花・伊太利

日々の生活に関する備忘録です。

はだかのもうもう

2017-03-27 21:01:39 | Weblog
 「はだかのもうもうがゐるよ」。牧場で牛を見た3歳の男の子が母親に発したこの言葉に北原白秋は心を動かされと、評論家・川本三郎さんは「白秋望景」(新書館刊)に書いています。白秋は幼児の言葉を次のように評しています。「片言のやうではありますが、この中にどれだけの無邪と愛情と憐愍とがありますことか。ああ、裸のもうもう、空は晴れ草は幽かに青みそめても、まだ風は寒かつたでせう。さうしてその田舎の景色もその幼い者には何ともいへず珍しく感じられたでせう」。牛をみて裸だとは思う大人はほとんどありません。白秋が子どもに見て取った無邪をして「はだかのもうもう」の言葉が出てきたものと思います。「白秋望景」では、近所の子どもがどんな植物でも葉っぱはみんな葉っぱと言うことに対して、白秋が「私はつくづく檜の葉とか蕪の葉とか分類しなければならぬ大人の智慧を耻じた」ことも紹介されています。枠にはまった大人のものの見方では見えてこないものを、子どもは見ることが出来、白秋はその子どもの目をいくらか羨ましく思っているかのようです。ただ、今になって大人の私たちが枠にはまらない子どもの目でものを見ようとしても、作為的であればどこかわざとらしさが出てきてしまいます。いい年になった大人に出来ることは、ふと囚われないものの見方をした時、例えば牛は裸だといった、そういう瞬間を逃さずすくい取って、驚きの感度を失わないように努めることでしょう。サクラの開花が聞こえています。これからは自然が躍動感を持つ季節です。自然を新鮮な気持ちで見る中で、自分の中にまだ子どもの目が残っていたかと気づける、そんな嬉しさを待ってみたいです。