創作欄 チェーホフの影響

2017年01月02日 21時48分50秒 | 創作欄
2013年3 月 8日 (金曜日)

あれほどドストエーフスキを信奉していたのに、徹は23歳の時期からドストエーフスキに息苦しさを感じ始めていた。
自分が目指す方向は別にあるのだと思いはじめていたのだ。
きっかけはチェーホフを知ってからだ。
自分の感覚はドストエーフスキよりチェーホフに近いことを認識した。
「かれ(ドストエーフスキ)は、疑いもなく、大きな才能だ。しかし、ときどき感覚に欠けるときがある」とチェーホフは個人的印象を記していた。
わずかそれだけの印象であり深く論評しているわけではないが、チェーホフの印象に注目したことで徹はドストエーフスキに違和感を抱き始めていた。
つまりドストエーフスキの病的な側面である『常人を超えたような』非日常的な作品の人物像を受け入れ難くなったのだ。
「医学の勉強がぼくの文学活動に重大な影響をもっていることは疑いありません。医学の勉強はぼくの観察をいちじるしく広げてくれましたし、さまざまな知識でぼくをゆたかにしてくれました。作家としてのぼくの医学知識がもっている真の価値は医師であるひとだけがわかってくれるでしょう。それらの意識は決定的な影響をもっています」
「自分の知恵だけで何でもわかると思っている連中の仲間に入りたくもありません」
「ぼくが生き、考え、闘い、悩むとしたら、それはみな、ぼくの書くものに反映します」
「小説は回想してこそ書けるのです。ぼくは、過去のことを回想してしか書けないんです」
「現代の文化は―偉大な未来のための仕事の端緒なのです。遠い未来において人類が本当の神の心理を認識するために、ドストエーフスキのなかに神を推測したり求めたりしないでも・・・」
「この世は平静であることが必要です。ただ平静な人だけが事物をはっきり見ることができ、公平であることができ、はたらくことができるのです」
思えばドストエーフスキの作品の世界は平静な空間ではないのだ。
つまりドストエーフスキの世界観が、徹を平静な日常生活から遠避けるように思われた。
徹はチェーホフの言葉をノートに書き留めながら、ドストエーフスキの影響から脱していきたいと念じ初めていた。
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