趣味・興味プラス挑戦

郷土史、登山、スキーなどを写真と共に書き綴っております

Kennyのスキー場便り:めいほうスキー場

2013-02-28 10:40:39 | スキー

日本アルプスの絶景と郡上おどり
 

=めいほうスキー場での嬉しいプレゼント=

    ♪今年も隠居4人組の恒例冬の旅♪

 
    (この日記の掲載は3月8
日~3月14日)

運よく絶景が、そして郡上おどりも体験
幸い天気が良くてスキー場の最上部から360度の展望。
北、中央 そして南アルプスの主な山を 最高の気分で眺
めてきました。その内の幾つかは自分でも登っているだ
けに感無量です。


  スキー場 ゲレンデ最上部から穂高の山々・槍ヶ岳を望む

  名前入り拡大写真は  クリックしてくださいね
       
現地の安内板  クリックで拡大
         
(看板の背後に御嶽、乗鞍、穂高連峰、槍ヶ岳が見えます)


  槍の穂先(左)が写っています。TOPの写真の部分拡大

実は看板には槍ヶ岳、大喰岳、北穂高などと書いてありま
すが槍のとんがった所は目に入りません。それは穂先は
雪が付着せず白くないからです。でもちゃんとカメラは捉え
てくれていました。  

郡上おどりの実演が
運よくその日、ホテルに帰れば郡上おどりの実演がありま
した。よく耳にする音頭 の名前は 「かわさき」 でした。
他にも何曲も聞かせて、踊らせてくださいました。 
                (下段に音頭を:youtube)


 宿泊のGホテル(郡上八幡)で期せずして郡上おどりの実演
 

仲良し4人組
退職組です。暇でも困るわいと山の会の門を叩いて知り
ったほぼ同い歳のお互いに過去は知らない親友です。
楽気、きらくな仲間です。年間を通じて山(夏山のみ)とス
キー、時には一杯やっています。 もう4年のお付き合い。

めいほうスキー場(郡上市)へ4人で
毎年4人揃ってのスキーはここに来ています。緩斜面で長
いゲレンデが4人にはぴったりなんです。それとどうしてか
ボーダーが少ないこともあります。平日ですのでゆったりと
広いゲレンデで楽しめます。


笠ケ岳(左から)ー 西鎌尾根ー 槍ヶ岳ー大喰岳ー中岳ー ・・

 
                 御嶽山       


                 乗鞍岳       
 


                 南アルプス
                  


                   白山

               
                      おどり 「かわさき」 の指導            
                        
音頭
ここを かわさき          


   ゲレンデ:前方に乗鞍、御嶽(左)             メインゲレンデ
       
           
                    もう一つの幸運 新雪です

               

         今日もご覧くださいましてありがとうございました

 

 

コメント (6)
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Kennyの歴史探訪:金森合戦

2013-02-27 17:30:43 | 郷土史

金森合戦の地、守山市(滋賀県)を訪ねて
  真言宗・蓮如と山門(天台宗・叡山)の法難
    
=Kennyの滋賀から情報発信=
     
(この日記の掲載期間:3月1日~3月7日)


          講師先生の講義・ 県の研究員

またどえらい題名で・・・
私、Kennyはこんな騒動がお隣りの町、守山市であっ
たことを
初めて耳にしました。今日も聞きかじりで
訪問くださいました皆様にはご無礼千万ではあります
記録に残しておこうと思いまして掲載致しました。
つもの
ように滋賀県と、今回は守山市の文化財保護課
専門職の皆様がこの騒動の講義
と現地案内をして
くださいました



   金森御坊があった同じ敷地に善立寺を建立

金森(かねがもり)合戦:こんな騒動があったんや!
15世紀、室町時代のお話です。現在の滋賀県守山
市で 日浄坊率いる山門側(叡山を本山とする天台宗)

武力行使を当地 赤野井の真宗側、慶乗らが結集し
て応戦します。双方に戦死者が出る事態に発展しま
した。

 しかし、本願寺派の法主であった八世蓮如は 「言語
道断ノ事、(中略) クセ事ナリ」 と輸して金森衆に解
散を命令、金森を退散させます。


                     善立寺

国人(地元)の道西は寛正6年(1465)に大谷本願寺が山門に
取り壊されたときに蓮如を京都から金森に招きました。蓮如は
金森御坊(道西の道場)から発展的に建立したこの善立寺
拠点に三年間金森に滞在し、湖南の各地に教えを広めました
(後述)。


 
    蓮如上人像   善立寺境内     懸所宝塔
                                        
                                      現地解説版(拡大します)
ことの起こりは
金森は元々は天台宗の地域であったのですが、信仰
の基軸を浄土真宗に大きく変えていった経緯がありま
(後述)。その上、近江に関係の深い流派として本願
寺系の熱心な布教活動に対して山門側が心よく思わな
かったことによります(組織運営基盤闘争)。

寛正の破却(法難):蓮如の流転
山門側は本願寺に対して寛容な態度を見せず、執拗
に攻撃を加えます。寛正6年(1465年)、最終的に武
力行使を掛けて大谷本願寺(京都)を破却、蓮如は拠
点を失い教線の拡大に成功していた近江金森守山
に3年間も
身を寄せます(先述)。


  善立寺前の道路を挟んで少し離れた所にこの碑はあります

合戦の勝敗は
蓮如が近江に移って以後も山門側から繰り返し武力行
使を受けましたが その一つが上述の金森合戦です。
最終的には山門と和睦、実質的には敗北となり蓮如は
新たな
教線拡大の地を越前に移していきます。

市専門員職員さんの案内で見学
金森の地は土豪川那辺氏が支配してきた場所ですが、
14世紀に本願寺に帰依して(先述)惣道場(金森御坊
が開かれ、これを中心として寺内町
宗教的性格と防御
の城郭的機能を合わせもった)
が形成されています。

                                      蓮正寺(三宅城)

後の戦国時代には、近在である三宅の蓮正寺と連携した城
として
の機能が整えられ、湖南地域の一向宗徒の拠点
となっていた

  
     蓮生寺 土塁             蓮生寺(三宅城跡)
                           解説板(拡大します)


今も守山市内には当時を偲ぶ城の下などの地名、寺
院、それをを核にした一体感のある集落、惣道場の跡
地元生まれ、道西の金森御坊)、堀跡、土塁などが残って
います。 なお、金森城と云う言葉が今回出てきました
が、私自身もう一つよくわかりません。これについては
ここを (滋賀県発行の文献)。寺内町(じないちょう、じない
まち)
の様子も絵図で紹介されています。


       現在の小川 堀跡とも考えられている

一向一揆
この本願寺における武力行使は史上初の一向一揆
とする説もあるとの事です。以後、信長の時代に至る
まで各地で一揆が勃発していきます。

戦国の世には土塁・濠をめぐらす金森城として石山
本願寺を攻める信長の軍を牽制します。また
信長の
対抗勢力(浅井氏・六角氏)に加担したことでも知ら
れています。もっともこの衝突は宗教間の争いでは
なく信長の弾圧に対する本願寺の対抗としての一向
一揆です(この項はKennyの理解で記載)


近江の一向一揆は、湖北では福勝寺などの湖北十
ヶ寺、湖南では金森・三宅(守山市)が中心だったん
ですね。前者は過日のこの講座で知りました。そして
今回と、このような機会を与えて頂き、感謝かんしゃ
です。



                    
            今回の講座見学コース図(拡大します)

ところで・・・、
守山市の名前の由来、守山は「比叡山」を守るから来
ていると随分と昔に聞き及んでいたのですが どうもそ
の説は相当揺らいでいるそうで、疑問が解けました。
そうでないと金森合戦の勘定が合わないもんですから。
しかし、議論する問題ではないですね。(^o^)/~~

お断わり: 
     *
今回記載の日記は過日開催された当歴史探索での話題
    の一部です。 
    当日の講師の先生方のお話と頂いた資料などを元に書き
    ました。しかし、内容に聞き違いや解釈の誤りがあるかもし
    れませんが どうか素人の日記とご容赦ください。
   県、文化財保護課主催のこのような
歴史探索につき、ブロ
    グでの講座内容の発信については今回に限らず当局のご
    了解を頂いております。

    今日もご覧くださいましてありがとうございました
 


 

コメント (10)
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Kennyのスキー場便り:国境スキー場

2013-02-06 18:35:45 | スキー

    滋賀のスキー場、ここにも
国境スキー場(高島市)、結構長い緩斜面
   
Kennyの滋賀から情報発信
       
(この日記の掲載期間:2月22日から2月28日)

                 祝!

    モーグルW杯 伊藤みき選手初優勝
                2月24日2013
福島県で開かれたスキーフリースタイルモーグルのワールドカップで、
伊藤みき選手が2人で同時に滑るデュアルモーグルで優勝し、ワール
ドカップ初優勝を果たしました。滋賀県出身 (2月24日追記しました)
 *滋賀県出身の伊藤みきさんについてはここを(奥伊吹スキー場)*

  トミおじさん、SAJ 2級合格おめでとうございます
私達のスキー仲間、ブログ名トミおじさん(FKT)がこの度 SAJ 級別
技能検定2級に合格されました。 御歳80歳での挑戦、一発合格です。
現役バリバリの元気おじさんで、私達が目標とする大先輩です。 すごい
なー、トミおじさん! 脱帽です。   (トミおじさんのHPはここを


     国境スキー場 (くにざかい・滋賀県高島市)


            国境スキー場・大谷コース

我々優雅(?)なスキー客専用と思うなかれ
早速、孫を友に滑ってきました、国境スキー場。名前は聞いて
いましたが
今回初めてのスキー場です。てっきり家族向け、お
子様
向けかと思っていましたが、なんとなんと若者、熟練組の
練習バーンとしても十分の斜面、長いゲレンデです。 レストラ
ンも二つ完備で利便性も申し分なしでした。

 
       ちびっこスキーヤも              若者ボーダーも

 

             ゲレンデマップ

結構長いゲレンデ、斜度も十分
大きく二つのコースの内、乗鞍コース(マップの左)の最上部
からは約1600mあります。出だしも20度の傾斜が嬉しいで
す。もう一つのゲレンデ、大谷コース(マップの右)
の最大斜度
は30度です。600m程ですがもっと長く感じます。 なかなか
いいぞー!


                      大谷ゲレンデ最上部

アクセスも楽々
このスキー場は滋賀県と福井県の県境の国道161号線沿いの
滋賀県高島市にあります。多くのスキー場にある細い急な山道
を登って行く必要がありません。 高速の
北陸道 木之本IC、敦
賀IC
から共に20km弱で30分位で到着です。

       
    スキー場への道路地図        孫、小5 態度でかくない?
           
(クリックで拡大します)       (まだまだ、でもなー、ヒタヒタと・・)

滋賀のスキー場の紹介
これまでに びわ湖バレー、奥伊吹 を取り上げました。 この
で三つ目です。他にまだ箱舘山スキー場があります。 近い
うちに滑っ
てきます。
     
   これまでに紹介した滋賀のスキー場、私のブログは:
        びわ湖バレースキー場は: ここを
        奥伊吹スキー場は: ここを

      今日もご覧くださいましてありがとうございました

      

 

         

 

コメント (8)
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Kennnyの写真館:2012年の思いで:その2

2013-02-04 19:04:26 | 四季、思い出に残る風景写真と話題

 2012年、四季 思い出の風景
=写真集 その2 初秋から晩秋にかけて=
  別世界のことだと思っていた写真を今こうやって

           (この日記の掲載期間:2
月15日~2月21日)


             六甲山登山道で (2007年11月撮影)

いつもでも引き出せる4枚の写真
今までに撮った写真はHDD、他に保管しています。その中にいつ
でも取り出してPC画面に再生することが出来る特に愛着のある
枚の写真
があります。今も写真を趣味として楽しんでいるきっか
けとなった作品です。

TOPの紅葉の写真はまだ何も分からない時期に撮った一枚です 。
勿論、いわゆる初心者のまぐれの一枚ですが
先輩生徒さんの作
に混じって先生が教室で取り上げて下さいました。あの時の先生
のお言葉、「一本の木を軸にゆっくりと回転しているような構図だ」
を今も鮮明に覚えています。 

 


                           野外教室で雨の中

           
           スキー場の夕方    地下ロビーに射す
              (いづれもクリックで拡大します)

上に掲げた4枚の写真は共に3年、4年ほど前に撮った作品です。
作品の色調(例えば画面全体を緑で統一)、(いい光が当たってい
る)など作品で大事な要素を教わりました。上述の構図も含めて当時
それぞれに そうかー、そういうことなんだ、ひょっとしたら僕にも出来
るのかなと もう少し写真を続けようと前向きに考えるようになりました。
そして今 喜びと挫折感(の方が多いです)の両方ですが、でも日々楽
しんでおります。 

2007年のこと: 私が写真なんて・・・
この年の5月に初めて八田正文先生にお目にかかりました。以来先
生の元で仲間と一緒にご指導をいただいております。
元々は登山が
趣味で山や周辺の風景を残しておきたいとカメラを持ち始めたのです
が、同じ撮るならば習ってみたいと思いました。 しかし当時私が写真
なんて全く場違いだと思いながらの挑戦でした。


                 ♪ ・・・・・・・・・・・・・ ♪

   昨年歩いた風景: 私の写真集、第二回(最終回)

先生とご一緒させていただいたり、仲間とそして一人で歩いたりと
んな景色を見てきました。前回(1月18日:そのブログはここを)に続き こ
れらの風景を何枚かの写真で振り
返ってみたいと思いまして拙作な
がら掲載させて頂きます。
今回はその第2回目で2012年7月から
12
月頃にかけて歩いて見てきた風景です。どうかよろしくお願い申
しあげます。



              大笹原神社(野洲市)境内  

本殿は国宝に指定されています。夏の昼下がり、太陽は真上にあり、
撮影には不向きな時間帯ですが、境内の樹木が撮影の機会を与え
てくれました。



                     三上山登山道で

三上山内部は木漏れ日が美しい山です。この枝にも朝日が当たって
いました。、後ろぼかしで枝を強調しました。



                三上山登山道で

この山では、朝の早い時間帯に極く薄い霧が発生することがあります。
そこに朝の木漏れ日を受けてこのような光景をよく見ます。



                 琉球朝顔

我が家で初めて朝顔を咲かせました。(ブログ、成長記録はここを)。 最盛
期の一輪です。

     
             中秋の名月(琵琶湖西岸で)

写真仲間で中秋の名月を撮りに行きました。仲間のMさんは月齢
、他 天体に強く、ご自身で取ったデーター通り 彼が云う時間に東の
空に現れました。(あたりまえなんでしょうが)このような事象に疎い私に
は感動ものでした。



               琵琶湖、その日は風が強く

風が強くてその日は琵琶湖の波が荒々しく
とっても力強く感じました。
その大きな波が最後は砂浜に消えていきます。はやり琵琶湖は日本
一大きな
湖ですね

      
              ススキの季節がやってきた

三上山、妙見堂跡広場のススキです。このススキも朝の木漏れ日
を受けています。



             奥琵琶湖、飯浦(はんのうら)

旧の国道8号線、山梨トンネル出入り口です。夕刻の光を受けてい
ました。ここからの生竹島、葛籠尾崎を含む奥琵琶湖の眺めが最高
です。


 
                            希望が文化公園近くの池で

毎年秋の撮影ポイントで、自宅近くの池です。池の淵でお喋りをして
いた水鳥が私の接近で池の中央へ避難開始です。「またきたぜー、
あのやろう」、かな 水鳥さんにとっては。でも私にも目的があるんです。
逃げて貰わないと話にならんのです。 波形が命。


      
            ふるさと館(野洲市)を望む

希望が丘文化公園と隣接して花緑(かりょく)公園があります。その
管理事務所(宿泊施設も)のメタセコイヤの紅葉が朝日を受けてとって
も綺麗でした。

         今日もご訪問いただきありがとうございました

 


 

 

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