♪大地一人のスカイツリー暮色♪

有料版/運命鑑定
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生霊の存在を信じないヤツは、このブログを読め!①

2013-06-30 12:55:19 | 日記

 <ニューギニアから、俳優・加東大介の生霊が戻ってきた話>

 

生霊とは、生きている肉体から霊魂が遊離したものをいう。

俳優の故・加東大介から直接聞いた話として、以下のようなものがある。

(加東大介は、女優沢村貞子の弟である)

 

敗戦の色濃くなった昭和18年、加東大介の部隊は、ニューギニアにあった。

ところが戦局は容易に好転せず、ニューギニアに釘付け状態であった。

部隊集結の場所は、島の西にあるマノワクリ。

 

じりじりしながら待機しているうちに、

やっと19年4月に転戦命令が出た。

「フィリピン・マニラに転進せよ!」ということだったが、

当然、船に乗る必要がある。

そのためには、北部のウエワクまで行かねばならない。

 

将校たちは、飛行機でさっさと出かけた。

ところが4万名の歩兵は、地図に適当に赤線を引いて、「ここを歩け」と言う。

全く無茶な話だ。

 

加東は、衛生下士官だったので、

傷病兵の世話をするために残留せねばならなかった。

残留組は1万5千名もいた。

 

ところが、後で見に行くと、2万5千の転進組は、

密林の中、白骨が石を並べたように、一列に並んで死んでいた。

大半は、餓死だ。

 

残留組も、「どうせ米軍に占領される」と思ったので、

「いっそ自決しよう」ということになった。

 

だから、残っていた食料を食えるだけ食って、

残りは全部海に捨てた。

没収されるよりマシと思ったのだ。

 

ところが、米軍は、アノワクリ進行を止め、マニラに向かった

・・・という情報が入った。

 

米軍は、「敗残兵は、相手にするまでもない」と判断したらしい。

 

さあ大変だ。

食べるものがない。

熱帯なので、マラリアにも罹る。

残留組も、どんどん死んでいった。

 

加東も19年3月、ついに危篤に陥った。

 

軍では、そのときの症状に応じて、第一報、第二報、第三報の順で、

家族に電報を打つことになっていた。

加東は第三報で危篤状態だ。

 

このとき加東の霊魂が、肉体から遊離し、日本に戻っている。

 

のちほど、加東は九死に一生を得て、故郷に戻った。

そのとき、驚くべき真相がわかったのだ。

 

この、とうてい信じられない出来事は、有料版に述べる。

(繰り返すが、加東大介本人が、語ったことである)

 

(無料版中略)

 

さて、同じ体験は、多くの兵士にも起こっていた。

危篤状態になると、昏睡状態が続くが、一時的に急にパチリと目を開ける。

そして言う。

「上官殿、大変申し訳ありませんが、外出許可をいただけませんか?」

上官はまたかと思い、応える。

「よしよし、ほら、許可証だぞ、存分に家族に会って来い」

手に紙片を握らせてやると、ニッコリ微笑み、

「ありがとうございます。ではただいまより、帰ってまいります」

と言うと、また昏睡状態に陥る。

2、3分すると、またパチリ両岸と目を開ける。

「ただいま、戻ってまいりました」

「早かったな・・・奥さんはどうだった?元気にしてたか?」

「はい!ちょうど、風呂が沸きあがっていて、背中を流してもらいました。泣いて喜んでくれました。

上官殿にお世話になった御礼にと、ビールを1瓶捧げてまいりました」

「そうか、遠慮なく、もらうぞ」

また手を握ってやると、昏睡状態に陥り、平均して、6時間くらいで、息を引き取る。

 

結局、このニューギニアでは、残留組の1/3は、生き残ったが、なにしろ、4万人のうち、

内地の土を踏めたのは、わずか7千人だった。

 

この体験で興味深いのは、ニューギニアと日本の間を、わずか数分で、往復していることだ。

 

ブログの有料版は、いよいよ明日7月1日から始まる。

今年(2013年)12月31日までだ。

希望者は、こちらの見本版を見て、

申し込んでほしい。

 

http://lovewind777.web.fc2.com/yuryomihon/src/index.html

 

よく、見本版を見て、注意事項や免責事項なども、勘案し、

もし申し込みたい人がいれば、こちらからお願いしたいと思う。

 

https://www.form-answer.com/applications/F8FAW

 

 

7月1日すぎても、約1ケ月間は受け付けOKだ。

 


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