どうして、男の子は棒を持ち、女の子はお人形さんで遊ぶようになるのだろうか?
人類がサルもどきの生き物から進化したと言う人、説明してくれ。チャールズ・ダーウィンが正しいならば倫理、道徳、法治、クソクラエ!弱肉強食が自然の理である。サメを見て見ろ、弱ったものを食って海洋の浄化に寄与している。
だから俺は直感的に人間は神さんが創ったと信じている。クドクド説明はしない。解らん人、あなたは解らんのではない、解りたくないだけだ。馬を水場に曳いて行くことは出来るが飲みたくないなら水を飲ませる事は出来ない。
俺思うに、多分男は地球の管理者として創られたのだ。女はその男にインスピレーションを与える者として創られた。実際の処、人類の歴史に産めよ増えよの道具としてだけの女しか存在しなかったら地上世界は実にくだらないものになっていただろう。
随ってノーベル賞も偉大な芸術も全て、実は女の存在の功績である。しかしたったひとつ例外がある、我が家である。こんなオオマカな、感性の目が粗いのと連れ添って極めてデリケートな詩人である俺は若干疲れた。
それを連れて来て俺に与えたのは母だ。お人形さん遊びが嵩じて俺を生き人形として弄くり回して結果俺は社会で通用しないモノになっていた。母が一所懸命に着せた全てのものを脱ぎ捨ててマルハダカから自分を構築し直した、苦しい恥多い思い出したくない人生だった。
ところが、二人の息子達がなんと、あろうことか女に捕まって身ぐるみ剥がされその女好みの衣装に着替えさせられているではないか。ああ、かくて歴史は繰り返す・・・結局ステキな出会いなどと美辞麗句をものして大きなお人形で遊んでいるのではないか?