ほよほよさんぽみちNEW

いつでも君のこと好きだったよ

近藤芳美『新しき短歌の規定』

2015-09-10 22:08:53 | 日記

 しばらくの間、『黒豹』から離れざるを得なかったのですが、ついにきょうからまた復活です。

 

 目は休めながら。

 

 『黒豹』はひととおり目が痛くなる前に読んでいて、歌論集『新しき短歌の規定』を読んでいる途中で目が不調になったのでした。 この歌論は近藤芳美が戦後すぐに書いたものを集めてあって、とにかく熱い。 挑戦的で、挑発的で、ときどきみられる「ぐらぐら」と書きながら揺れているところを含めて面白い、のです。

 

 そこまで書かなくても・・・というくらいで、たとえば、「15人民短歌について」では、当時新しく出た「人民短歌」という総合雑誌(と、書いてある)に掲載された作品について、いくつか作品を挙げたのち、

 

 「いったいにこの人びとの安易な取材発想に、人びとはいらいらとしないのか。安易な材料を、安易なシチュエーションでとりあげる態度に、たとえ彼らが歌の健康性、庶民性を主張しようとも、この情熱の喪失―素材としての情熱ではない―作品一首に盛り上がるパッションの不足は、何と説明してくれるのであろうか。一首としての平板な、重量感のない作品結果に、何をわれわれは見ていけばよいのか。」

 

 と、手厳しく続けています。 昭和22年8月の文章です。 かなり焦っていたというか、苛立っている様子がこの章以外からも湧き上がってきます。 こういう人いまいないなぁ。 当時近藤芳美は30代半ばであったから、新しい短歌を、歌壇を、どうにかしないと、という責任感に燃えていたのかもしれません。 昭和23年には第一歌集『早春歌』、第二歌集『埃吹く街』、24年に第三歌集『静かなる意志』をつぎつぎに上梓し、今回の『黒豹』は第八歌集になります。 

 

 まぁ、『黒豹』は戦後20年、昭和43年に出ているので、戦後直後の沸騰するような熱さはないものの、国外の戦争にも目をむけて、ある種の葛藤や苛立ちはずっと流れ続けている感情のように思いました。

 

 ついつい、私は高安国世のことを背景に考えるのですが、昭和43年といえば、『虚像の鳩』(第八歌集)あたりだなぁとか。 

 

 「捨て身になれよ高安君」なんて近藤芳美に言われていて(高安国世第三歌集『年輪』に歌がある)、「高安国世を読む会」で読んでいたときは、捨て身って言われたって、息子さんの聴力障害がわかったり、寝たきりの義母さんをひきとったり、大変だったんだから、と思っていたけれど、近藤芳美にも焦りとか苛立ちがあったんだなぁと思いました。

 

 捨て身になれない、ちょっと引いてしまうような性分の高安さんが私は好きなんですけど。 (脱線ばかりして来週の水曜日までに『黒豹』のレポートができるのでしょうか・・・)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« オフィスのお姉さんを目指して | トップ | 宇治川 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事