放浪日記

刮目せよ、我等が愚行を。

道端の花

2012年01月30日 | 東京編集格闘道
週末、渋谷でネパール映画を見てきた。
「道端の花」というタイトルで、一般上映というよりはその日1日限定の自主上映のような形だった。



初めてインドを旅した時に、暇つぶしがてらに見たインド映画の衝撃があまりにも大きすぎて、以来僕はインドに行くたびにその町に映画館があって時間があればなるべく足を運び、数多く見てきた。
マサラムービーともボリウッドムービーとも称されるインドの映画は、その娯楽性の高さにあると思う。
かつて日本でも映画が娯楽のど真ん中にいた頃はそうだったんじゃないかと思うような、一見して主人公やヒロインとわかる美男美女、アクションあり笑いあり涙ありのシナリオ、わかりやすい効果音、単純なストーリーが、インド映画の特長でないかと思う。そこに、見る者を一気に異次元へと引き込む豪華絢爛なダンスシーン。だいたいどれも上映時間は3時間を越え(途中1度の休憩あり)、そのなかにめったやたらに詰め込まれた娯楽要素。
素面で見ても、酔っ払って見ても、言葉がわからなくても何となく盛り上がれてしまうインド映画が大好きだ。

というのは、10年前くらいの話で、今ムンバイで作られているインド全土に配給されるインド映画は、徐々に時間も短く、突如挟み込まれる意味不明なダンスシーンもなくなり、シナリオが明らかに作りこまれるようになっていった気がする。よく言えば他の国々の映画と肩を並べる作品も出てきているのだが、一方で僕が感じているインドらしさが減少していっている。
南インドに行けば、タミル映画なんてまだまだヒーローがヒゲのオッサンで、ドッタンバッタンで、ダンスてんこもりなんだろうけれど。

そして、ネパールを訪れた際も、ラトナ・パーク脇にある映画館でネパール映画を見た。
(インド映画と思って見に行ったらネパール映画だったのだが…)
地味だった。盛り上がりに欠けた。つまんなかった。芋っぽかった。
国力の差もあるのだろうが、どこをとってもチープで鼻白んだ記憶がある。
食べられているカレーのように、マサラががっちり効いたインド映画に対して、ネパール映画はやさしい味わいのダルバートのようだった。


今回、渋谷で出会った映画は、わざわざ日本に持ってきているだけあって、とてもいい作品だった。
主人公よりもイケメンの警官。見れば見るほど藤原紀香に似ているヒロイン。ヒロインを食うほど美しい主人公の妹と弟の彼女。
話の中身をダルバートにたとえれば、大盛りのご飯はカースト差別とネパールの現状、しゃびしゃびのカレーが恋愛要素、タルカリがアクションシーンで、アチャールが感動要素って感じ。
かつてのネパール映画しか知らない僕にしてみれば、きちんと見えて、ダンスシーンもそれなりにまとまっていた。
主人公が歌手ということもあり、やたらと歌う場面が出てきて、プロモーションビデオみたいになっていたのはご愛嬌。


映画館ではなかなか目にすることのない国の映画は、ある程度フィルターを通して日本まで届いているので、本国ではしっかりヒットしているし、どれを見てもあまりはずれがない。
これ、僕の持論。
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失われゆく時と隙間

2012年01月17日 | 東京編集格闘道
会社の新年の挨拶のなかで、「○年後の自分をイメージして~」なんてことがよく言われる。
というか、毎年誰かが言っているような気がする。
1年後、数年後の目標をたてるのもいいけれど、僕たちは(僕だけかもしれないが)そんな時の流れに無力さを感じながらも、そうした言葉を「あけましておめでとう」という言葉のように受け入れているのかもしれない。

2011年を境に多くの人の生活が変わったと感じている。
それは目に見える状況かもしれないし、精神的なものかもしれない。
僕のなかの何かが変化したから、そう思うのかもしれないが。
僕たちがこうして生きている現実の社会は、音もたてずに、けれども確実に、着実に未来へと向かっている、なんてことをこの正月はのんびり箱根駅伝を見ながら考えていた。
それは、このブログにも書いたように、昨年1年の間はやたらとドキュメンタリーを見ながらいろんなことを考えていたからかもしれないし、結婚して生活環境が変わったからかもしれない。エージーエーと声なき声を出しながら薄まりつつある毛髪と主張しはじめた前頭部を見ても、日頃の不摂生の賜物であるチャンピオンベルトのような皮下脂肪を見ても、もう僕は若くないということを毎日風呂上りに、起き抜けに、地下鉄の階段の昇降時でさえ気づかされている。

旅番組で映された今のカンボジア・シェムリアップは観光客と観光客向けの店舗と観光客目当てのタクシーの客引きでバンコクのカオサンのようになっていた。太陽のもと渋滞する車の脇で花を売るフィリピンの少女は10年前からそこで花を売り続けているようだった。どんどんと世界の空には格安航空会社の飛行機がフライトアテンダントが売る免税品の名前とともに繁殖していっている。中国大陸全土に広がる1泊169元のチェーン系ビジネスホテルとユースホステルは僕ちたちがいた浦江飯店や京華飯店や交通飯店を駆逐した。大好きだったあのゲストハウスもオーナーが変わってから閑古鳥が鳴き今はなくなってしまい、ちょこまかとテーブルの間をすばしっこく走り回っていた屋台の看板娘もしっかり母親になって鍋をふるうようになっていた。
世界は変わる。
僕が旅に出ていた頃(もう5年も前になる)と世界は変わってしまった。
過ぎた世界は懐かしく、すべてが愛おしい。
これから出会う世界も、やがてそうなっていけばいいと思う。本当に。

旅友達のひとりが東京を去るという。
家庭の事情だし、本人が決断したことだし、喪失と寂寞のなか、そこに希望を見出した彼を応援したいと思った。
僕の周りでも、世界は動いている。同じことは何ひとつない。配られるトランプのカードが毎回違うように。

何の確証もないのだが、今年2012年には、いろいろ起きるような気がしている。
そして、いろいろ動かねばとも思っている。
僕ももう四捨五入すれば不惑だ。
人生を変える旅もいいけれど、そんな大義名分を背負うことのない旅に出てみたいと思っている。
とはいっても、まだまだ会社は辞められないし、隙間を見つけてのお出かけになるんだろうけれど……。

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角餅から丸餅へ

2012年01月04日 | 東京編集格闘道
相方が京都生まれなので、今年から自宅の雑煮が、角餅から丸餅に変わった。
すまし仕立てだったのが、白味噌仕立てに変わった。
ということで、あけましておめでとうございます。謹賀新年。ハッピーニューイヤー。新年快楽。
今年もよろしくお願いします、にいやです。

例年の正月は、特に何を行うこともなしに、自宅でゴロゴロして過ごすのだが、今年も例年通りの寝正月&酒正月。雑煮とおせち料理が苦手な僕は、いつものように蒲鉾と出し巻きを肴にしながら日本酒を飲んでいた。夜は鍋。こりゃ太るわと思いながらも、正月だからいいかと自分に言い聞かせ、下腹に溜め込む脂肪がこたつで温められて生ぬるい。

初詣に行った近所の神社でひいたおみくじは、大吉。
ここ数年ひいたことなかったので、やけに嬉しい。
年末ジャンボはものの見事にはずれたが、あれは去年のことと言い聞かせ、今年は大吉だからとさっそく自分を慰めているのも事実。

大吉といえば、忘年会のスピーチの冒頭で「スピーチとスカートは短いほうがいい」と「THE MANZAI」の博多華丸大吉のボケを放り込んでみるも、まさかの無反応…。言い方とタイミングが悪かったんやろうね、たぶん。



「放浪日記」だけに、今年の旅の目標。
貯めていたマイルを使って、中国・開平に行く。ついでにマカオも楽しむ。
新婚旅行に行く。旅先はアジアのリゾート地を検討中。
相方が、小田急のCMを見て年始早々行ってみたいとぬかしたので、行くだけは行ってみる。


そんな感じで、2012年、今年もよろしくお願いします。
コメント (4)
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