あらたまのよもやま話

ツイッターのまとめブログ。@tiorannesをよろしく。

政宗は目を隠し、現代人は口を隠す。

2014-02-21 22:41:35 | インポート

2月も下旬となり、インフルエンザの流行は終焉に向かっているようですが、

今度は花粉症の季節になってきます。ということで、マスクを着用する人が多い季節です。

今週、こんな記事がありました。

「伊達マスク」すっぴん隠しで人気 ファッション化が拡大するマスク市場 (産経新聞) - Yahoo!ニュース

従来マスクといえば、病気にかかった人が、その病気を他人にうつさないために着用するというのが当たり前だったのですが、

最近では、病気の予防だけでなく、防寒・保湿・さらにはすっぴん隠しまで、様々な用途があるそうです。

確かに、インフルエンザなどの病気にかかっている人が、それを他人にうつさないために着用するマスクは必要だし、

そういう人は是非着用をお願いしたけれど、そもそもそんな人は外を出歩いてはいけません。

外出するにしても病院に行く程度とし、基本的には自宅で安静にして過ごすべきです。

(ただこれから花粉症の季節になると、花粉症ぐらいで自宅療養するわけにはいかないので、その辺が難しいところです)

だから、本来であれば、街中でマスクをしている人は、花粉症の人を除けば、外を出歩けるほどの健康状態の人であるはずです。

ならばなぜわざわざマスクを着用するのか。

私はマスクをすると息苦しく感じるため、あまりマスクは着用したくない方なので、

そのリスクを超えてまで、なぜマスクをするのかが理解できません。

街中で、マスクをせずに咳やくしゃみをしている人がいて、

その人から自分を守るためにつけているという人がいます。

それはその人に問題がありますが、その人と四六時中一緒にいるわけではないし、

そこまで警戒しなければいけないのだろうかと思います。

今の世の中、やはり他人は信じられないですよね。でも自分がよければそれでいいんですか?

その最たる例が、コンビニとかの接客業に従事している人の中にも、

マスクをつけながら接客をしている人がいることです。

高級なホテルとか、レストランとかで接客業をしている人の中に、

マスクをしながら接客をしている人がいますか?

多分外しなさいと指導が入るはずです。

コンビニの店員にそこまで求めるなという人もいるかもしれませんが、

接客業である以上同じだと思います。

口元を覆って表情が見えないというのは、接客業にとってマイナスになることしかない。

病院で感染症と隣り合わせで勤務している人や、

食品工場など、衛生面で特に気をつけないといけない環境にいる人なら仕方ないけど、

コンビニのレジの横においてある、おでんにつばが飛ばないようにとでも思ってるのでしょうか。

それならおでんにふたをすればいい話だし、そもそもあんなところで調理をするというのが違う気がします。

従業員のマスクの着用について、コンビニの本部では指導とかしないのでしょうか。

是非していただきたいものです。

保温にしても、保湿にしても、すっぴん隠しにしても、共通しているのは

「自分を守るため」という目的。

本来他人に迷惑をかけないためにするはずの行為が、

自衛のためにかわってきているというのは、悲しいものがあります。

そんなに日本人は自己中心的になってしまったのでしょうか。

ちなみに、マスクを着用するという習慣は欧米ではあまりみられません。

別に地域伝統の習慣というわけでもないし、変なイメージを持たれたら損だと思います。

風邪の罹患率などにそこまでの差はないように思うのですが…


ちゃんとスポーツとして見てますか

2014-02-14 23:36:02 | インポート

ソチオリンピックまっただなかでございます。

私は普段スポーツを見るとすれば、年に2~3回、近所のナゴヤドームに野球を見に行く程度で、

あまりテレビとかで熱心に観戦するタイプではないので、

今回のオリンピックの結果についても、報道などで知る程度です。

 

ところで、冬季五輪で行われるようなウインタースポーツは、

オリンピックでもない限り普段見る機会すらない競技も多数あります。

一方、今年の夏にはサッカーのワールドカップがありますが、

サッカーは日本にもJリーグがあるし、海外のクラブチームで活躍する日本人選手も増えてきました。

中継される機会、または実際に観戦できる機会も、ウインタースポーツに比べて格段に多いです。

よく、そういうサッカーの試合を日常的に観戦する生粋のファンの方が、

ワールドカップの時とか、日本代表が試合をするときだけ盛り上がる

「にわかファン」やマスコミに苦言を呈することがあります。

でも彼らにそんなことを言っても無駄だと思います。

彼らはスポーツとしてあれを観戦しているわけではないし。

(本当にスポーツとして観戦しているのなら、普段から色んな試合をみているはず。)

彼らにとっては、日本人の誰かが海外の舞台で戦っていること自体に価値があるのであって、

ジャンルは何でもいいんです。

スポーツに限らず、映画や音楽の賞を取ったとか、大きな発見をしたとか、何でもいいんです。

今はそれが単にオリンピックだった、というだけの話です。

 

ただ、冬季オリンピックには、「日本人選手が!」という気持ちが露骨に出てしまう競技が1つあります。

それがこれ↓です。

「公平なジャッジを」という主張を見かけたフィギュアスケートファンの方々へ - Sinonのメモ帳っぽいもの

そう、フィギュアスケート。特に女子の浅田真央選手とキム・ヨナ選手との対決です。

この稿で、筆者は技術的な面から、「公平なジャッジ」がどのようにして行われているかを論じておられますが、

私はこれに対してこうコメントしました。

 このコメントには、多くの方からスターを頂きました。ありがとうございます。

特に相手が、最近何かとネット上でも、政治上でもいろいろある韓国の選手ということで、燃え上がっているのだと思いますが、

彼女たち2人にとっては、お互いライバル関係であるかもしれないけれど、

まるで国同士の代理戦争みたいな感じになっているのはいただけないと思います。

韓国が、他の競技にどれぐらい出ていて、どの程度日本人選手とバッティングしているのか知りませんが、

競技以外のところでヒートアップするのは、選手にとっても良くないと思います。

(なので浅田選手にはこの件がつきまとわって煩わしいので、個人的には今回は村上佳菜子選手を応援したいと思っています。)

 

そういうメンタリティがあると、結果を出せなかった選手は、必要以上に責任を背負い込むことになります。例えば

ソチオリンピック Yahoo! JAPAN - 6位完敗、長島「申し訳ない。旅費を全部払いたい」=ソチ五輪スピードスケート(スポーツナビ)

という話とか、

申し訳ない気持ちでいっぱい…高梨沙羅選手帰国 : スキー : ソチ五輪2014 : 五輪 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

という話とかになってしまうのです。

 それに対して

 

結果不振選手批判はブラック企業の論理 - 為末大学 - ソチ五輪2014 : nikkansports.com

という、今までの風潮に異を唱える意見も出始めています。

日本のマスコミを含めた観客は、選手に「日本を背負っている」という感覚を持たせるのではなく、

もっと「自分自身のため」という気持ちでプレーできるように、応援した方がいいと思います。

選手のプレーを通じて、自分の願望とか、関係ないことを託したりしないように、

そのためには、純粋にスポーツとして競技を楽しむことが重要なのではないかと思います。

ただ…2020年には東京でオリンピックが開催されるわけで…

地元開催となると、ますます今までの風潮が助長されるような気がします。

その頃日本の政治とかがどうなっているか分からないけど。


中の人など……いた!

2014-02-08 10:19:57 | インポート

拝啓 小保方晴子様

その後研究の方は進んでおられるでしょうか。

といってもまだあれから1週間しか経っていないから、成果も何もないと思いますけど。

あなたの周りにたくさんいたマスコミも、今や他の所に行っているのではないかと思います。

ある人はソチに、ある人は東京での1cmの積雪のために街に出て、

またある人は、ある河内守を探していると思います。

今後は心静かな環境のもとで、充実した研究生活を送られることを祈念します。

敬具

 

ということで今週は、平成も26年になって、河内守を名乗る人物が騒動の渦中にありました。

先日摂津守の人が、摂津と河内と和泉を統合すると言って、

そのために住民の意見を聞きたいといって自ら辞職して、

また選挙に立候補すると言いだしました。

摂津と河内と和泉を統合するなら、なぜ摂津の人の意見しか聞かないんだとも思うのですが、

河内守としてそのへんどうなんですかね。佐村さん。

 

…ってその河内守じゃないし。というか名前の切るところ間違ってるし。

 

前置きが長くなりましたが、その河内守さんには影武者がいました。

本来影武者は表には出てこないものですが、今週その影武者が堂々とマスコミの面前に立ち、

「自分は18年間河内守の影武者をしてきましたが、もう限界です。」

みたいなことをいきなり言いだしたので、

世間ではまるでその河内守さんが最初からいなくなったかのような雰囲気になっています。

この河内守さんの仕事は、もちろん河内国を統治することではなく、

クラシック音楽の制作を仕事としているとされていましたが、

その実務もほとんどこの影武者がやっていたと、その人は言っています。

 

なぜその人の発言をきっかけにして、手のひらをひっくり返すようなことをするのだろうか。

普通こういうもめごとの類は、両者の言い分を聞いて、初めて第三者が判断するものだと思うけど、

今の状況は、影武者こと新垣氏の言い分が全て真実で、佐村河内氏の主張が全く聞き入れられないまま、

CDの販売も配信もコンサートも中止、広島市民栄誉賞も取り消しとか、

着々と佐村河内氏を社会から抹殺するように進められている。

本当は佐村河内氏に弁明の機会があるといいのだけど、

元々精神疾患もあるようで、しかも目にも異常があってあまり明るいところには出て来れないようだし、

どこかに引きずり出されて、フラッシュを思いっきりたかれて、

怒涛の質問攻勢を浴びせられると、どうなってしまうか分からない。

「今は表に出られる精神状態ではない」というのは、矢口真里的な気まずさもあるのだろうけど、

そういう面で責任が取れないというのもあるのだろう。

そういうことで、新垣氏の主張だけで話が進んでしまうことは、残念なことではある。

 

佐村河内氏は、耳が聞こえないとされていたことから、「現代のベートーベン」と言われることもあったが、

それでは本物のベートーベンはどうだったんだろうということになる。

ベートーベンの代表作といわれる、「英雄」「田園」「運命」「合唱付き」などの交響曲は、

彼が難聴に苦しみ、その絶望感から「ハイリゲンシュタットの遺言」といわれる遺書を書いた後に発表されている。

おそらく歴史の闇に消されて出てこないとは思うけど、

あのベートーベンにもゴーストライターがいたということも考えられなくもない。

他にも例えば、シェイクスピアは本当は複数の人間によるペンネームだったという説がある。

本当かどうかは諸説あるようだけど、

「ウイリアムシェイクスピア」がいいのなら、「佐村河内守」でもいいのではないかと思う。

ただそれを、あたかも1人の人格として認識させていたことは問題があるけれど。

 

今はCDが売れない時代といわれている。

AKBグループがCDに握手券をつけて、その握手券のおかげでCDの市場が回っている状況だ。

それについての問題点は別の機会に譲りたいと思うが、

クラシックのCDなんてそれよりもずっと売れない。

一方で「物語」の受けがいいことは、今なお小説や映画・ドラマなどで時に爆発的なヒットを出す作品があることからも分かる。

そこで音楽の背景に「物語」をつけるという手法は、

AKBよりも前のモーニング娘。の時代から(もしくはもっと前から)行われている。

今回の佐村河内守氏を売りだす際にも、この手法が使われた。

耳が不自由、原爆二世などという要素をもって、彼の「キャラクター」は作られていった。

「くまもん」にも「ふなっしー」にも、ディズニーランドのミッキーにも、

中に人が入っていることは公然の秘密となっている。

ただその「キャラクター」を守るために、中の人は決して表には出ない。文字通り「影武者」である。

本来ならば、彼は表に出てくるべき人ではなかった。

黒子に徹して、「佐村河内守」のキャラクターを守るべき立場にあった。

なぜこのタイミングで公表したかということについて、新垣氏は、

ソチオリンピック高橋大輔選手が使用する楽曲に当該楽曲があり、

終わってから公表するとトラブルの種になると思った」

と言っているが、そんなことで得点が左右されたり、獲得したメダルが剥奪されるようなことがあったら、

それはIOCとか、しかるべき場所に抗議してもいいと思う。

というか、影響するなら、その曲を選んだ現時点でバイアスがかかっていると思う。

「高橋選手には迷惑をかけた」というけど、これぐらいのことでメンタルが動揺するようであれば、

オリンピック選手としてどうなのという気がしないでもない。

彼は過去にもオリンピック出場の経験があり、男子フィギュアスケートの選手団の中では最年長で、皆を引っ張っていかなければいけない立場なのに。

ということでそれは理由にならないと思う。

それではなぜ公開したのか。「物語」の新しい展開を期待したのだろうか。

それは新垣氏の境遇にもある気がする。

彼の肩書は「現代音楽家」ということらしい。そして音楽大学の非常勤講師。

今まではそのかたわら、佐村河内守氏のゴーストライターとして勤めてきたけど、

色々と、それだけで食べていくのに限界が来たのだろう。

あまちゃん」の音楽で知られる大友良英氏も、本業は現代音楽家。

しかし、「あまちゃん」をはじめとしたドラマや映画音楽を作ることで知名度(と安定した収入?)をあげ、

それが彼本来の活動にもフィードバックされていると思う。

そういう器用な立ち回りが、新垣氏にはできなかったのかもしれない。

今はベートーベンの時代のように貴族のパトロンなどいないから、

クラシック音楽の作曲だけで食べていくのは大変なのではないかと思う。

そういう意味では音楽業界の悲劇とも言える。

 

そういえば天野春子さんは、鈴鹿ひろ美さんの落ち武者(違)をやっていたことを、

決してメディアの前ではばらさなかったんだけどな。

 


STAP細胞は私のごはんじゃない

2014-02-01 09:36:28 | インポート

おはようございます。

プロフィールにも書いたとおり、私は文系一筋30年以上。

数学はともかく、理科とはほとんど縁のない生活をしてきました。

なので、さきごろ発見されたSTAP細胞というのも、話には聞くけどよく分かりません。

あれを発表したのが、30歳の女性研究者ということで、研究以外のところで注目を浴びて、

報道関係の皆様へのお願い

なるプレスリリースを、やたらと女子力の高い(?)HPで発表する事態にもなっています。

言いたいこともわかるけど、あんまり専門的な話をしても、ついて来れる人は少ないわけで。

もちろん過度の野次馬根性は自制すべきではあるけど、(家族や近隣住民に迷惑をかけるのは問題外だけど)

あのHPを見る限り、本人もまんざらこういうのが嫌いではなさそうな気がする。

もしどうしても嫌なのなら、海外の研究所で研究を続けるという手もあるし。

それよりも、個人的には、小保方さんというあの名字は初めて聞く珍しい名字で、

どこが起源なのかということの方が気になる。

彼女は千葉県松戸市出身で、「マツドサイエンティスト」と言われているらしいけど、

松戸は典型的な東京のベッドタウンなので、もっと先祖をたどれば他の地方から来た人なのかもしれない。

という方向に個人的な関心は向くわけで。

 

理系の人は、研究者という職業が成立して、これほどではないにしても、

研究成果を発表することにより、どこかの大学や企業などの研究所に就職して、研究者として生活していくことができる。

文系の各分野においてそれができる場面は、理系の分野に比べると極めて限られる。

例えば私は大学で日本史を専攻していたが、在学中から、将来研究者になることは諦めていた。

両親(ともに理系出身)からも、大学を出たら研究者や学芸員になればと言われてきたけど、

採用枠が極めて少ないことは私で分かっていた。

「それでもやりたい!」という人なら別に構わないけど、私はそれよりも一般社会に出て働きたかった。

その一般社会に出て働くという目標は一応達成されたけど、世の中が悪いのか、自分の行いが悪いのか、

自力で食べていくこともままならない現状なので、

研究者の夢を追い求めていたとしても一緒だった気がしないでもない。

私には商売で生計を立てている親戚がほとんどいないので、ビジネスに関するDNAが備わっていない。

(理系の人には、「そんなDNAなんて存在しない!」と言われそうだけど。)

そんな私が資本主義社会である今の日本社会で生きていくのは難しいだろうと、

両親はその辺も見越してそう言ってくれたのかもしれないけど、

実る可能性の低い研究に時間をかける気力がそもそもない。

仮に研究者になろうとして、大学院に進んでしまったら最後、

大学で教べんをとる椅子がなくて、仕方なく一般企業に進路変更をしようとしても、

履歴書で院卒の字を見た時点ではねられるという話はよく聞く。

なので、人生の選択として、これでよかったと自分では思っている。

でもたまたま、理系の勉強ができたら、たとえビジネスの才覚がなかったとしても、

世の中で食べていけるのに対し、

文系でそれが難しいというのは、不公平といえばそうなんだろう。

だから、今季節的に、文系か理系かで悩んでいる学生さんがいるとすれば、

迷わず理系をお勧めする。

「迷える」という時点で、理系に進む余地があるわけで。(私には迷う余地すらなかった。)

就職にあたっては、文系理系関係ない分野の方が多いけど、理系の方が選択肢は広がる。

本当は、理系分野と文系分野がバランスよく発展して、お互いが相乗効果を高めて社会を発展させることが理想なんだけど、

少なくとも今の日本ではそうなっていない。