趣味・興味プラス挑戦

郷土史、登山、スキーなどを写真と共に書き綴っております

Kennyの歴史を訪ねて:信長の館

2011-10-30 07:44:28 | 安土城址

       安土城の内部
 =発掘調査報告を拝聴して=
         
    
この日記の掲載期間:11月4日ー11月10日

今「信長の館」が面白いです
徳川家康を安土城に招いた時の饗応の献立(立派なお膳に盛ら
れて)が「信長の館」に展示されています。これは信長公記
(しんちょうこうき)に記録された記述に基づき再現されたものです。
       (当日記下段に関連記述、写真があります)


          実物大復元の6層、7層部分

また、安土城の六層、七層目が実物大で復元されているのは
有名ですが、これもその信長公記の記録からとの
とのことです。

信長の館内には圧倒されます
真中にこの天主部分。周囲には関連する資料。撮影も個人の使用
なら許されています。
これが嬉しいです。これまでも見学しましたが
知りませんでした。よく博物館には足を運びますが、先ずなんでも
かんでも禁止、キンシですね。まあ愚痴ではありますが・・・。

       
           解説される講師の松下 浩氏

安土城は見せる城
過日、安土文芸の郷・安土城天主信長の館主催のセミナが開催
されました。講師は松下 浩氏(滋賀県文化財保護課の研究員
さん)です。いつも淡海の城友の会でお話をしてくださりこの分野
で有名な先生
です。安土城については長く発掘調査に関わって来ら
れました。

城の役目:変遷
安土城はもう完全に日常生活の空間になっています。それも街道
沿いに、よく目立つ場所に。元々のお城はその全く逆で、「難攻不落」
が城の絶対条件です。背景には信長の自信と権威の誇示にあるとの
お話でした

当日のセミナでは地階から最上階の七層までを信長公記に基づき
丁寧に解説されました。配布の資料から 七層部 だけその信長公記
の記載部分を、またさらに抜粋して紹介します。

 
             六層部                   七層部


「三間四角 御座敷の内 皆金 外側金 四方の内柱に上り龍・下り
竜 天井 天人御影向の所 座敷の内 三皇・五帝・孔十哲・商山
四皓・ 七賢火打ち・ほうちゃく(宝鐸)」 

兎に角、写真の通り内外、金ピカです。

家康を持て成す:本膳料理
天正10年5月15日から19日まで安土に滞在。明智光秀が饗応
しました。勿論全てを食べるのではないでしょうが朝食からしても、
ものすごい分量(お膳の数)です。献立は「続群書類従」にあるとの
ことです。ところが信長からやり過ぎと叱咤され、その辺から関係が
おかしくなったとも・・・・。(この辺の詳細は下の説明板の写真にあります)

         
            お膳の一つ(再現模型)


           徳川家康饗応と本膳料理の解説版

「伝」とは云えどうして城内のそこを秀吉邸としたの?
安土城址を歩くと秀吉や利家邸と 「伝」 を標識の頭に付けて
ここがそうだ、とあります。どうして分かるの?と長く悩んでおり
ました。 今回のセミナで恥を忍んで質問しました。

      
          内藤 昌氏による復元模型

講師先生の解説は納得の行くものでした。 あくまでも推定で、正しく
ないかも知れない。ただ江戸時代に作成の絵図が残っている。それは
大きな手掛かりとなっている。発掘調査では秀吉、利家邸跡から数々
の土器類が出土、裏付けと取れる資料だと。

ご参考:
1.信長公記とは:ウキペディアから抜粋
(しんちょうこうき または のぶながこうき)は、安土桃山時代の戦国大名
である織田信長の
一代記で、著者は信長旧臣、太田牛一。信長の幼少
時代から足利義昭を奉じて上洛した1568年(永禄11年)までを首巻とし、
上洛から本能寺の変が起きた1582年(天正10年)までの記録が全16
巻(16冊)にまとめられている。同時代の刊本はなく写本のみで伝存する。 
「安土記」とも呼ばれる。

2.次回のセミナ:
主催: 安土文芸の郷・安土城天主信長の館 
テーマー: 信長の家康饗応膳の復元について
日時: 11月19日(土) 13:30~

会場:セミナリヨ(安土町)
申込が必要です
セミナに参加の場合は日時他、必ずご確認ください。
 
       電話:0748 46 6512
             HP:  信長の館 で検索出来ます

お断り:
この日記の掲載、記載内容は主催者および講師の許可を戴いております。
掲載の写真は全て当日館内で撮影したものです。
また記載内容に私の聞き違い等で間違いがあるかもしれませんが素人の
日記とお許しください。

     今日もご覧くださいましてありがとうございました

コメント (2)
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Kennyの歴史を訪ねて:高台寺

2011-10-23 08:37:57 | 郷土史

    高台寺を訪ねました
=どんなところで世の行く末を
                   案じておられたのか=
    
    この日記の掲載期間:10月28日ー11月3日

この霊屋(おたまや)に北政所様が
この厨子内の左右に北政所と秀吉の木像が安置されています。
そしてなんとそこには北政所が埋葬されている、またその場所
のお客様案内係の方にお聞きしたところ盗掘もされていないと
の事です。


          北政所(ねね)が眠る 霊屋(おたまや) 京都・高台寺

今戦国時代に特に興味を持って野良猫(のらねこさん、失礼)の
ように気ままに歩きまわっている私にとってこれは今までにない
最高の感動でした。そうとすればすぐそこにご本人様がおられて
そのまたすぐ前に立っているんです。これまでは伝(伝承として仮
にその場所を指定)とか、うんと後世の(例えば江戸時代に描か
れた誰だれ像とか)資料でしか見る、偲ぶことが出来ませんでした。
勿論発掘された生活用品などは本物に違いはありませんが。


                          方丈から庭を

今までもうひとつ実感がなくて:現地の殆どで
関ヶ原の合戦が1600年、もう410年も前のことです。その時代
は火災が多く、現存する神社仏閣、史跡を歩いていると案内に
必ずと云っていいほど一回、二回と火災に遭いと書いてあります。
 

となれば記録も消失し、また保存する手段も整備されておらず、
多くの場合今に伝わる極めて少ない記録で現在語られているの
が実状です。

 
        方丈前庭                  遺芳庵(茶席)

それだけに私はこの霊屋で長くその場に留まることになりました。
係のお姉さんは不思議思われたことでしょうね、大抵の観光客は
わいわいと語ってさーっと引き上げていかれるのですから・・・。


               書院ー観月台ー開山堂

意外と質素と思いきや:やはり火災か
案内書でやっと理解できました。その案内書によれば寛政元年
(1789年)以降度々の火災にあって多くの堂宇を失い現在残
っているのは・・・、とあります。なるほど、それでも今目にする事
の出来る建物やその内部、さらに庭などは壮麗な雰囲気を感じ
ます。それは秀吉夫人、贅を尽くした絢爛豪華さは求めなかった
のかなとも。

 
        湖月庵 (打ち水されしっとりと)              庭師さんの技(方丈)
 


              東大谷廟 (都会に広大な敷地の)

それにしてもやはり都ですなー
早朝の方が景色が綺麗に見えるだろうと朝8時過ぎがから
八坂神社を歩き始め、丸山公園を経て高台寺へ。 

 
        丸山公園                  京風情の狭い路地
              

     
               鴨川を北の方向

道中の広大な敷地、石畳、風情のある通りなどなど、古都、京都
を感じながらの朝の散歩です。しかし維持費が・・・、とも。 見学を
終えて鴨川に出ました。 絵を描く人、読書、犬と散歩、そこは正に
庶民の生活にと我に帰る場所でした。大都会の真中にこんなオア
シスがある。そういと韓国ソウル市内の清渓川も一旦は塞いでしま
ったが復元しました。大都会ならでこそ自然を大事にしたいですね。

写真:ドコモ携帯電話

        今日もご覧くださいましてありがとうございました

 

 

コメント (8)
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Kennyの山歩き:笠ケ岳

2011-10-16 21:04:08 | 登山・ハイキング

   わいわいクラブ写真展
 =今日、28日(金)が最終日です=
       今日は10時ー16時です

        わいわいクラブ写真展、開催中

 

          会場の野洲図書館ギャラリー

 
            
 木漏れ日          霞む姥の懐(うばのふところ) 
  今回私は内側から見た三上山をコンセプトに2作品参加させていただきました

         会場:野洲市立図書館、ギャラリー

            日時: 10月22日から28日まで
              10時から20時 
          土日は18時、28日は16時まで。
          月曜日は休館日です。

                  ご指導:八田正文先生

         皆様のご来場をお待ち申しあげております。
         ありがとうございます    Kenny


         ****************

笠ケ岳、それは素晴らしい
   尾根歩きなんです
=ずーっと槍・穂高が付き合ってくれます=  
   
   
           この日記の掲載期間:10月20日ー10月28日


 毎週金曜日の更新を今回に限り29日土曜日にいたします)



            絶景の尾根歩き:笠ケ岳が目前(抜戸岳手前から)
 


            焼岳から見た笠ケ岳  (撮影:2006年10月)

こんな山歩きは初めて!
こんな
、それは見出しとサブタイトルそのものでした。新穂高温泉の
登山口から小池新道を5時間の鏡平までは極く普通の2000m級の
山の展望です。ところがその鏡平に到着すると景色は一変します。

目の前に槍ケ岳と穂高連峰がどーんと現れます。山道脇には板張り
の広い展望台があります。


  鏡平の展望台で:左端ピークが槍ケ岳、右へ大喰岳他、穂高へと続く

大勢の登山客の歓声は勿論のこと、三脚を立ててシャッター切る方、
お互いにシャッターを押し合い記念撮影と展望台は大賑わいです。

 
      展望台の登山客                    早朝に出発の登山者

私もその一人です。 おおー、こんな贅沢な眺めを、ええんかいなー
と・・・。
それが笠ケ岳まで、そして下山の笠新道を下る途中までずーっ
と続きます。やがて日が傾いてきました。ここではやはり日本で五番目
に高い山
、槍ケ岳が最後まで赤く輝いていました。ここからは笠ケ岳は
まだ見えません。


           一番高い槍ケ岳がいつまでも赤く輝いていました

笠ケ岳への道中、左手にずーっと槍・穂高が
歩行を一日5時間に押さえて二日目もゆっくりと景色を眺めながら、
今度は左右に見える山がどこかと憩の合間に地図を広げて勝手に
納得しながら、そして写真に収めながら笠ケ岳を目指します。予想
よりも尾根のUP,DOWNは大きいですが景色が苦労
を感じさせん。
双六岳、黒部五郎岳が、そして 遠
くには立山、剣岳、木曽駒ケ岳が、
さらには富士山もくっきりと姿を見せてくれていました。


    笠ケ岳への尾根で:槍ケ岳から西穂高まで一望できました


                      
   鏡平山荘で販売の手拭い)

道中で一緒になった仲間とも
登山口で一緒になった三重県からの御夫婦、途中からご一緒の
名古屋からの若いご夫妻などなど、追いつ追われつで会話を交わ
しながらの登山もまたいいものです。食事の時は同じテーブルで
もう友達感覚です。三連休の行程なので宿泊小屋なども同じ行動
になります。

 
   三重県からの ”山友”        やがては背後の山頂部を歩きます
          

今シーズンもいい思い出が
今回の笠ケ岳は幸運にも好天に恵まれました。山好きなら北アル
プス、特に槍・穂高は誰でも憧れの山だと思います。今回笠ケ岳と
合わせてその両方の山も
楽しむことが出来ました。今年は9月末
まで天気が安定せず延期、中止が続いておりましたが、昨年の
涸沢(一番いい時期でした)同様、結果的にはありがたいシーズン
の終りを迎えることが出来ました。

 
   槍ヶ岳に通じる西鎌尾根               抜戸から笠ケ岳を望む
                               

混雑もすごいです:いいことばかりでは・・・
先ず駐車場は有料、無料に関係なく満車です。仕方なく登山口まで
歩いて40分の林道に無理やり止めます。
たとえ夜中に現地入りして
もさほど変わりなしとか・・。 山小屋は超満員で横になって寝ました!
帰りの車は大渋滞、特に松本方面(中央自動車道)に車を走らせた
方は松本ICに入るのに4時間かかったと後で知りました。

判断に迷っても高山市、東海北陸道を選んで大正解でした。当日は
高山祭でそれが加わり山小屋にはどの道路も30、40kmの渋滞と
噂が飛んでいました。
幸い1時間程の遅れで野洲に到着しました。
3連休と好天の天気予報が大集合を招いたようです。かく言う我々
も好天を当て込んでの思い立ちの登山でした。

  
   笠ケ岳山荘、寿司詰めに・・・           秩父平から見た笠ケ岳
                                                                    
余韻
今日もまだ撮ったビデオやスナップ写真を眺めております。山か・・・

写真:全てFuji FinePix   絵:水彩スケッチ

    今日もご覧くださいましてありがとうございました

                     *************

コメント (6)
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Kennyの城郭址歩き:朝倉氏、一乗谷館跡

2011-10-05 15:09:13 | 城址

 

  越前一乗谷、朝倉氏遺跡  
     
を見てきました

   =盟友、北近江浅井氏と運命を共に=
      この日記の掲載期間:10月14日ー10月20日


            朝倉義景館跡   唐門と土塁の正面(西側)
この館の左右に、
また奥の一段上にもそれぞれの館や庭園の跡も残っており、
それらを含めるとこの義景の屋敷は約19,000㎡の敷地であったとされています。


             高台にある湯殿跡庭園から見た館跡
濠と土塁に囲まれた館の敷地は6,425㎡ で、内部には10数棟の建物が発掘
調査で確認されている。この館で一時保護していた第15代将軍足利義昭をもて
なしたとも。

   
                唐門
この唐門は正門で後世(江戸時代)に建立された西門です。他に北門、南門が
ありました。

   
                  正面(西)から見た想像上の建物
              
(現地の案内板)
館の南側に主殿、北側に常御殿を配しています。前者は接客、会所を。後者は
日常の生活の場で台所、湯殿の他に厩(うまや)などが存在したと現地の案内板
の解説です。

 
   一乗谷の 左:北の方向         右:南方向
一乗谷は東西を深い山に挟まれ、その間を流れる一乗谷川に沿った狭い平地部
です。上の写真でもその様子が伺えます。この平地部に朝倉氏の館と氏に仕える
武家屋敷や寺院、職人達の町屋が川沿いの道の両側にぎっしりと建てられていた
ことが発掘調査で明らかとなりその遺構も綺麗に整備保存されていまた。

  

            今も残る巨大
な土塁
土塁、郷土史のセミナーに参加するまでは全く耳にした事もありませんでしたが、
城址を見学する時には100%この言葉が出てきます。土塁があれば城や武士の
館址。土塁がなくて濠だけであれば中世の民家と見ていいそうです。実は過日の
野洲銅鐸博物館でのセミナー(中世集落)の講師のお話でした。城や館を土塁で
囲み、敵の侵攻を食い止める重要な役目を果たします。

 
                          館の周囲に巡らせた濠

 
       諏訪館跡の庭園            朝倉義景の墓
室町末期の様式とのことですが多くの庭園が屋敷内にあります。その一つが写真の
諏訪館跡の庭園です。当時京都から専門の庭師を招いて作らせたそうです。


朝倉氏の歴史 
朝倉氏はもともと兵庫県養父郡の武士。応仁の乱(1467年-1477年)
で初代孝景は1471年に西軍から東軍に寝返りこの一乗谷に居を移した
と言われています。以来、朝倉家は戦国大名として五代の義景までおよそ
100年で
そのその歴史を閉じることになります。 

朝倉氏最後の義景
朝倉氏の存亡を語るとき、足利幕府との関係、近江浅井家との関わり
が話題になります。義景の決断が違っていれば、天下も狙えたのでは
との考え方
です。しかし実際はこの義景で朝倉氏は終焉の時を迎えます。

それは、足利義昭を保護はしたが義景が上洛戦に消極的であった事で
義昭は信長を頼りに京都に帰ってしまいます。その上信長の
義昭を奉じ
ての上洛命令も拒否したことが信長との敵対関係に繋がり、後の浅井、
朝倉連合の敗北から越前に引きげる義景は刀根坂での信長の追撃に
遭い、一旦は一乗谷に逃れはするが自害に追い込まれて天正元年
(1573年)朝倉氏は滅亡となります。

お断り
湖北出身の私は少なくとも浅井家については知っておきたいと機会を得
て来ました。その内に浅井家、朝倉家の朋友関係についても興味が広が
り一度は訪ねたいとの思いで今回その一乗谷を見ることが出来ました。

ここに記載の内容は殆どがこの旅で学んだことであり現地で入手の資料
や観光案内パンフレット、または現地の案内板を参考に見学日記を書か
せて戴きました。 持論や間違いもあるとは思いますが素人の日記として
ご一読戴ければ幸いです。 

一点不思議に思いましたのは戴いた書物に、また現地の案内文に浅井
家との関係に関する記述が見当たらなかったことです。勿論短時間の
訪問での話ですが・・・。

 

    今日もご覧くださいましてありがとうございました     

                             **************

          写真展のお知らせです 

      わいわい写真クラブ作品展

       会場:野洲市立図書館、ギャラリー

       日時: 10月22日から28日まで
              10時から20時 
          土日は18時、28日は16時まで。
          月曜日は休館日です。

           ご指導:八田正文先生

      皆様のご来場をお待ち申しあげております。
      ありがとうございます    Kenny

 

 

コメント (7)
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Kennyの山歩き:荒島岳

2011-10-03 20:14:27 | 登山・ハイキング

           荒島岳に再挑戦
  =標高800mから上は見事なブナ林=
     
       
この日記の掲載期間:10月7日ー10月13日

           


              荒島岳  2009年5月撮影

荒島岳
福井県大野市にある標高1523mで深田久弥氏の日本百名山
の山です。滋賀県からは北陸自動車道、福井ICから国道158
号線を郡上方面へ40分ほど走ったところに2か所の登山口が
あります。勝原(かどはら)コースと中出(なかいで)コースです。
他に下山、左開(さびらき)コースがあります。独立峰で白山連峰、
御嶽、乗鞍他多くの山々が望めます。当日はなぜか白山だけに
ガスがかかり見えませんでした。


 
  勝原(かどはら)コース登山口          階段状の登山道
        (スキー場のゲレンデ跡)

再挑戦
2009年の前回は、前日に地元の渓流釣りの名手に体験させて
頂いたイワナの獲物で深夜まで盛り上がり翌日の登山に相当応
えて殆どが
苦しむだけの登山となりました。その登山は5月でして
ブナの新緑が目に焼き付いておりいずれは再挑戦をと思っていま
した
今回は同じ158線沿いの一乗谷(朝倉家の館跡)見物を、
そして翌日にこの山を歩いてきました。


            ほんの少し紅葉し始めたブナ林
ブナ林
ブナの木は800mより標高の高いところに育つ樹木で、成長も遅く
20mの高さにまで大きくなるのに100年も掛かるとTV番組でのお
話でした。大きな物は30m位まで成長するそうで、ならば下の写真
にあるこの巨木は樹齢何年を数えるのでしょうか? そしてまたブナ
生活を歩み始めたかわいい木も。

      
               話題のトトロの木
 このトトロの木(愛称)のようにコブの出来たブナの木も沢山見かけました。

 
        ブナの巨木               色付き初めたナナカマド

勝原(旧スキー場)コース
スキーフアンにとっては寂しい光景を目にしての往復となりました。
5年ほど前にこのスキー場は雪不足で閉鎖に追い込まれたそうです。
ロープが外された鉄塔には蔓が巻き付き、不完全な撤収でリフトの
残がいが草の中から覗いていました。

    
 
 
       小荒島岳                 ススキの穂も

 
    2009年5月に撮影の白山       同じ位置から(白山はガスの中)

360度の展望が利く独立峰の山頂からは真正面に美しい白山が見
えて欲しいのですがこの日は山頂部がガスの中でした。2009年5月
の写真の中からたまたま同じ位置から撮った一枚が出てきました。

余談: ”それはご縁がなかった” と思い・・・、
民宿「H・M」のおかみさんが口にされたお話です。予約の時に名前
だけは聞かれましたが
電話番号は? とこちらから尋ねると、”結構
です” との応対でした。夕食時の客は私達だけでした(朝食時には
他の登山客も)
。お孫さんを抱っこして現れたおかみさんと暫し雑談
になります。

電話番号をお聞きしておいてお泊りにならなかったとしても電話を
してキャンセル料を戴くわけではないので必要のないことで、それは
ご縁のなかった事だと思っていますと。24歳の時にこの勝原に嫁
いできて民宿として長く多くのお客様と接してきたが、苦労もし多くの
事を学んだ。物事にこだわり腹を立てたりする事は結局自分の人生
をつまらないものにするだけだと思いまして・・、と静かに。

うーんそうか、
お母ーさん!(おかみさん)。 さて自分はと考えてしま
いました。他にも実に含蓄、興味のあるお話をされましたが、訥々
(とつとつ)と、
じっと聞いていたい口調の体験、人生訓で今回の旅の
貴重な思いでとなりました。歳のほど70歳半ばでしょうか今が一番
幸せだ
とも仰いました


    
        民宿まで100mの勝原駅、のどかな町

知り尽くした荒島岳:アドバイス
おかみさんは、荒島岳は出来るだけ早立ち(朝早く)した方がいい
荒れる山だと。朝食は6時でいいと云った私に5時半には出発せよ
とアドバイスです。下山後1時間ほどで確かに雨が落ちてきました。
また登山客相手の民宿で宿泊料金からしてほとんど期待をしてい
なかった夕食の豪華さ(肉、魚の他に自分で栽培の野菜、加工物)
に目を丸くしました。野菜もお米もご自身、御家族で、さらには山菜
と、そしてそれらを宿泊客に振舞われます。

    今日もご覧下さいましてありがとうございました 


                         *********

 
         写真展のお知らせです

        わいわい写真クラブ作品展
   
     
  会場:市立野洲図書館ギャラリー

        日時: 10月22日ー10月28日
               10時ー20時 
            土日は18時、28日は16時まで。
                          月曜日は休館日です

        ご指導: 八田正文先生

       皆様のお越しをお待ち申しあげております。

         ありがとうございます  Kenny

  

 

 

 

コメント (4)
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