福神漬伝説のなかに河村瑞賢説がある。明治に創製されたので実に怪しい伝説で調べる気も薄く、今日再度資料調査をする。平成22年出版の新川物語には河村瑞賢屋敷が明暦の大火の後新川に屋敷を構え、新川開削と共に水運の便のよい新川付近に急速に酒問屋が林立したと言う。
河村瑞賢の功績の中で日本海運網の確立をしたことである。新酒の輸送競争が海運物流を発展させた。しかし日本船の構造上の問題があって、外洋に出ると天候の異変による船舶の損傷で海難が増えることとなった。このことの資料は石井研堂がよく調べている。アメリカが人道問題を出して自国の権益を増大させるのは今でも続いているがモリソン号に遭難日本漁民を返還する目的で浦賀にやって来たのも人道目的で開国を迫ることだった。ただモリソン号が蒸気船でなかった為、囲い船戦略で目的で果たせなかった。
イメ-ジとして夜の太陽電池、風のないときの風力発電のようなものだった。大きいけれど自然には勝てなかった。しかし蒸気機関ノ黒船は違った。風のない状況で前進や後進することができ浦賀の人たちを驚かし囲い舟戦略が取れなかった。