年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

明屋敷伊賀者組頭格 内田弥太郎

2011年07月27日 | 福神漬
明屋敷伊賀者組頭格 内田弥太郎
嘉永元年4月より明屋敷伊賀者から浦賀奉行手付となった内田弥太郎は、明治政府に出した経歴書に異国船来航時に手伝ったとあったが中々記録が見つからなかった。『南浦書信』嘉永6年12月2日の戸田氏栄が井戸鉄太郎に出した書信にようやく内田の記録があった。戸田は井戸に対して内田の手当金の増額の要請を行っている。明屋敷とは今の幕臣の空いた屋敷を管理する警備人のような仕事である。若くして和算家として名声を得ていた内田弥太郎にとっては戸田伊豆守氏栄と下曾根金三郎による浦賀での抜擢は非常に感謝していただろう。下曾根は南町奉行・筒井政憲の実子でまた戸田氏栄3男は筒井のあっせんで長井家へ養子となった。内田弥太郎の和算の弟子にあたる花香恭法に戸田氏栄5男鉄丸(花香恭次郎)を世話した理由と思われる。

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