”Scott Walkerに恋して”MadamSwallowのTeaSalon

スコット・ウォーカーをこよなく愛するSwallowとお茶をご一緒しましょう
自作のアップロードをお茶うけに・・・

遅なりました~。10月組さんプレゼントアップロード❣

2018-10-19 12:04:40 | プレゼントアップ

今回の喉風邪(咽頭浮腫っていうらしい)にはひどい目に遭いました。皆様にもご心配、ご迷惑をおかけしました。

浮腫みは収まったものの咳が残り、夜寝ようとするとコンコン細かい咳が出始め息もできず、とにかく眠れません。

いつもは「おやすみ」と言って5分で眠りに落ちる私が一睡もできないというのは異常事態です。その分昼間休もうとしてもなかなかしっかりと寝られないんです。

一昨日あたりからさすがの咳も衰え始めてやれやれと思うも今度は不眠症に。もともと軽いパニック障害があったので貰ってあった安定剤を飲んでやっと眠れるようになりました。嫌ですねぇ薬に頼るの。でも不眠症って怖いですよ。昼間ほんの10分カクっと眠れた時に見た夢がすんごいの。Scottがストーンズのリハーサル場に現れてなにやら作戦会議みたいなこと始める夢。ミックはまじめな顔してボードの前に立って真剣にScottの話を聞いているし、キース・リチャードもScottの隣に座って煙草をふかしながら熱心に彼の話を聞いているの。当のScottはそれこそ会議室の会議用テーブルを前にしてパイプ椅子に足を組んで座り、熱弁をふるっている。服装がサングラスに白いシャツ、カーキの上着まで覚えてます。今じゃなくてみんな若い頃です。目が覚めてからなんでこんな夢を見たのかわかりませんがびっくりです。
眠れないからとウォークマンを布団の中に持ち込んでみましたが、あれこれ「この曲にはあの写真を使って~」とか考えてるとまた目が冴えてくる~。それに彼の歌はやはり癒されるから聴き入ってしまう。おかげで朝の顔は半魚人みたいです。

まあそんなねむれない夜寝ずに考えた(?W)新作が出来上がりました。

以前から気になっていた1曲です。無実の罪を着せられた移民のSaccoとVanzatti。アメリカでおきた冤罪にアメリカ中が非難をした有名な事件です。当時ジョーン・バエズなどが支援して抗議デモ等で歌ってヒットした曲です。映画「死刑台のメロディー」でもよく知られています。作曲はエンニオ・モリコーネ 1972年The Moviegoer より。

ではどうぞ

 


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28 コメント

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何から書いてよいやら (Erica)
2018-10-19 20:21:06
まずは、kei 53 さん、チャコさん、ようこそ。
思い付くままにコメントを続けていって下さいね。
Erica は変人なので、時々皆様をヒヤヒヤさせることがありますが
悪気は無いので許して下さい。

えー、さて、Swallow さん、10月の誕生日プレゼント曲、しっかりと受け取りましたよ。ありがとうございます。😊
喉風邪の治りがけに無理されたのではありませんか?
ワテ自身としては、リクエスト曲の「I Think 〜」で、もういいですよと
言うつもりでいたのですが、ほかにも10月生まれさんがおられるかも
知れませんからね。
それと、眠れない時は、目をつむって横になるだけで眠った事に
なりますよ。お大事にして下さいね。

忘れないうちに書きます。
以前、必死に探したYouTube 動画のいくつかが削除されてしまいましたね。
あの素晴らしい「Lover’s Lullaby 」の映像も消えてしまい、それが原因か
どうかわかりませんが、5月の終わり頃からMichiko さんのブログ更新がない
事を心配しています。
「Lover’s Lullaby 」を含む、キラ星のような60年代70年代のアーティスト曲をup していたチャンネル自体が、著作権とやらでダメになったのですね。
YouTube の、そういった管理は「AI 」がやっていると、どこかで聞きました。と言っても不完全な「AI もどき」ですが。
たとえYouTube が無くなっても、ほかが有るし大丈夫だーい!

では、またねん!
ひえーっ (swallow)
2018-10-19 21:59:22
Ericaさん
今駆け足で調べてきました。ホントだぁ
えーっなんでよお。Youtube もときどきつまんないことするのね。著作権たってもういい加減立つのにいきなりそんなことするなんてプンプン。
それなら私のブロックされたのもはやく解禁してよねっ
Ericaさんみたいに「ほかのがあるからいいよーだ」って言わなきゃね。
ひとにぎりのふとどき者の為にチェック体制が厳しくなって嫌な思いをさせられるのはかないませんねー
初めて聴きました (湘南うさぎ)
2018-10-20 01:02:05
1972年といえばScottさまもLeeちゃんがお生まれになり、わらすも娘を出産した年です。
「The Moviegeor」はまさにその頃録音されたのですね!
出だしはとてもスッキリとした声ですが途中から鼻づまりの様な声になりますね。
これって、このころの録音された気の乗らない歌を歌わされている時の特徴の様におもえます。
いわゆる、お酒の力を借りて歌っているように思えてなりません。心が痛くて痛くてどうしようもなくなります。どうしてもしつこいですが((笑)ワインのいっぱい入ったバッグを持ってスタジオの隅にいるMetteさんの姿が浮かんで消すことができません。SwallowさんのみたScottとRolling Stonesとのコラボの様な夢のある白昼夢ならどんだけ楽しいだろうに・・。わらすの白昼夢ときたらば夢も希望も無いねぇw

わらすは「Till The Band Comesin」からリアルタイム購入していないので、再会してから、買えるものはすべて買いましたがこれはScott自身が頑なに拒否していたので手にはいりませんでした。でもUKではなくドイツとかヨーロッパの他の国が色々なものとごちゃ混ぜにしてCDを出していたのでとりあえず手に入るものは手当たり次第購入wしたのですがこの曲はそのどれにもなかったわ。
だからこの曲初めて聴いたのね今日!嬉しい!ありがとうSwallowさま♡本当に素晴らしく歌いこなしているのにびっくりです。神様が与えたもうたすごい才能の持ち主。

Swallowさまお体おいとい下さいね。
おやすみなさい。
天才 (swallow)
2018-10-20 16:23:44
湘南うさぎさん
お気持ちよ~~~くわかります。
皮肉にも彼が自分のアルバムのかずに加えないでくれと言ったTill the Band comes in
とこのMoviegeorは彼が一番のっていた頃。
なにを歌わせても素晴らしい声量でした。彼にしてみればこういうベストコンディションだからこそ自分の作りたい作品を歌いたいのに他人の曲ばかり歌わせられて金儲けの道具にされている。悔しかったでしょうね。
だからその心情を考えると聴くのも辛い。
しかしながらなんという歌唱力でしょう!そして彼はどの曲も彼なりにしっかりと歌っています。ヤケでなんて思えません。そこがすごいところ。
このアルバムで1曲だけ私が嫌いな曲があります。たぶん彼も嫌だったんじゃないかなぁ。
”Speak Softly Love"です。確かにニーノ・ロータの名作ですが、どーしてもこれは彼が好んで選んだとは思えない。いかにも商業路線の安直なチョイスと思ってしまいます。これ好きよという方が居たらごめんちゃい。
素晴らしい唄ですね (kei53)
2018-10-20 18:26:25
swallowさん、素晴らしい唄ですね。
感動しています。
scottはビートニク・ケラワック・ベルイマン等で分かるように、社会的な視点を持っていますよね。そしてユーモアもある。中学生の時には彼の唄の詩の意味が良く分からなかったのですが、今彼の歌詞を改めて読んでみると、彼は「詩人」だなと思います。
彼の15才位の唄を聞いても、本当に上手い。いつも上手い。どんな時にでも相手の要求通り歌える。本当に素晴らしいシンガーですよね。
この唄も悲哀に溢れ、詩のストーリーを良くなぞり深い悲しみと共に唱っています。
私はなぜwbにあんなに心を奪われたのかよく考えるのです。
確かにwb(67年解散までの)の唄は他のミュージシャンの音のカバーが多く、それもラブソングが多かったですが、それでもあのストリングスとブラスが一体となったオーケストラを背景にした音でなければ、あんな感動はなかったと思います。
ほんとにゴージャス。wbの音はとにかくゴージャス。そのゴージャスな音に、scottの悲哀さが加わり、重層感がありました。
scottは哀しみと共にいつもそこにいると感じます。昔も今も。それは変わらないようですね。
本当に素晴らしい唄をありがとうございます。
その通り! (swallow)
2018-10-20 21:46:00
kei53さん
WBのサウンドについてのご考察なにからなにまでごもっともです。
ゴージャス!そのとおりです。私前から言いたかった。そう、WBのサウンドはとてつもないほど豪華絢爛でした(笑)これを言うとGaryにほんっとに申し訳ないんだけど、あなたが本格的に上手なドラマーだったらどんなによかったことか!
WBのサウンドにドラムスは必要不可欠です。力強いドラムが命。
重いドラムスの響きにScottのバリトンがちょうどよく合う。Johnのキレのあるハスキーボイスが引き上げる感じ。
GaryじゃないにしろそんなドラムスのおかげでゴージャスなWBのサウンドです。
Garyごめんよう
お返事ありがとうございます (kei53)
2018-10-22 19:50:59
お返事ありがとうございます。
そうですよね。wbの音の魅力はドラムスにもありますね。
ドラムス・太鼓は「いのち」、「ハート」の鼓動です。
とても原初的な。
当時も今もwbは、女の子達の只単なるアイドルのように言われていますが、私は彼らの音が、アイドルグループ以上の実力を持った、彼ら独特の唯一無二の音だったからこそ、あんなに心を奪われたのだろうと思っています。
wbはアメリカから英国に渡った中産階級(scottは上流階級出?)のトリオでしたが、私は当時の英国の女の子達の彼らに対する熱狂の様子を最近youtubeで見て、(まあ、日本の女の子達のヒステリカルな様子も同じでしたが)その「熱狂さ」は、彼ら3人、特にscottに対する若い女の子達の「男性性」故と言われていますが、私は、あの当時の「熱狂」は、特にscottの低音の声が象徴していた「父性」への反応であったように思います。女の子達は、本能的に、直感的に、「自分を守ってくれる大きさ」を「彼の声」に感じていたのではないでしょうか。もちろん、同時に、あのハンサムでメランコリックな若い彼を守ってあげたいような「母性」も、自分の中に感じていたのかもしれませんね。
「いのち」「ハート」に直結した原初的な躍動がwbの音また彼の声により、自然と肉体から解き放された・・・そんな感覚だったのではないかと思うのです。
女の子が訳もなく涙を流し、床に倒れ込んだり、彼らの体に少しでも触りたいと躍起になったりの衝動は、心の奥底の深海から解き放たれた、「他者のいのちとの繋がり」の躍動・衝動だったのだと思います。この点を語った人は、本当にいないですね。(私が知らないだけなのかもしれませんが・・・)

最近、1994年に出たscott本を読んでいるのですが、(英語があまり出来ないから読むのに苦労・・・)そこで、私が一番疑問に思っていた「彼は父親のことをどのように感じていたのか」という質問に対する回答らしきものが書いてありました。「彼が6才(この本では6才となっています)の頃にお母さんとお父さんが離婚。その頃とても両親が険悪で暴力的であったこと。離婚後お母さんがうつになり、scottはそのことで、両親離婚後15年間お父さんに怒りを持っていた」とのこと。scottは若い時から反抗の塊で、学校への反抗も強かったようです。彼の今現在の音に通じる「権威への反抗」は「父なるものへの反抗」だったのではないかと思うのです。彼にとって「父親の不在」は彼の人生においてすごく大きかったのでは、と思います。
彼は、自分の父親不在故に、だからこそ、最愛の母親に対して、自分が父親の代わりになろうと、人よりも早くに自立したのでは・・・と推測します。
自分の父親の不在故に、最愛の母親に対し自分が父親と同じ存在になろうとした男の子に、女の子を夢中にさせる「父性」が備わっていたのは、当然のことだったのかもしれません。初期の彼の声は「父性」そのものです。私はわけもなく涙が出ます・・・。
(長文でごめんなさい)
父性 (swallow)
2018-10-23 18:08:50
kei53 さん
Scottに対してとても深い観察力をお持ちですね。
ほんとに彼が時折見せる寂しげな表情には母性本能を掻き立てられるし、歌声は暖かく包み込むような優しさを感じさせる女の子がずっとそばに居てあげたく、ずっとそばに居て欲しい不思議な魅力を持っているひと。
彼に父性というのは考えたことなかったけれど、私の経験から言うとん十年目に再会してI threw it all awayを聴いた時、それまで心を離していた罪悪感に涙が出たのですが、そんな私を許してくれるような暖かいバリトンに抱きしめられるような(すんません、物投げないで〜)不思議な気分になりました。それは異性というより、まさしく父性という感じ。
彼の父親についてはあまりよく知りませんが、ベティさんのインタビューでは夫婦間というより家柄に合わなかったというような話でした。理由はともあれ、しょっちゅう引越しばかりで家庭が落ち着かなかったのは想像できますね。まだ小さいScottの為にも離婚は避けられなかったのでしょう。ベティさんはScottは時折パパに会いに行ってると話していると言いますが、MLの話なのでどこまで本当かわかりません。
お返事ありがとうございます (kei53)
2018-10-25 10:08:52
お返事ありがとうございます。
今読んでいる本には、彼が60年代半ばwb時代、10代向け雑誌に、彼の特権的なバックグラウンドを表に出すことをためらうことなく、「自分の父親はすごく金持ちなんだ」「石油会社の有力者で」「でも自分に何かしてくれたわけではない」「一度彼が自分に2000ドル貸してくれたことがあったけど、俺はその金を車に投げつけたよ」「彼は狂っているだろう」と語ったと書いてあります。ただし、筆者はこれは本当のことなのか、彼が作り話として語ったのか、「?」だがと書いています。
bettyさんがおっしゃるように、もちろんscottはお父様に会ってはいたのでしょうね。
でも確執は長く続いたんだと思います。そして大人になった時、彼もどこかで父親を受容したのでしょう。scottも離婚している訳ですから。
lee嬢が生まれた72年以降のscottの写真は「父親らしい」写真が多いですね。子供の頃の写真と違ってギスギスしていない。72年~84年あたりの作品は、生計を立てるために作った作品だったのでしょうか?(そんな風に私には思える)
同本によると、「scottはwbのステージに立つ自分に自信がなかった」と書いてあります。これを読んで、私は、「あの素晴らしいscottが自分がステージに立つことに自信がなかったなんて」と驚いてしまいましたが、当時の彼の唱っている時の画像には確かに「照れ」が散見されるので、「自分に自信がなかった」というのはあながち嘘ではなかったのかもしれませんね。あのwb時代の彼に「自信のなさ」があったとしたら、これも「父親の不在」と深く関係したことだったのではと思います。(まあ、すべて私の推測ですが、、、)
あと、おもしろいエピソードで、(もちろんswallowさん始めみなさんは知っているのでしょうが)
「make it・・・」がstonesの「satisfaction」をヒットチャートで抜いた時だったらしいのですが、彼が当時付き合っていたdunfordと一緒に飲んでいた時、jaggerがscottに火をつけたたばこを何本も投げたことがあったらしいです。jaggerはscottにとても嫉妬していたと、garyが語っています。私はRSが音楽的にも好きではなく、jaggerが長い間この音楽ビジネスで生きて来た様子を見ると、このjaggerの意地悪さは「然もありなん」と思いましたが、scottもいい迷惑でしたでしょうね。scottが経験したjaggerのこの事件が、engel作詞「saturday's child」に繋がったらしいですが、私は、wbが解散した理由の一つには、jaggerのような野蛮な人たちがいるロンドンの音楽シーンが嫌になったということもあったのだと思います。でも、wbはもう1年~2年活動して欲しかったな。
swalloさん、またお邪魔しますね。
お返事ありがとうございました。
イサクちゃん (Thecla)
2018-10-31 16:23:10
ずっと前にここに書かせて頂いた祖父母の恩師の長男で、母の幼馴染だった方の記事が掲載されていました。2011 年、母が亡くなった翌年にネットで名前を見つけて、ワシントン大学内の研究室にメールを出し、「あなたが私の母の幼馴染だったイサクちゃんですか?」と書いたら、「そうです。僕がイサクです」と返事が来ました。私が彼の祖母(フランス人、ウジェニーさん)の名前を知っており、綴りまで合っていたので驚かれたようでした。
https://kaikyou.exblog.jp/237115602/

私は兵庫県姫路市生まれです。在籍しているカトリック教会の日本での本拠は姫路市にあります。祖父母がバプテストの洗礼を受けたのは 1930 年頃。外国人神父に聞くと、姫路市に淳心会(ベルギー系カトリック修道会)ができたのは 1947 年だそうです。今でも姫路市ではプロテスタントの方が強いそうです。祖父は日ノ本女学園の校医をしていました。

戦前、その地の小学校の美術の先生をしながら、上野の美術学校に行く資金を貯めていた画家による姫路城の絵があります。祖父が買ってあげた絵の中の1枚です。小さい頃、祖父の家に飾ってあった不気味な2人の子供の絵もあります。祖父が亡くなった時に母が貰ってきた絵ですが、子供ではなく人形の絵でした。戦前、米国が日本の小学校にプレゼントしてくれた人形です。人形は、戦争中に、「敵国のくれたもの」と焼却処分されたそうです。姫路城は、「007 は二度死ぬ」でしたっけ?007 映画の舞台に使われたので有名。世界遺産になり、日本で一番高い(高さではなく、入場料が)お城です。

母にも婚約者がいました。でも、戦争で招集され、戦死する可能性が高かったので、そちらのご両親が話を辞退してきました。祖父は開業医だったので、患者の1人が自分の部下を母の結婚相手に熱心に薦めてきました。それが私の父です。ところが、その婚約者は無事に生還したのです。母が結婚してしまったことを知り、1年くらいお酒を飲んでゴロゴロしていたそうです。そちらの方と結婚していたら、母にとってどんなに良かっただろうかと思います。当然、姉と私は産まれていないワケですが。

母は悲惨な結婚生活の間、幸福だった子供時代・娘時代の思い出の中に生きて、現実を全く顧みようとしませんでした。それで生き延びられたのだと思います。それは2人の娘にとっては怖ろしいことでした。私は小学校3年の時に、「一生、結婚はしない」と決めました。姉は自立する自信がなかったので、大学を卒業するとすぐに結婚し、家には近寄りませんでした。

維作さんは MS-IME をお持ちではないので、メールは英語でやり取り。英作文はしんどいので、猫の他界で鬱病になった頃に、メールのやり取りは途絶えました。次女(ハーヴァード出の秀才)のご主人が脳腫瘍で亡くなり、奥さんの Lensey さんが心配しているとのことでした。母の残した僅かな写真の中に維作さんと思われる男の子の写真があります。

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