ほよほよさんぽみちNEW

いつでも君のこと好きだったよ

実家の窓から

2022-12-31 10:49:48 | 日記

 こんにちは。実家からです。写真は仕事部屋(元妹の部屋)の窓からの景色。ようやくきのうパソコンを持ってきてもらい、ひぐまさんにWiFiを繋いでもらうことができて、実家でもここに書けるようになりました。

 

 26日(月)に仕事へ行って帰りに実家へ泊りにきてからずっと実家にいる。いま思うのは、長くブログを続けていて、そんなに間隔を開けることなく書いてこられたのは、どんなに忙しくても書ける時間と体力があったということ。それに気が付いてこれまでの日々に感謝しなくては、と思う。

 

 18日に父が施設へ入所して、妹と叔母と3人で母のサポートをしてきた。妹は仕事を辞め、私は出勤日数を減らし、前倒しで冬休みに突入となった。みんなこんなに親に尽くしているんだろうかと思う。

 

 このままでは私も妹も暮らしが成り立たなくなる。いまでもふたりの夫には大きな負担をかけている。

 

 なんとかしなくては、と思い、ケアマネにも相談しつつ、自分たちでも施設をめぐって、特養の見学に行ったり、多くの書類を書いたりしている。結局母は1月8日からショートステイのロング(そういうのがあるらしい)を活用することになった。

 

 昼間は3人のヘルパーさんに来てもらい、夜は週に2度くらい私と妹が交代で泊まりにくれば、なんとか母はしばらくここで暮らせると思ったけれど、やはり母がひとりで夜を過ごすのは不安過ぎる段階に入っているということがここで暮らしてみてわかったのだった。

 

 きのう新しいパジャマや下着を買い、母と一緒にお風呂に入り、それを着せた。母はとても気に入って、「お正月だから新しくするの?」ときくので、「うん、そうだね」と答えた。

 

 春くらいまで少しずつ楽しみながら母と食べようと思っていたゆずジャム3瓶も、2瓶めの途中で母に食べてもらうことができなくなる。それでもきょう、庭に残っていたゆずを12個採ってきた。ここのゆずでまたジャムを作ろう。

 

 今朝は4時半に起きた。階下で寝ている母がトイレに起きてくるんじゃないかと思うとそれから眠れなくなって、黒豆を水に浸したりした。

 

 母は6時半くらいに起きてきたのでそのまま朝ごはんを一緒に食べ、洗濯ものもはやく干せたので、8時にはなんにもすることがなくなった。いいな。ヘルパーも誰も来ない日。ヘルパーが来てくれるのはありがたいけれど、訪問時間にあわせて家族は食事をしておかないといけないし、寝ているわけにもいかない。料理をしてもらうために食材もそろえておかないといけないから毎日買い物へいく。(普段は買い物はヘルパーさんにやってもらうけれど、家族がいるし、家族の食材まで買ってきてもらうのは悪いし)

 

 結構疲れるのだった。

 

 8時から庭の整理をした。枯れた草を引き、葉っぱを集める。根がぱんぱんになっているシンビジウムをきれいにする。この家ももうすぐなくなってしまうかもしれないけれど、母の庭は少しでもきれいにしておきたい。庭をきれいにしたからといって、母が昔の母に戻るわけでもないし、家が高く売れるわけでもないけれど。母の庭がぼうぼうになっているのを見るのが私が嫌なだけ。

 

 私が泣いていると、母が「どうしたの?」と訊く。「いい夢をみたんだよ」と言ったら、「いい夢を見てなんで泣くの?」と訊く。

 

 おかあさんと、ゆうゆとひろちゃんとパンダとみんなでホテルで買い物して、好きなもの買って、銀杏並木を歩いて帰る夢だよ。

 

 へえ、いい夢だな。

 

 だけど、帰ろうとしても電車とバスがなくて困ってた。

 

 それは悲しいね。だから泣いてたの。ほら、ティッシュいっぱいあるよ。

 

 といって、母はティッシュボックスを手渡してくれた。どれだけ泣けっちゅうねん、と思ったらちょっと笑えた。

 

 夫がお昼ご飯できたよ、と呼びに来てくれた。

 

 お母さん、ご飯だって。

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プレゼント

2022-12-24 23:24:30 | 日記

 きのう、帰宅したらチェコ政府観光局からクリスマスプレゼントが届いていた。ほんとうに大げさじゃなくて、ぴょんと飛び上がるほど嬉しかった。最近へこむことが多かったから。昨年もいただいたのだけど、すっかり忘れていて、思いがけないプレゼントだった。

 

 かっこいいチェコの2023年のカレンダーとクッキー、キャンディ。会社の同僚のS子さんからも帰りがけにちいさな紙袋を渡されて、あけてみたらお菓子入りの靴下だった。かわいい。

 

 きょうは朝から実家サポートでばたばたする。午後からは父の介護施設の契約に行った。事前に電話したときに館長さんが不在と知っていて、スタッフに書類を預ければいいというふうに聴いていた。

 

 インターフォンを押したらスタッフがでてきてくれて、書類を手渡そうとしたら、「スタッフ長がおりますのでスタッフ長に渡してください」と言われる。スタッフ長!と呼び止められた大きな男性が振り返ると、その人が押していた車いすに父が座っていた!

 

 コロナ対応で近づけなかったけど、「おとうさーん」と声を掛けたら、「〇子か?(母の名前)」というので、「千鶴だよ~」と言ったら、スタッフ長に向かって「娘ですわ」と説明してくれた。家にいるときより元気そうだし、意識もしっかりしていた。

 

 「ご飯たべてる?」

 「食べてるよ」

 「また会いにくるからね~」

 

 父はにこにこ笑って手を振ってくれた。私も大きく振り返した。スタッフ長さんと少し話をして様子を聴くこともできた。

 

 夜もぐっすり眠っていて、トイレの回数も少ないらしい。食事は完食。ほかの入所者ともトラブルなどなくて、穏やかなお父さんですね、と言われた。

 

 よかったな。 父が元気そうで。 プロのひとにお世話してもらって安心しているんだろう。

 

 きょうはクリスマスイヴ。 父に会えたことが何よりのクリスマスプレゼントだった。

 

 

 

 

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ベッド

2022-12-24 00:48:12 | 日記

 このあいだ、12月20日にレンタルの業者が来て、実家の父のベッドや据え置き手摺りや段差スロープを撤去していった。

 

 今年の3月10日に介護ベッドを2台借りた。それまで2階のベッドで寝ていた両親も2階への上がり降りが危険になってきて、それに対応したものだった。それから9ケ月で父のベッドを返却することになってしまった。暮らしって、めまぐるしく変わっていくものなんだな。

 

 がらんとした和室。父はもう戻ってきても寝る場所もないんだなと思う。ごめんね。あんなにこの家が好きだったのに。

 

 だけど、こうするしかなかったことも、父ならわかってくれると思う。その都度、その都度、いまできる最良のことを考えてやってきたんだから。

 

 「おまえらが笑ってたらええんや」と言っていた。ずっと昔から。

 

 父の気持ちがいまよくわかる。母と妹が笑っていたらそれでいいと思う。

 

 お父さん。

 

 お父さんも新しい場所でがんばっているんだから、私もがんばるよ。

 

 お母さんとゆうゆのことはまかせてね。

 

 あしたは父の施設との契約に行く。コロナでなかなか会えないけれど、ちらっとでも父の姿が見られたらいいなと思う。

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父、施設へ入所する

2022-12-18 22:52:25 | 日記

 水曜日、堺の友達と夜に京大オケの堺公演を聴きに行って(すごくよかった!)、そのあと翌日の両親のワクチン接種のために実家に泊まりに行ったら、ケアマネの言っていたことは大げさではなく、両親の暮らしは酷い状態になっていて、もうふたりでは暮らせない、という結論に至った。

 

 もともと水、木曜日を休みにしていたのだけど、金曜日も会社を休ませてもらい、各方面いろいろキャンセルする。

 

 父はもうひとりで動けない状態で、無理して歩こうとするたびに転ぶ。そして、助けを呼ぶ、という繰り返し。妹も一緒に泊まっていたのだけど、トイレで転んで動けなくなって、ふたりでなんとかひっぱりだしたり。そういう状態でワクチン接種に連れていけないのでキャンセル。

 

 木曜日はひぐまさん(妹の夫)が午前中に早退して駆けつけてくれて、ネットで施設を探してくれたりした。それで、奇跡的にいま空いている施設が見つかって、13時30分から3人で見学に行く。14時30分からケアマネの訪問。いろいろ手配してもらって、18時にもうひとつの施設の人が父の様子を診に来てくれて、空いている施設があるなら、そっちを進めた方がいいと言われ、あわてて日曜日の入所を決めたのだった。

 

 私も1泊くらいのつもりだったので、夜に夫にいろいろ持ってきてもらう。着替えとか本とか柚子とか、アイリスオーヤマの圧力鍋とか。ネットが使えないから、時間があったらジャムを作ろうと思って。

 

 こんなに急に決めても大丈夫だろうか。いや、もうどうしようもないんだから仕方ない。と揺れながら数日を過ごす。

 

 金曜日は最後の4人揃っての食事。持ってきてもらった圧力鍋で煮込みハンバーグを作った。父はとても気に入って、「うまいうまい」と嬉しそうに食べ、母の分まで食べてくれた。

 

 夜中も30分から1時間おきに呼ばれ、トイレへ連れて行く。日曜日までの辛抱だ、と思ってがんばる。

 

 妹は根が優しいので、急に施設に入る父がかわいそうとか、母はひとりでどうなるのとか、すごく心配してノイローゼふうで。妹が一番かわいそうだよ。家で看ることが幸せなわけじゃないからとケアマネにも、ヘルパーにも言われたけれどいまひとつ納得していない模様。私はもうすっきりんこ。このままじゃみんな疲弊して共倒れになる。

 

 土曜日に一旦妹は帰宅。かわりに私の夫が朝から来てくれる。洗濯したりコインランドリーで乾燥させたり、買い物行ったり、食事作ったりフル回転。ヘルパーが来てくれている時間は私にも時間ができるので、2日連続柚子ジャムを作った。忙しいけれど、心のバランスを保つには「いいもの」を作らなくちゃと思う。

 

 家じゅうに柚子の香が満ちて、いいにおいだねとか、おいしそうとか、やってきたヘルパーたちにも言われ、きのうは父の入浴介助に来てもらっている時間に、母にも柚子を4つに切る作業を手伝ってもらったりした。柚子ティにして飲んだり、パンにつけたり、ヨーグルトにまぜたり、そのまま食べたり。悲しいことなんてこの家にはないみたいに思える。

 

 昨晩は父に起こされ続け(階下で音がして降りていくと、玄関に立っていたり、キッチンにいたり。危ないのにどうやってそこまできたのと思う。)、サッカーのワールドカップ3位決定戦を見てしまった。とにかく日曜日の10時に施設に送り届けるまでなにか事故があってはならない。この計画がすべておじゃんになってしまう。そればかり考え続けていた。

 

 今朝は9時に妹がやってきて、10時に父を施設に送り届ける。結構あっけなかった。私たちが契約の説明を受けているあいだ、父は入所者と混ざって、車いすにすわりながらリズムにあわせて手を動かしたり。なんか馴染んでいた。

 

 軽度認知症の母をひとりにするわけにもいかず、年内はいろいろやりくりして誰かが泊まる予定を組んだ。きょうは妹が泊まってくれているので、私は久しぶりに帰宅。NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の最終回を見る。ああ、13人ってそういうことだったのか、と思う。

 

 明日は仕事帰りに実家で2泊。これからどうなるのかわからないけど、振り向かず、前へ進むしかないのだ。

 

 

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きょうだいたくさんいてよかったね

2022-12-12 22:50:30 | 日記

 きのうは実家のサポートの日。どんどん実家はびっくりハウスというか不思議の国のようになってきている。

 

 母は時間の国の住人のようだ。

 

 月~土曜日はヘルパーさんがきてくれているから、なんとか日常をやりすごしているようだけど、日曜日は私たちが行くまでふたりとも眠っている。きのうは10時に行ったのにまだ寝ていた。

 

 高齢化は眠くなるのか、いくら寝ても眠いよう。

 

 前日、ケアマネから父が階段下で転んで頭を打って紫のあざができているという報告があったのだけど、きのう私が実家に着いたら、父はベッドで眠っていて、短く髪を刈っているから、紫のあざがくっきり。フランケン状態になっている。痛そうだけど、、声を掛けたら痛くない、大丈夫という。

 

 炊飯器から母の下着がでてきたり。ああ、もう仕舞うところもわからなくなっているんだな。(次回から炊飯器は持参しようと決める)

 

 自宅で切ってきた柿。眠っている父に「柿たべる?」と声をかけると「食べる!」といってがんばってベッドからおきあがってキッチンまでやってきた。母も柿は大好きなのでみんなで食べる。

 

 あと、いただきものの外郎。母は嬉しそうに2つ食べていた。父も食べる。私が作ってきたゆずジャムで作ったゆずティもおいしそうにふたりとも飲んでくれた。こういう場面はおだやかな時間なんだけどなぁ。

 

 洗濯して、コインランドリーで乾燥させ、買い物へいき、お昼ごはん&晩ご飯を作る。

 

 母におみやげとしてブックタイプのアドベントカレンダーを持って行った。かわいいものが好きだから。きょうは11日だから11番の窓まで開けていいんだよ、ほら、チョコとか飴がでてきたよ。そういいながら母とひとつひとつ窓を開けていく。

 

 その後ろにはデコレーションされていないツリーの絵が描いてあって、そこへシールをいろいろ貼って飾っていく。母にこれやってみる?といったらうん、というのでふたりで考えながら貼っていった。わぁ、にぎやかなツリーになったね。といったら、母は嬉しそうに、

 

 「きょうだいがたくさんいてよかったね」という。

私「たくさんってわたしはふたりだけど」といったら、

母「あら、もっとたくさんいるでしょう」

私「え・・?」

母「わたしたちきょうだいでしょう?」

私「ちがうよ、親子だよ。わたしはお母さんの娘だよ」

母「ほんとう?? ずっときょうだいだと思ってたわ」

 

 ずっとってことないと思うけど。。とうとうそういう日が来たかと思う。私たち、年齢差が26歳あるんだよ。あら、そう。それじゃあきょうだいとしては離れてるわね。そこはわかるみたい。

 

 だって、「お母さん」って呼んでいるのにね。自分のニックネームみたいに思っているのかな。

 

 お昼ご飯を食べ終わると、ふたりが昼寝をはじめたので、私は庭の草引きをしたりゆずの収穫をしたりした。ゆずは30個あまり採れた。またジャムを作ろう。

 

 夕方に作った私のおにぎりも、昼の残りのクリームシチュウとサラダも、きのうの夜には食べなかったらしい。私たちは17時すぎに帰ったんだけど、それから何度電話してもでてこなかった。そんなに眠かったのか。

 

 きょうの夕方、ケアマネから報告があって、ふたりともベッドから全然起きてこなくて、ベッドのところへおにぎりを持っていったらがつがつ食べたらしい。できたらキッチンまで歩いてもらってそこで食べてほしいんだけどな。

 

 ケアマネはひどく心配していたけれど、まぁ、人間の本能というか生命力を信じるしかない。おなかがすいたらキッチンにいろいろあるから食べるだろうし、喉がかわいたら、冷蔵庫をあけてお茶でもりんごジュースでも牛乳でも飲むでしょう。

 

 あんまり真剣にむきあっているとこっちがメンタルをやられるので、ある程度受け流していくしかないと思う。

 

 会っているときだけでもやさしい時間が過ごせたらいいんだけどなぁ。難しいのだ。来年はどうなるでしょうか。というかこのまま年を越せるのか。心配してもしかたがないから新しい楽しい予定をひとつ入れた。そうやって少しずつ進もう。

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