ほよほよさんぽみちNEW

いつでも君のこと好きだったよ

よいお年をお迎えください。

2019-12-31 00:42:25 | 日記

 いつもほよほよさんぽみちNEWを読んでくださっているみなさま、ありがとうございます。

 

 NEWのまえの「ほよほよさんぽみち」から数えるともう15年くらいブログを書いているのですが、毎日、更新していない日も含めて多くのアクセスをいただき、個人的な日常のことが9割くらいなのに、申し訳ないというか、ありがたい気持ちでいます。

 

 眠れない夜に、ずっと読み続けて笑っていた、というコアなファンもいてくださって、そういう効果(効能? 役割?)もあることを知った今年でした。

 

 冬休み10連休が始まっていて、5日目がはじまったところです。

 

 おとといは姪&姪の子供たちといっしょに四条烏丸のポケモンセンターに行きました。とっても子供たちが楽しみにしてくれていて、そして楽しんでくれたようで、私も嬉しかったです。

 

 きのうはお墓の掃除と仏壇の掃除と義父が入所しているホーム訪問をしました。義父がホームのスタッフに私のことを「娘です」と紹介してくれたことに驚き、そしてありがたいなぁと思いました。「嫁」というとなんというか主従関係のようなものが漂うことを嫌ったのかもしれません。

 

 私の実家ではお正月に前年の10大ニュースを発表するのですが、藤田家の今年の1位は義父が介護老人ホームに入所し、以前より健康になった、ということでした。なんでも積極的に前向きに、好奇心を持ってくれる義父に心から感謝しています。きのうも、ホームで行われている習字教室の作品をいくつもみせてくれて、充実しているようでほっとしました。

 

 実家の両親も少しずつ頼りなくなってきていますが、義父のほうの時間がそちらに使えるようになったので、来年は帰る回数が増やせそう。

 

 来年もみなさん、どうぞよろしくお願いします。よいお年をお迎えください。

 

 

 

 

 

 

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未読の歌集

2019-12-29 20:34:54 | 日記

 このあいだ、2019年12月21日。最近ずっと続けていた朝読書のおかげで、うちにある歌集で未読の歌集がついになくなった。

 

 いままでは歌集を読む、好きな歌をノートに写す、礼状を書く、という1クールを繰り返していた。すると、どんどん未読の歌集が溜っていった。もちろん全歌集とか同人誌は除く。ちょうどその日は塔の忘年歌会で、二次会のお茶のときに、「ついに、塔に入って19年、未読の歌集がなくなりました」と告げると、ををを、というどよめきが。

 

 チェコ講座への長い移動時間も読み続け、ちょうど帰りに読み切ったところだった。

 

 そして。家に帰ると、ポストに歌集が・・・ つかの間の未読ゼロだったな、と思いながら、届いたばかりの歌集を読み始めた。

 

 そうこうするうちに、冬休みに突入し、冬休みになると通勤時間と駅で待つ間の読書タイムがなくなって、急に進むのが遅くなってきた。ううむ。

 

 おとといの朝、その歌集を読み終えて、ずうっと前に読んだ歌集のお礼状を書き始めた。すると、昼すぎにバイクの音がしてポストに歌集が・・・・ 増税前の出版ウェーブが去り、少なくなってきたなと思っていたら、お正月ウェーブがきているのか・・・・ 縁あって私のところに来てくれた本に対しては、やはり読まないと、という気になる。

 

 そして、手紙でも葉書でもお礼状というか感想を書きたいと思うのだけど、ぱぱっと付箋をつけて書く、ということができない。ノートに写し、どの歌がいいかじっくり考えないと書けないのだ。ほんとうに難儀な。

 

 というわけで、いま未読の歌集が1冊。心してむきあいたい。

 

 

 

 

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第55回あなたを読む会

2019-12-26 22:08:21 | 日記

 火曜日は第55回あなたを読む会だった。

 

 メンバー5人が揃う。クリスマスイヴだったので(というか、京都平日歌会と勘違いして)1時間まえに事務所へ行ったら、もうふたり来られていて、軽い食事をとったりする。その後、クリスマスのおやつを並べて行った。

 

 おせんべいとかお蜜柑とか、ラムネとかビスコ、シフォンケーキ、クッキー。必ずしもクリスマスっぽくはないけれど、バラエティに富んでいて、「これ食べてほしいな」と思って持ち寄ったもの、というのがこの会らしくていい。(シフォンケーキとクッキーはもちかえっておいしくいただきました)

 

 Sさんが用意してくれた紙ナプキンもちょとシックなクリスマス柄だった。いい感じ。

 

 13時半には5人が揃い、少しの雑談のあと、すぐに批評が始まる。

 

 とにかく、今回は分量が多かったのだ。24+5+5首、30首、10首×3連作+エッセイ、12首、12首。

 

 はーいっぱい読んだ。17時半までびっちり4時間。

 

 批評も手厳しいことをいいあう。歌をたくさん作るのはいいけれど、作ったのを全部みせるのではなく、吟味というかある程度、人に見せるものに仕上げてからもってこよう、明らかなミスは自分で見つける、とか。自戒もこめて。

 

 いろんなこと言い合ったあとは、お互いすっきり。今年もようやったなぁ。と、称え合う。

 

 来年も楽しく厳しく、続いていきますように。

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クリスマスプレゼント 

2019-12-25 22:00:56 | 日記

 このあいだの日曜日にマフラーをなくした。あのマフラーは去年の義母の誕生日にふたりでランチを食べに行って、そのとなりの雑貨屋さんですてきなストールを見つけて、私がプレゼントしたときに、色違いのを自分用に買ったマフラーだった。

 

 それからふた月あまりで義母が亡くなってしまって、ストールは私がもらった。ストールはかさばるので家で使い、マフラーは会社にも買い物にも巻いていって、とても気に入っていたものだった。

 

 それがなくなって、かなりショックだった。土曜日、日曜日に私が鞄を置いた場所すべてに電話をかけたり、もう一度行ってみたりした。

 

 でも、でてこなかった。家でしょんぼりしていたら、箪笥のうえにワインカラーの指輪ケースが置いてあるのに気が付いた。こんなところに指輪ケースおいたかなぁ。

 

 そう思いながら何気なくあけてみると、、、なんと、失くしたと思っていた指輪がちょこんとそこにあるではないの。!!!!

 

 去年、初めてチェコへ行ったときに、プラハで記念に買ったものだった。いろいろあったなかで、どうにか決めて、サイズにあわせてもらって。。とても気に入っていて大事にしていたのに、今年の夏、ふたたびチェコへ行ったときにホテルで失くした。鞄やポーチのなか、ベッドの下、サイドテーブルの隅。いっしょに泊まっていた友人や息子もいっしょに探してくれた。あんなに大事にしていたのに。

 

 息子「あの指輪、チェコに帰って来たかったんとちがう」

 

 そうかなぁ。チェコに戻れて喜んでるかなぁ。。どちらにしてももう二度とあの指輪と会えないと思うと悲しかった。

 

 その指輪のことは短歌にもして、塔にも掲載された。歌にすることが指輪への償いだ・・・と自分にいいきかせた。

 

 それが、指輪ケースに入っていたのである。5ケ月ぶりの再会。ああ、この指輪ケース、旅行にもっていっていたのね。その再会はちょっと泣けるほど嬉しかった。「失くした歌まで作ったのに」というと、夫が「またでてきた歌を作ればいいやん」

 

 そしてふと思ったのだ。義母がマフラーと交換に私のところに指輪を戻してくれたのではないか。ちょうどクリスマスだし。都合のいい考えだとは思うけど、こんな不思議なことってそうないように思う。偶然にしてはできすぎている。

 

 冬休みに入ったらすぐお墓まいりに行こう。

 

 写真はきのうの残り物を夫がリメイクしたきょうの晩御飯。

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カン・ハンナ第一歌集『まだまだです』

2019-12-23 23:51:48 | 日記

 

 先日、カン・ハンナさんの第一歌集『まだまだです』を読んだ。

 

 私はNHK短歌は録画していて、特に「短歌de胸キュン」は長く見て来た。さっきも録画していた「短歌de胸キュン」を観て、特別編の福岡(前篇)にカンちゃんが出ていて、なんとなく懐かしかった。小沢さんが北原白秋作詞の「待ちぼうけ」を唄う船頭さんに感動したり、小島よしおが即興の童謡(?)を披露したりして面白い回だった。

 

 歌集の話にもどる。

 

 ・空にいる古い木にいる川にいるニッポンの神 アンニョンハセヨ

 ・千年も生きる木なのに枯れそうな顔するあなたの妻になろうか

 ・暗い洞に溜息ためる木のあなた私の胸が森になってゆく

 

 1首目の歌はこのあいだ佐伯裕子さんも『まだまだです』の一首として紹介されていたけれど、とてもいい歌だと思う。韓国の女の子が日本にやってきて自然のなかに宿る日本の神にあいさつしている。意識していなかった「日本」を再確認させてくれて、こんなまっさらな気持で国と出会い、その国を知ろうとし、敬ってくれる。そういう態度に心が温かくなった。木のなかに人をみて、人のなかに木を見る。そして自分の中にも森を養う。そういう複雑なことを外国語である日本語でしかも短歌で表現するというのは、相当の努力と根気と愛情があったのではないかと思う。そのうえに才能が咲いたという感じ。

 

 ・焼き鳥を食べに行こうと誘ってよ大学の並木を一人で帰る

 ・石庭に静かな波が押し寄せて白い牡丹は声をだせない

 ・日本語の「行けたら行く」は「待たないで」の意味だったのか 飴を舐めつつ

 ・強い風にもつれた髪を櫛でとく またもつれたら我が櫛でとく

 

 日常のなかの寂しさと、文化の違いに傷ついたりしながら、それでも強い。2首目のような美しく内省的な歌と、4首目のようなたくましい歌。誰でも揺れながら生きている。沈んだり浮いたり。それでも浮き上がろうとする姿勢に励まされる。私は4首目が特に好きだ。「またもつれたら我が櫛でとく」。「我が」「櫛で」という濁音に決意が込められている。自分の人生だから。人に頼ったり人のせいにしないで、自分でもつれた髪はとく。

 

 ・反日が多いでしょうと言う前に一度でいいから行ってもらいたい

 ・母国から非難を浴びて辛いよねと日本の友が先に泣き出す

 ・茶碗蒸しの蓋のまるさがあいまいで今日は誰かを好きになりそう

 ・北風の姿を心に描いたら心の君が抱きしめてくる

 

 ストレートな思いも、優しい相聞歌も、その後ろにある控えめなものによって、読む者にじんわりと響く。

 

 明日、友人にこの歌集を貸すことになっていて、たぶん、また違った歌を好きになるだろう。読み終えると初心に帰るどころか、日本人に帰ったような気になった。カンちゃん、ありがとう。

 

 

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