっている。
そのときは要らない情報でも、結果役立つこともある、ということを忘れてはいないだろうか。



古い感じの旅人論かもしれないが、僕は口コミを大切にしたいし、ネットに写真つきで「楽しかった」「よかった」なんて、便所の落書きなみのほめ言葉が添えてある情報をあてにする気など毛頭ない。

それに、その大学生、僕がサトシのことを言った、つまり自分の知らない情報が今目の前にあるのにもかかわらず、まったく関心を示さなかった。
「知りません」の先に「知ろう」という意識がなかった。
たぶんこれから、そういう感じになっていくのだろう。
デジタル化された人間たちが、敷かれたレールの上を歩いていく。
もちろん僕はその大学生になんにも言わなかった。
お前は「地球の歩き方」に書いてあるとおりに旅をして、もうすでに書かれてあることを牛のように反芻しながら、自分の作品と思い込んでブログでもHPにでも掲載するのだろう。

がんばってね。
俺、お前の情報なんて興味ないから読みませんけど。

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日本の若者に告ぐ

2006年02月26日 | 半死的世界旅行
日本の若者の公衆道徳が問題だと思う人は多いだろう。
たとえば電車内だけを見てみても、携帯電話、座り込んで動かない、iPodのボリュームを下げないなどなど。

そんな若者に僕は言いたい。
この写真を見ろ、と。

インド人は道端で風呂浴びるぞ、と。


公衆道徳のかけらもないこいつらのたくましい生き様を見ろ。

電車の中とか、学校とか、そんなウンコみたいなフィールドでカッコつけんな。
やるなら、堂々と道端で!

もちろんウンコもセックスも、こいつらは道端でヤルぞ!

「公衆道徳なんてどーでもいいもんね」って考えてる21世紀を担う若者の諸君、
どうせヤルなら中途半端なことはせず、インド人を超えるようなことやってくれ!

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キャン・キャン・キャン

2006年02月24日 | 半死的世界旅行
【これを読む前に】
この記事では大麻・薬物、それらを摂取した際の状況などが本当っぽく書かれてありますが、けっして当ブログではそれらを推奨するものではありません。
むしろ「ダメ、ゼッタイ!」とノリにのっていたころの前園のように声を大にして主張したいところです。
以上をふまえた上でお読みください。











かつてヒッピーの聖地と呼ばれたゴア。
僕はゴアをたった4泊で切り上げた。

ゴアについたらやろうと思っていたこと。
それはドラッグ。
いままで大麻や大麻樹脂などは嗜んできたが、ケミカルドラッグには手を出さなかった。
なぜか?
それは、これを読んでくれているみなさんと同じ気持ちだと思う。
怖い。
自分がもしかしたら壊れてしまうのではないかと思うと怖い。
自分で自分を制御できなくなる可能性があると思うと怖い。
そんな気持ちがあった。
でも、心のどこかにそれらケミカルに対する興味もあって、どこかで試してみたいと思っていた。
もしそれを試すなら、どこがいいかと思ったとき、かつてヒッピーの聖地と呼ばれた土地がふさわしいと思った。

アフガニスタンのカブール。ネパールのカトマンドゥ。そしてインドのゴア。
三大聖地と呼ばれた場所。
カブールはアフガンハシシと呼ばれる質の高い大麻樹脂が取れるところ。
カトマンドゥはヒマラヤのふもとで取れる大麻の質が高い。
そしてゴアは、ケミカルドラッグが流れ着くところで名が知られている。

だから、ゴアに行こうと思った。
ゴアでいろいろとケミカルドラッグを試してみようと思った。

僕が短い滞在期間のあいだで試したもの。
コカイン。LSD。エクスタシー。
さて、これらがどーゆーものなのか、財団法人 麻薬・覚せい剤乱用防止センターHPより抜粋してみよう。

「コカイン」
コカインはコカという灌木の葉が原料です。原産地は南米で、後にヨーロッパでコカの葉から独自のアルカロイド成分・コカインが分離され、麻酔薬として使われるようになりました。
コカインはごく少量でも生命に危険な薬物です。主に鼻の粘膜から吸いこんで摂取するため鼻が炎症を起こし、肺も侵されます。この麻薬のもっとも特徴的な中毒症状には、皮膚と筋肉の間に虫がはいまわるような感覚が起こる皮膚寄生虫妄想というものがあります。また、脳への影響も大きく、痴呆状態となり人間として生きることそのものを放棄することになるのです。
(財団法人 麻薬・覚せい剤乱用防止センターHPより)

こえ~。
やべえよ、コカイン。
皮膚と筋肉のあいだに虫が走っちゃうの? 痴呆状態になっちゃうの?

そんなことをまったく知らないまま、僕はコカインを鼻から吸った。
静脈注射と並んで、はたから見ていていかにも悪そうなことをやっている風景だ。
すってしばらくすると、体の奥が暖かくなるような感じがしてきて、体がスムーズに動くように感じてきた。意識だってハッキリしている。
むしろ、いままでよりも動きやすい感じだ。
虫が出てきたりはなかったが、あれ以来僕は痴呆になり、地方へと向かいたいと思うようになった。


「LSD」
1960年代になって不正市場に出回り始めたLSDは、無臭、無色、無味で極めて微量で効果があり、判明している乱用薬物中では、最も強力なものです。純粋な形態では透明な結晶ですが、液体の形で製造することも可能です。これを、たった一滴、紙や角砂糖やチューインガムをはじめ、キャンディー、クラッカー、切手等々、凡そ何にでも垂らして使うことができます。
LSDの最初の作用は、心身的なものです。摂取して凡そ1時間もした頃の最初の反応は、漠然とした不安感や悪心で、その後に瀕脈、散瞳、顔面の紅潮、体温・血圧・心拍数の上昇、食欲減退、気分の高揚、不眠などの他、口の中に金属的な味を感じます。
LSDの使用経験に関する「フラッシュバック」 または症状の再燃現象と言われるものは、最初の摂取の後、数日で発生することもあれば、数カ月或いは数年を要することもあります。
(財団法人 麻薬・覚せい剤乱用防止センターHPより)

こえ~。
これも、こえ~。
フラッシュバックだってさ。やばいね、これ。症状の再燃? え? もっかい気持ちよくなっちゃうってこと? それってよくない?

と書いたわりには、僕はまったく効かなかった。
ものの質が悪かったのか、体質的なものなのか、気分的なものなのか…。
幻覚もなんにも起こらなかった。失敗だったといえるだろう。


「エクスタシー」
MDMA(メチレンジオキシメタンフェタミン)は、興奮作用と幻覚作用を併せ持つ錠剤型の合成麻薬で、エクスタシーなどとも俗称されており、最近、検挙人員・押収量が、急増しています。乱用すると、混乱、憂うつ、睡眠障害、不安等があり何週間も後にさえ、存在します。また、脱水症、高血圧、心臓や肝臓の機能不全が生じます。大量に摂取すると大変危険で、悪性の高体温による筋肉の著しい障害や腎臓と心臓血管の損傷を起こします。

こえーって。
混乱、鬱が何週間も続くの?
マジで?
心臓や肝臓にもトラブル発生するの?

でも、これ、すっごい多幸感があるんだよね。
もうわけてあげたいくらいの。
錠剤半分しか摂取していないのに、夜まったく眠くならないし、お腹もすかない。
話だけがものすごく楽しく、何時間でも同じ姿勢のままでも話し続けることができる。すごい効き目。
槇原さんが捕まったのもこれだったよね。どんなときも、やっていたのだろうか?



ゴアには、すべてがあった。
コカインができた。
LSDができた。
エクスタシーができた。
楽園もたどり着きはしなかったけれど、入り口は見えた気がした。
このまま楽園に入ることもできたけれど、楽園が楽しいのは当たり前で、今僕に必要なのはそこではないと思ったから、尻尾を丸めるようにして、犬のように叫びながら逃げてきた。
来年、ひょっとしたら、僕は楽園にいるのかもしれないけれど。

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ラジャスタンに入る

2006年02月24日 | 半死的世界旅行
旅もスピードを上げて、ようやく憧れのラジャスタンに入った。

なぜ僕がラジャスタンに来たかったかというと、この土地がジプシー(いまはロマって言うけど、個人的にジプシーのほうが響きがいいと思うので、そのままジプシーを使う)発祥の地だからだ。
インドで誕生した放浪の民ジプシーは、年月とともに西進を始める。
中近東を抜け、トルコ、東欧へ。
そして、ジプシーたちは各地での迫害を受けながら、居場所を求めてさらに西に進み、スペイン、ポルトガルに到達する。
音楽を重要視したジプシーは、自分たちの音楽とその土地の音楽を見事なまでに融合させ、各地でその土地の代名詞的な音楽を確立していく。
トルコや中東では宗教色が強くなり、東欧ではブラスバンドを使い、スペインではフラメンコに昇華していく。もちろんポルトガルのファドもそうだ。

そんな音楽のルーツが、ここラジャスタンにある。
そのサウンドは、いまでも大道芸人の芸として生き残っていると聞く。

僕はそれが聞きたい。
砂漠や象や建築物なんてどうでもいい。
音楽を聴くためだけに、僕はここにやってきた。

だから、耳掃除は毎日しようと思っている。
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忘れてたハレの日

2006年02月20日 | 半死的世界旅行
すっかり忘れていたのだが、もうすぐインドでもっともおもしろいと言われる祭り、ホーリーが行われる。
3月15日。

せっかくインドにいるんだし、これを体験しなければインドに来た甲斐も半減するというもの。

とにかく色水をぶつけあって、サイテーに汚れて、サイテーにハイになれる祭りらしい。

これを、いちばん「ひどくて激しい」といわれるバラナシで迎えることにしました。

ずっと砂漠、ラジャスタンと思ってきたけれど、それどころじゃないよね。
ホーリーを迎え、これをインドのクライマックスにして、タイに戻ろうと考えています。

そういう意味で、あと1か月でラジャスタンを見て、バラナシまで行かなければいけないので、急いでいます。

次々、進むぜ。

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観光客ですが、なにか?

2006年02月20日 | 半死的世界旅行
ゴア以降、インターネット環境より遠ざかっておりました。

ゴアで遊びすぎ、ボンベイでは歩きすぎ、ここアウランガバードでは、エローラ&アジャンタという世界遺産を観光しまくりで、なかなかゆっくりパソコンの前に座るということができませんでした。

で、また今日も、夜行バスでアーマーダバードに進みます。

ちょっと時間が足りないというか、その先の目的が新しくできたので、それに間に合うように急いでいます。

アーマーダバードでは少しゆっくりできると思うので、そのときにゴア、ボンベイなどについて書こうと思ってます。


あ、22日、サッカー日本代表がインドと試合しますよね。
これ、インドでも放送するんじゃないかと思って、この日だけはTV付きの宿に泊まり、アウェイの地より応援してやろうと思っています。
ちょっと楽しみ。


ブログの更新、もうしばらくお待ちくださいませ。

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笑顔

2006年02月11日 | 半死的世界旅行
食堂で隣のテーブルだった家族。
これだけの笑顔、今の日本のガキどもにできるだろうか。
ブータンの人はみんな笑顔。
であった人、誰も彼が笑顔だった。

タイよりもスマイルが多い国。

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玩具鉄道

2006年02月11日 | 半死的世界旅行
トイ・トレインに乗りたかった。
初めて見たのは、どこかの雑誌のカラーページの写真だった。
本当におもちゃみたいな列車が、日本人に似た顔立ちの現地人を溢れんくらいに乗せて山道を進んでいる風景。

実際に行って見て、予想していたよりも観光地化されていることと、線路脇の道を爆走するジープのほうが早く移動できることもあり地元の人が使わなくなっているということに、少々ガッカリしたが、それでも朝まだ寒い空気をつんざくように鳴る警笛の音や機関車の稼動音などは、まだまだロマン溢れるものだった。

それにしても、僕はそんなに鉄っちゃんでもないし、運転手さんになりたいだなんて夢も持ったことはないけれど、なぜか蒸気の音を聞くだけで、わくわくしてくる。
なにか前世に因縁でもあったのだろう。
品川横浜間にひかれた日本最初の機関車にめっちゃくちゃ乗りたくって、でも乗れなかった庶民のオッサンとかだろうけど。

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理想郷なのか?

2006年02月11日 | 半死的世界旅行
コーチンより、ゴカルナを経て、ゴアに到着。
ゴアと一言で言っても、地域の名前でしかなく、旅行者が滞在している場所は○○ビーチと呼ばれている。
僕がいま泊まっているのはアンジュナ・ビーチ。
かつてのヒッピーたちが集まったビーチでもあり、旅行者ずれしているという意味でも、もっともゴアらしいゴアのビーチではないかと思っている。

年明けのプリーで会ったメンバーも多くこのアンジュナに滞在しており、昨日着いた瞬間にもう一人目に会えてしまった。

彼らの多くはゲストハウスというよりも民家の一角を長期間にわたって借り、住むように生活している。
滞在が長いだけあって、いろいろと教えてもらう。
以前に会っているだけあって、最初から話しやすいのも助かった。

ということで、僕はいま教えてもらった安いエリアに、ゴアではなかなか安いのではと思わせる200Rs.(600円程度)の部屋に泊まっている。

かつてここで異次元の世界を堪能したヒッピーたちの末裔が、いまでも夜な夜な「向こう側」への飛行を楽しみながら、享楽にふけっている。
それを体験するのも楽しみ。

そしてそれよりも、ビールが町のいたるところで、いつでも安く飲めるってのが楽しい。今日も朝から飲んでしまった。


ちょっとした店に行くのでもバイクを借りなければいけないこの町。
果たしてここは本当に「理想郷」なのか?
身をもって経験してみようと思っている。

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へばりつく町

2006年02月06日 | 半死的世界旅行
イギリスが開発したインド有数の避暑地であり、紅茶の産地でもあるダージリン。

山の頂近くに造られた町は、まさに山肌にへばりつくようだった。

坂道ばかりで、尾道と有馬温泉を足してガラムマサラで割ったような町。

行った時期が悪かったのか、部屋の中でも凍えるように寒く、宿泊代などの物価が高く、それでいて、満足に水も出ない日々が続いた。
本当ならばもっといてもよかったのだが、僕には数日が限界だった。

でも、好きな町のひとつだ。

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これの先にあるもの

2006年02月06日 | 半死的世界旅行
ガートにあふれんばかりの人が集まってきた。

色鮮やかな女性たちのサリーが、ガンジス川に浸され、朝日の光を受け、輝いている。

祈り。

彼女たちの祈りの先にあるもの。

小船に乗りながら、僕はこの光景をカメラに収めた。

インドを象徴する町で見たインドを象徴する光景。

僕は一生忘れないだろう。

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