水芭蕉と白山の展望はこの山で
=取立山(1307m)、福井県=
(この日記の掲載期間:6月29日~7月5日)
水芭蕉は尾瀬か栂池まで行かんならんと
そう思っておりまして、しかし遠いのでまだその両方とも行った
こはなく水芭蕉も群生地では見たことがなかったのですが、昨
年友人の紹介で出かけました。 今年が二度目の訪問です。
水芭蕉、清楚に
白山が真正面に
もう一つの楽しみは取立山山頂の真ん前に白山がどーんと鎮座、
雄姿を見せてくれることです。特に一度登った山は親近感があり、
思わずこんにちはと云いたくなる感じです。また反対側の美濃から
冬には(高鷲やダイナランドスキー場から)まさに真っ白の白山を
いつも見ており嬉しい限りです。
取立山山頂から6月の白山
登山口(駐車場)から1時間半で山頂
登山口まで福井北ICから1時間強、そこはもう標高800mですか
らそれ程の体力を使わずに山頂に辿れます。水芭蕉の群生地ま
では山頂から20分程下ります。
登山口から1時間半、すぐそこの山頂から白山が覗く
関西から手軽に
知らなかったらそのままで終わりと思い取り上げました。滅多に
同じ山には登らない私、Kennyにとってこの山は来年も水芭蕉
の時期にと思っています。
取立山、水芭蕉群生地
美濃側(高鷲)から見た冬の白山 取立山山頂から下る登山者
今日もご覧くださいましてありがとうございました
どの辺に位置するのか?
何か疑問があれば、まずウィキペディアに、ということで検索してみました。
荒島岳の北方になるのですね。位置関係がわかりました。ウィキには、「1968年(昭和43年)に福井県で開催された国民体育大会(親切国体)の山岳競技の下見の際に、コースの外れの取立平のミズバショウの群生地が偶然発見された」と記されていました。
水芭蕉の写真を拝見し、久々に歳時記を繙いてみる気になりました。
お陰様で、私にとっての発見がいくつかありました。
1) 棒状の花軸(花穂)の表面に小さな花を密集して付けること。
「ふつう水芭蕉の花と見られるのは花穂を抱いた白色の大きな苞である」ということ。 (写真をみるなり、白い大きな花と思いましたね・・・いままでもそう錯覚していた!)
2) 歳時記により季語の位置づけがちがうのもあるんだということ。
『ホトトギス 新歳時記』(稲畑汀子編、三省堂) 四月・春
『合本 現代俳句歳時記』(角川春樹編、角川春樹事務所) 夏
3) 水芭蕉と芭蕉は関係があるのだろうか? ふとそう思って「芭蕉」も見てみたら、科目は違いました。水芭蕉はサトイモ科、芭蕉はバショウ科。芭蕉の親類はバナナでした。なら、なぜ芭蕉なんて・・・歳時記をよく読むと「花が終わると芭蕉に似た大きな葉が伸びる」のだとか。山渓の図鑑を見てみると、水芭蕉は『春の花』に載っていました。そこには、「この葉がバショウに似ているので、水芭蕉の名がついた」と明確に記されていました。水芭蕉の下には、ザゼンソウの写真があります。水芭蕉と座禅草は親類なんですね。4) 水芭蕉の苞は、歳時記でも山渓図鑑でも仏焔苞(仏炎苞)と呼ばれています。ザゼンソウの苞も同様に、仏炎苞と記されています。これらの花の形姿から、人々は光背をもつ仏をイメージしたのでしょうか。ネーミングがいいですね。
ついでに、歳時記の中で惹かれた句を書き加えさせていただきましょう。
まず花が葉を従へて水芭蕉 猪子青芽
水芭蕉せせらぐ雪解水に咲く 高浜年尾
峠にはまだ雪消えず水芭蕉 瀧井孝作
影つねに水に流され水芭蕉 木内怜子
水芭蕉見てはるばると返す旅 豊原月右
水芭蕉を見る山旅に、いつか出かけてみたい。
そんな気になりました。白山も一度登ってみたいな・・・・
芭蕉という花があったんですね、それも元祖は芭蕉ですか。団子の私にはこれから恥をかかなくて済む貴重な情報です。ブログを書くにはウィキペディアなしでは一行も・・、早速開いてみました。
実は写真は昨年のものでして今年は瞬時ガスが晴れただけで一枚も撮れませんでした。ガスが晴れた時の風景写真を作品として先生に提出しましたところ、芭蕉の一句をコメント欄に頂きました。先生も山男で(だった)してその時の気持ちをよく理解してくださいます。「雲の峰いくつ崩れて月の山」
この山も、白山登山もすべて受け身でしてきっかけは友の情報、誘いです。この感激をブログで紹介したい、紹介できる喜びを感じております。
昨日は県募集のブロガーが集まりました。第一回は平家物語関連でして野洲市が対象でした。地元でありながら新しい発見がいくつもありました。次のブログで書きたいと今作業中です。
踏破した山の景色を違った場所から眺めるのも、またこれも楽しみが増えていいですね。
県のブロガーの集い、新たな発見に楽しみが又Kennyさんにやってきましたね。
茲愉有人さんにもお伝えしたのですが、掲載のほとんどが昨年の登山の時の様子でいい天気でした。唯一、一番下の右の写真が今回の登山で霧が晴れた直後、前がさーっと開けた様子です。私の作品の説明とこの作品を観て先生が引用された句が雲の峰・・です。登山は快晴の方がいいです、いいのですがこうやって夢が広がるのもまたいいですね。
同じテーマーで多くのブロガーのそれぞれの捉え方が楽しめます。来週くらいからみなさんUPされるでしょうね。
嬉しいコメントさりがとうございます、
芭蕉は「雲の峰」で3句つくっているようです。
先生の記された句は、元禄2年の作として、通し番号531で載っていました。
「おくの細道」所載の句でした。
そこで岩波文庫『おくのほそ道』を覗いて見ると、「羽黒」の項の末尾4句の2番目として載っています。
この項の出だしは、「六月三日、羽黒山に登る」から書き出されています。
五日の条で、「羽州黒山を中略して羽黒山と云ふにや。・・・月山・湯殿を合わせて三山とす。」という記述があり、
八日の条で、「八日、月山にのぼる。・・・・雲霧山気の中に氷雪を踏んでのぼる事八里、更に日月行道の雲関に入るかとあやしまれ・・・」と記しています。
そして文末は、「惣而此山中の微細、行者の法式として他言することを禁ず。仍て筆をとどめて記さず。坊に帰れば、阿闍梨の需に依て、三山順礼の句々短冊に書。」となっています。
この後、4句が記され、その2つめが「雲の峰幾つ崩て月の山」でした。芭蕉の月山での実体験がこの句に込められているのでしょうね。
なぜ4句か。それは芭蕉の三山各一句の後に、湯殿山についての曾良の一句が添えてあるのです。
さて、「雲の峰」からの波紋です。大岡信が「折々のうた」に「雲の峰」を採りあげているだろうか。総索引から逆引きすると、ありました。手許の歳時記には載っていませんが、3句ありました。
雲の峰裏は明るき入日かな 内藤鳴雪 『続 折々のうた』p90
雲の峰巨大な崩壊見をはりぬ 加藤楸邨 『新 折々のうた 4』p83
雲の峰に肘する酒呑童子かな 与謝蕪村 『新 折々のうた 5』p88
大岡信はこの句を採りあげ「じつは丹波地方の山に立つ夕立雲のことを丹波太郎と呼ぶ習慣があるため、蕪村はこの地で勇壮に湧く夕立雲を見て、丹波ゆかりの酒呑童子をその上に空想したのである」と解説しています。
大岡信は水芭蕉を採りあげていません。芭蕉も水芭蕉は詠んでいませんね。
水芭蕉から、芭蕉の句を学び・・・これまた良い機会になりました。感謝。
詩人は、車がない時代だからみんながそうか、本当にすごい距離を歩くんですね。絵師もまた同じです。先生のHPに谷文晁のお話が掲載されています。琵琶湖岸に近いところから三上山を描いています。この野洲にも来れれたんです。確か江戸時代の方です。先生らしい(元高校の物理の先生)捉え方です。全国富士サミットで講演された時のお話です。私はその時ビデオ録画を担当しました。情報ありがとうございます。