年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

明治初めの芝・増上寺にあった開拓使仮学校

2017年11月18日 | 築地市場にて

都立公文書館は今は二子玉川にあった廃校となった都立高校の中にある。元はJR浜松町駅から近い芝浦埠頭にあった。その当時は不思議な施設と思っていたが上野毛に愛犬の治療で通ううち、路上駐車しているとき、都立公文書館のところだったことを知った。

 石井研堂の明治事物起源の缶詰の始まりには余分な記述があってどこが事実かの見極めが難しい。ベンジャミン・スミス・ライマンが缶詰の始まりに出てくる米国人ならば福神漬の言い伝えも複雑になる。

 確認することは、四谷区津の守にライマンが住んでいたか確認するだけである。もし住んでいなければ石井研堂が意図的に記述したのだろうか。工部大学は明治3年には存在していない。ライマンは明治5年に日本にやってきている。鉱山関係の仕事なので工部寮の一部との勘違いかもしれない。

コメント
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