澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

明日、再放送される「父は、なぜ海を渡ったのか」(ザ・ノンフィクション) 

2011年08月05日 09時27分33秒 | マスメディア

 明日(8月6日)午前11時より、BSフジで「父は、なぜ海を渡ったか」が再放送される。昨年の終戦記念日、フジテレビ系列の「ザ・ノンフィクション」という番組で放送されたものだ。
 今頃になると、先の大戦を回顧する番組がたくさん放送されるが、年々、その内容は変化している。戦争体験者が次第に減少していることから、番組を制作する側にもある種の躊躇と独断が見え隠れする。
 その中では、この「父は、なぜ海を渡ったか」は、とても興味深かった。歴史にif(イフ)はないと言われるが、このドキュメンタリーを見ると、そうとは言いきれない気がする。
 もし(if)、国共内戦における金門・馬祖の戦いで、中国国民党軍が中国共産党軍に敗れていれば、台湾は、国民党ではなく、共産党に”接収”されていたはずだ。だとすれば、「二・二八事件」よりもさらに大規模な虐殺が起こり、台湾は現在の大陸のようになっていたはずだ。もちろん、李登輝氏による民主革命も実現できなかっただろうし、「親日国家」台湾も存在しなかっただろう。
 
 この金門・馬祖の戦役にはせ参じたのが、根本 博・元陸軍中将 ※だった。

※ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%B9%E6%9C%AC%E5%8D%9A

 昨年夏、このブログに書いた感想をここに再録してみたい。

【 今日は終戦記念日。ここまで、TV各局はさまざまな戦争回顧の番組を放送してきた。かなりの番組をビデオに録り貯めたものの、ほとんど見ていないのが実のところだ。
 昨晩は、ドラマ「帰國」が放送された。鳴り物入りの番組だったので、深夜、再生してみたが、私個人の趣味として、こういうドラマは好きではない。それで、早送りにして見たことにした。
 だが、今日、フジテレビ系列で放送された「ザ・ノンフィクション 台湾に消えた父の秘密※は、類似の番組の中では傑出して面白かった。具体的な史実は下記の番組紹介の中に書かれているが、私が気に入ったのは、歴史の多義性、多面性を教えてくれたところだ。
※ http://www.excite.co.jp/News/tv/20100813/Dogatch_10130810556.html

 1945年8月、ソ連軍は「日ソ不可侵条約」を一方的に破り、満州へ侵攻した。それだけでも、重大な国際法違反なのだが、さらにソ連は武装解除した日本軍将兵をシベリアに送り、死に至る強制労働を科した。終戦時、内モンゴルにも多数の日本人、日本軍兵士がいた。内モンゴルの軍司令官・根本博中将は、軍を武装解除させず、蒋介石との交渉に持ち込んだ。その結果、内モンゴルの日本人はソ連軍の魔手から逃れることができた。
 このとき、根本博は蒋介石に恩義を感じたのだろう。戦後、GHQの統制下にある日本から、ある日突然、「釣りに行く」と言い残して、台湾に密航する。それを手助けしたのが明石台湾総督の長男だった。

 (根本博・元陸軍中将)
 
 1949年、根本博・元中将は、廈門(アモイ)の対岸にある金門、馬祖にいて、侵攻してきた中共(=中国共産党)軍と戦っていた。もちろん、国共内戦の一部であるから、根本の活動は中国国民党の公式の戦史に残っていない。
 だが、昨年10月、金門島の「古寧頭戦役60周年」式典で、明石台湾総督の孫が馬英九総統と対面する。馬総統は「台湾へようこそ」と日本語で話しかけたという。

 この金門、馬祖の戦役に参加したのは、大陸から逃れてきた中国国民党の兵士ばかりだ。1947年、この国民党軍は、無抵抗の台湾人二万人を虐殺する「二二八事件」を引き起こした。その後、彼らは台湾の占領者として君臨し、48年間もの間、独裁政治を続けた。ちなみに、民主的選挙で選ばれた馬英九総統本人も、中国国民党に属し、外省人の一人である。
 それ故、日本統治時代を経験した台湾人(本省人)から見れば、根本・元中将の行動は、賞賛すべき事績とは言えないのかも知れない。だがもし、国共内戦で中共が台湾まで制圧していれば、現在の民主化した台湾は、絶対に存在しないはずだ。根本の行動は、間接的に台湾人にも影響を及ぼしたことになる。現在、台湾(国府)軍の公式出版物に根本・元中将の活動が写真入りで記録されるようになった。

 考えてみれば、旧・満州国においても、根本と蒋介石のような奇遇があったに違いない。しかし、中共の歴史抹殺によって、すべては闇に葬られてしまった。中国共産党に不都合な歴史は、人民に教えられることはない。封印された「偽満州国」公文書には、思いがけない史実が記されているに違いない。

 多分、戦後、根本・元中将と同じような行動をとった人がまだ何人もいるのだろう。彼らは、戦後においてもなお、アジアの解放を夢見ていたのだろうか。最も有名なのは辻政信※だが、彼は1961年、東南アジアに休暇旅行をすると言って行方不明になった。
※ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BE%BB%E6%94%BF%E4%BF%A1

 根本博は、台湾に密航するとき、家族には「釣りに行く」と言い、釣り竿を持って出かけた。その後、何年も経って、彼はその釣り竿を片手に台湾から帰国した。家族にさえ、真の目的を話さず、黙って戦乱の地に赴く。そして、蒋介石の「恩」に報いた後、また黙って帰国する。こういう気骨ある日本人は、もう絶え果ててしまったのだろうか。】

台湾・金門島の人々から"戦神"と呼ばれる日本人とは...

8月15日(日)14時から放送のザ・ノンフィクション『父は、なぜ海を渡ったのか』では、台湾・金門島で今も"戦神"として語り継がれるひとりの日本人の生き方に迫る!

太平洋戦争の末期、当時、蒙古軍司令官だった根本博・陸軍中将は、終戦を迎えた後も武装解除命令にそむき、攻めてくるソ連軍に対し、あらゆる手を尽くして戦う。その結果、内蒙古在住の日本人居留民4万人は、ほとんど無傷で日本に帰国することができた。このときに協力したのが国民党の蒋介石だったといわれている。

昭和24年、蒋介石への恩義に報いるべく根本は、毛沢東の中共軍と戦い敗走を続ける国民党軍を助けるために、宮崎・延岡から釣り人に変装して台湾に密航。台湾国民党軍の軍事顧問として台湾の金門島で3万人の人民解放軍を迎え撃つ作戦を立案し、1万の兵力で撃退する。根本は、「中共軍が上陸して古寧頭村を占領した場合は村ごと焼き払ってしまおう」という国民党軍の作戦案に対し、「それでは村人が犠牲になってしまう」と主張し、村の北側から沿岸に向かう一カ所を開け、そこへ中共軍をおびき出して、海岸沿いまで移動させ陸と海から挟み撃ちにするという作戦を提案する。その結果、村人も救いながら中共軍を降伏させた。

昨年10月に行われた「古寧頭戦没60周年記念式典」には、根本中将の渡台計画にかかわった人物の家族も出席。これまで根本の存在を否定し続けてきた台湾政府が、初めて根本が金門島の戦いに関与していた事実を認めた。フジテレビのカメラは、この歴史的な瞬間を撮影した。番組では、ジャーナリストの門田隆将氏とともに、当時を知る軍関係者や村人を探し出し、証言をもとに根本中将の人物像に迫った。また、当時、根本中将とともに戦った戦友たちが遺族に残した貴重な資料から、日本と台湾の封印された知られざる歴史をひもといていく。

演出を担当した森憲一は「古寧頭戦役60周年という節目の年に、歴史が動いた瞬間を目の当たりにしました。「戦争の真実」は、記録だけがすべてではないということも同時に実感することができた取材でした。今の東アジア情勢を見て、根本博元陸軍中将ならきっと「国を超えてやるべきことがある」と言うだろうと思います」と語る。

ザ・ノンフィクション『父は、なぜ海を渡ったのか』
2010年8月15日(日)14:00~(フジテレビ系)


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