ほよほよさんぽみちNEW

いつでも君のこと好きだったよ

バランス

2024-03-31 18:04:02 | 日記
 きのうの夜、息子がやってきた。翌日、イベントがあるときは宿に実家を使う息子。確かに加古川からではどこへ行くにも遠い。きょうは名古屋へ行くとかで、朝起きたらもういなかった。

 2日まえくらいに週末泊まっていい? という連絡がきて、また息子歓待モードに入る。

 夫は体調を崩していて(私が父のために焚いた線香のせい?)、今回は買い物も掃除もひとりでやった。新玉ねぎがおいしそうだったので、夕飯メニューは野菜たっぷりのクリームシチュウとコールスローサラダ、野菜の天ぷらというメニュー。デザートは苺とせとか。桃のゼリー。お風呂上りの飲み物はポンジュースと最近私が気に入っているKAGOMEの野菜生活グリーンスムージー。

 20時すぎに来るというので、17時くらいから夕ご飯の準備をする。

 夫はずっと自室にこもっている。「ご飯、あんまりいらんから」という。いや、いっぱい作るわ。と心で思う。うちの炊飯器はこぶりなので、3合がマックス。3合炊く。いいのいいの。

 20時すぎ、息子やってくる。玄関に入るなり、「おなかすいたーー」

 小学生のときのよう。「いっぱいあるよーv」 ほら、いっぱい作ってよかった。

 食事をしながら、息子は夫の興味のある戦争ものの映画の話など楽しそうにしている。「それもみたよ、玉木宏がめちゃ男前やったな」とか「あれは見ているうちに救いがなさすぎてつらくて途中でやめたわ」とか。夫もしんどいわりに楽しそう。その日に買ったばかりのカメラを見せてくれたり。

 夫がお風呂に入っているときに、「東京どうやったん」息子にきかれて、

「うん、まあまあ」
「たのしなかったんや(笑)」
「いや、浅草寺までの出店、一軒一軒みてまわるねん、おとうさん。外人みたいに」
「ははは。気持ちはわかる。僕かてみたいわ」

「あとさ、このあいだ西国三十三箇所満願になったのに、浅草寺の御朱印ほしいから並ぶっていうし」
「まぁ、浅草寺のもほしかったんやろうな、朱印帳も白紙のとこまだあったし」
「ほんまははやくチェコのお店にいきたかったけど、そこは文句いわんとがまんして待ったよ。30分か40分くらい」
「そもそもうちのモットーは旅先では別行動やのに(笑)」
「いやーたまにはいっしょに行動したほうがいいんかと思ってあわせてたけど、午後からは自由行動にしてよかったわ」

 わたしの愚痴は寝る前まで続く。

「おじいちゃんに毎日線香あげてたんやけど、最近、お父さん家にいはるやん。窓あけずにお線香炊いたら苦しいって。堺で泊まったら息苦しいって昔から泊まると1週間くらい寝込んではったやん。ナフタリンアレルギーとか言って。堺の布団で寝られへんって。最近は線香アレルギーにもなっててさ、おじいちゃんにお線香もあげられへんねん」

息子「窓あけて、線香の部屋は戸を閉めてたいたら?」
私 「そうやなぁ、お父さんが留守のときに焚くようにするわ。ずっといはるけど。なんであんなに気管が弱いんやろ」
息子「そら、工業地帯で育って肺機能が頑丈な人とは違うんやろ」
私 「え、それわたし?  私、肺機能が頑丈なんやろうか」
息子「城陽みたいに空気のいいところで育ったひととはそもそも対応能力が違うんやろ」

 自分では工業地帯で育ったという意識はないけれど、堺ってそういうイメージなんだろうか。

 確かに、小学生のときはしょっちゅう光化学スモッグがでて、運動場には出ないようにとかいう構内放送あったなぁ。

 でも、線香なんて日本じゅうで焚いてると思うけど。

 まぁ、息子に言われてちょっとそうなのかなとも思えた。両親のバランスをとったり、母親の愚痴をきいて父親のフォローをしたり。ひとりっこの息子ってえらいな。

 きのうは息子はピアノを弾かなかったので(毎回だいたい夜中に弾いている)、結構しゃべる時間があって、おもしろかった。

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親切のタイミング

2024-03-30 19:12:53 | 日記
 このあいだの木曜日は塔の京都平日歌会で、いつもと同じルートで、JR城陽→JR東福寺、東福寺から京都市バスで裁判所前下車、で行った。

 寒くてぜんぜんお花見って感じではなかったからすっかり忘れていたけれど、暦では春の観光シーズンまっさかりで、東福寺のバス停には外国人の長蛇の列ができていた。あらー 地下鉄で行ったほうがよかったのかも、と思ったけれど、引き返すには時間がない。

 それで後ろに並んでバスを待つ。やっと来たバスは「満員」で2,3人乗ったら終わり。そして次を待つ。202系統は比較的乗車する人が少なく、次の202系統のバスに乗った。

 途中で少し空いてきて、一番後ろの横並び席に座ってしばらくすると、ひとり旅のような東南アジア系の若者が私の隣に座った。

 とてもそわそわしているのが伝わってくる。

 こんなに混んでいるバスで、自分の下車するバス停で一番前まで行って、降りられるのかなとか考えているのだろうか。

 大きいてのひらの上に日本円の小銭を並べている。ちらとみると、500円玉が1枚、100円玉が2枚、10円が1枚、5円が1枚、1円が3枚。(しっかり見ている。230円にするにはかなり難しい。)

 500円を両替機で両替すれば運賃を払えるけれど、理解できているんだろうか。気になる。

 若者はスマホで日本の小銭について調べている。やっぱりどれがどういう価値なのかわからないよね。

 さりげなく、私の小銭入れをみたら、12円ある。私はICOCAで払うから、12円あげようか、どうしようか。でも、外国で知らない人にいきなり12円あげましょうかって言われたらびっくりするんじゃないだろうか。12円より20円のほうがいいよね。20円にしようか。

 と、考えているうちに、若者は立ち上がり、次のバス停で下りて行ったのだった。

 あーあ。めっちゃどきどきしたよ。たぶん、降りて行った若者より私のほうがドキドキしていたと思う。旅慣れているひとなら、両替とか、平気なのかもしれない。

 親切のタイミングを逃してしまった。親切ってされるよりするほうが勇気がいるような気がする。

 
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アカメ

2024-03-29 19:23:24 | 日記
 きょうは母に会いに行ってきた。月に一度(妹とあわせて2度)、面会に行くことにしている。

 それと、これから半年の介護計画の見直しの面談。

 あとは、今月初めに救急搬送された際の会計を搬送先の病院にしにいくというミッションもあった。

 10時に家を出て、まずは実家へ寄って雨戸を開ける。だんだん生活感が薄くなってきたなぁと思う。それと、2軒隣の家が更地にするべく重機で取り壊されていた。ああ、うちの実家もこうなるんだなぁとちょっと悲しくなる。

 持ち物の確認。母の春用の服、ズボン、肌着を2~3着ずつ持ってくるように施設から言われていたので、準備する。ズボンはこのあいだも2着買って持って行ったんだけどな。

 ズボンがなかったので買いに行く。ついでにお弁当も買ってきて食べる。

 13時半から母と面会。そのあいだに夫に病院への清算に行ってもらう。

 母は元気そうだった。皮膚の炎症も収まり、もう皆さんと一緒に食事をとったり雑談したりしてもいいことになったらしい。よかったな。

 切っていったせとか(なかなかせとかは販売期間が短いから、見かけたらかならず買う)を2切れ。母はおいしそうに食べていた。あとひとくちパウンドケーキやチョコレートをお茶をのみながらふたりで食べる。

 春の光がフロアに射していて、「あったかいね」「きょうはいい天気だね」という会話を10回くらいする。母が実家にいたときは同じことを言ったりされるとだんだん返事がいい加減になっていったものだったけど、いまは離れているからおだやかに返事ができる。

 14時から面談。基本はいまのまま。でも母は要介護4から要介護3に戻ったらしい。すごい。やっぱり施設で暮らしているとサポートがあるし、転びにくいせいもあるのかもしれない。

 このまま元気でいてほしい。

 写真は「アカメ」。新芽が赤いから母は「アカメ」と呼んでいたけれど、いましらべたら、「ベニカナメ」という植物みたい。でもいいのだ。わたしたちの間では「アカメ」だから。

 一昨年の春は自宅のキッチンの窓から隣の公園に植えられたアカメの生垣を母は毎日眺めていた。そして、「またうちのアカメが盗られた」「アカメがきれいだから盗っていくひとがいる」とか妄想のようなひとりごとを言っていた。もともとうちの植木ではないし、そんなものを盗っていく人がいるのかと疑っていたけれど。

 アカメを町で見かけると「アカメが盗られる」と心配していた母の声を思い出す。

 きょうも実家の横の公園にはアカメが元気に伸びていた。

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自分を疑いすぎる

2024-03-28 22:24:56 | 日記
 このごろ、ああ、これが加齢か、ということが多い。

 まずは、自分を疑ってしまうということ。これは、自分に自信がない、記憶が定かではないということにつながるかもしれない。

 先日、愛用しているブラシが見当たらず、最後に使ったのはいつだろうと考えて、ああ、東京だ、東京のホテルで髪を乾かすときにテレビの横にあった大きな鏡の前でブラシを使ったな、ということを思い出した。

 そうよ、きっと。

 それで、自室にいた夫に、「ブラシ、このあいだのホテルに忘れてきたみたい。何号室やった?」ときいいたら、「332やった」という。そうそう。332号室だったわ。

 スマホが二階の私の部屋(まえの息子の部屋)にある。充電していたのだ。階段をのぼりながら、着払いでブラシを送ってもらったらいくらだろうか、と考え、これは新しいのを買ったほうがいいのかなどと計算する。数日前の忘れものなんて保管してくれているだろうか。

 そして、携帯を充電器からはずそうとしたとき。

 充電器の横に探していたブラシがあったのだ!

 ブラシとスマホを持って階下へ行って「あったわ」と言ったら、「もう???」と呆れられた。

 大切なブラシを私が忘れてくるはずはない、とか、帰りに全部ちゃんとチェックしたから残っているはずはない、と以前なら思って家のなかをじっくり探しただろう。

 だけど、きっと忘れたんだ。 というところに思考がいく。

 また、忘れてきたんだ、と思い込む。

 いや、でも本当に忘れていたり思い違いしていることもあるから。頻繁に。

 この、マーブル状の記憶の曖昧さがやっかいなんだと思う。

 それこそが加齢なのだな。

 あ、きょう、ひさしぶりにガレージのようすを見に行ったら、ピンクのチューリップが4つ咲いていた。花はいつも間違えることなく時期がきたら咲く。いいなぁ。これからも花に励まされながら生きていくのだ。

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桜はまだ?

2024-03-27 22:31:00 | 日記
 今年は全然桜を見かけないのだけど、咲いてます?

 なんだか気づかないうちにもう桜の季節が過ぎていた、ってことになりそうで不安だ。

 ずっと寒いし。雨や風も強い日が多いし。春はどこへ行ったんだろう。

 写真は去年の3月28日の塔事務所前。花盛りではないですか。あした、同じ場所に行くけれど、こんなふうだろうか。

 ひょっとしたら、水度神社も鴻巣山の桜見台の桜も終わってるとか?

 確かにこのひとつきは忙しくて、岐阜県の華厳寺、母の救急搬送、義母の七回忌、奈良の短歌イベントとお水取り、父のお墓参りと信楽のお蕎麦、東京でのチェコアンバサダー認定式、ミキコさん宅でのホームパーティ。

 花見っていう余裕はなかったんだけど、終わってないよね・・・

 大谷の一平さんトラブルのことは、東京2日目の朝に知って、かなり狼狽え、いまもまだ気持ちがざわざわしているというか、帰りの新幹線も心配で眠れなかったりして、暮らしのリズムが普通ではない。

 でも、きょうはエンゼルスとのOP戦の最終日で、大谷がアナハイムの球場での第一打席のときに、球場にサプライズで大谷の去年のMVPの祝福の映像が流れて、大谷はそれを見てヘルメットを取ってお辞儀をしたというニュースが流れて、ほっとした。ありがとうエンゼルス。別の球団に移っても、大谷はエンゼルスのことを大切に思っているし、エンゼルスも同じ気持ちでいてくれたんだなぁと思った。

 新しい球団で、新しいスタッフで、あさってからの公式戦はがんばってほしい。こんなに温かく見守ってくれるファンや関係者がいるんだから、大丈夫。

 一平さんも大谷にとって大切な人であった時期があったことは確かだから、悪くは言いたくはない。もう過去の人。

 もうすぐ4月。ぱっとお花見に行きましょう。
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