あらたまのよもやま話

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東日本大震災から3カ月

2011-06-11 00:00:00 | インポート

東日本大震災から3カ月にあたり、自分の気持ちを整理するためにも、久しぶりに長文を書いてみたいと思います。

まず、被害にあわれた皆様には、心からお見舞いを申し上げます。
といっても、私は震災後現地に入ったことはありません。
数年前に、仙台や松島、石巻を訪問したことはあります。
いつかは三陸海岸でつながるローカル線に乗って、八戸まで行ってみたいと思っていましたが、
それが実現するのはいつになるかは分かりません。
ということで、心がこもっていないように見えるかもしれませんが、ご容赦ください。

初めにはっきりと言っておかなければいけないことは、地震、そして津波は天災であるということです。
このことに関して、誰かを責めても始まらないことだと思います。
地震は前触れもなく訪れます。予知する技術が全くないわけではないようですが、
事前に完全な対応をすることは不可能です。
津波に関しても、今回は日本一の堤防と言われた堤防までもが崩壊しています。
「想定外だった」なんて言い訳にすぎないといいますが、費用対効果を考えなければいけません。
そんなに津波が怖いのだったら、日本中の海岸という海岸において、30mの防波壁を設置しなければいけませんが、
それはあまりに現実離れしています。

なので、こういった災害は起きてしまったら、その後どう行動するかということが課題となると思います。
人間は生きるためなら、その時考えられる最善の事をすると思います。
もちろん個人の力では限界があり、それが事細かに報道されることはありません。
しかし、個人ベースでは、皆さん自分なりに、生活の再建に向けて働かれていると思います。
それでいいと思います。むやみに感動的な話を提供しようとして、人のプライベートに踏み込む態度は、
ほめられたものではありません。

前述のとおり、私はまだ現地入りしたことはありません。
何かしなければという心にかられて、むやみに現地入りしてはいけないということもありますが、
名古屋に住んでいる私にとって、現地入りする時間もお金もありません。
なので報道によってしかその内容を知ることはできません。
私は、阪神淡路大震災のときに京都にいました。
京都ではほとんど被害という被害はなかったのですが、同じ関西の神戸がああいうことになって、
それで近年まれにみる災害だったこともあり、報道も過熱しました。
しばらくは、新聞を見ても、テレビを見ても、阪神淡路大震災のことばかり。
それ以来、「震災報道」というものにトラウマがあり、
今回の震災に関しても、積極的に情報収集をしているわけではありません。
ただ、今回の報道が阪神淡路大震災と違う点は、一つは、当時と違い、ネットメディアが発達したということ、
もう一つは地震・津波だけでなく、福島の原発の事故という新しい要素が加わったということだと思います。
実際、最近の報道では、震災や津波のニュースよりも、原発関連のニュースが多いと思います。

原子力ということについて、過去に日本では広島・長崎の悲劇があり、
同じく原発ということについては、チェルノブイリの事故という前例があるために、
恐怖心を感じている人も多くいます。
福島の原発事故の直後は、その状況に関しての情報が多くもたらされましたが、
中には「これはデマだから、拡散しないように」というものも多く含まれていました。
しかし、今になって、当時デマとして扱われてきたことが、現実のものだったということが明らかになってきています。
そうなると、もはや何を信じていいのか、分からなくなります。
むやみに不安をあおってはいけないと言いますが、こういうときは常に最悪の状態を視野に入れて行動しなければいけません。
もしメルトダウンしていたら、どうするかということを考えておかなければいけません。
地震と違って、人間の力である程度災害を未然に防ぐことはできますが、それでも限界はあります。
自然は、人間の思いもよらないパワーをおこすことがあります。
それは、人間であれば誰もが想像しえない、もしくは想像したとしても実際に行動する前に理性が制止するものです。
そこにおいて、「想定外だった」というのはあり得る話で、
それを叩く人は、「ならばあなたなら想像し、行動することができたのですか」と逆に問い返したい。
そして事態の収拾をお任せしたいと思います。

もっとも、福島の原発事故をきっかけに、「原子力はもはやエネルギー源として利用できない」という風潮が高まっていますが、
福島よりも震源に近い女川原発においては、福島ほど深刻な事態は報道されていません。
それが逆に、とても報道できないほど事態が深刻で、手のつけようがないというのならともかく、
一定の成果を上げているのなら、なぜそこから学ぼうとしないのかと思います。
当地でも、一説によると菅総理の思いつきにより、浜岡原発が現在停止中ですが、
再開するのであれば、女川原発から地震・津波対策について学んでほしいと思います。

そういうことで、これからは自然エネルギーを活用し、原発に頼らずにやっていこうという話があります。
それはそれで大切な話ですが、自然エネルギーにしても以前からあったもので、目新しいものではありません。
原子力か、自然エネルギーかという選択の中で、当初は原子力を選んだのですから、
それがダメだったから自然エネルギーにシフトしようというだけのことにすぎません。
火力も水力も原子力も自然エネルギーも、メリットもあればデメリットもあります。
それらの長所をいかし、短所を克服して、エネルギーを得ていかないと、人間は生活していけません。

最後に、政治とのかかわりについて書きたいと思います。
今まで書いてきたように、今回は地震に津波、原発事故と、有史以来最大の危機が日本に迫っています。
これほどの国難に対処した経験は、聖徳太子や織田信長でもありません。
従って、前例もマニュアルもありません。すべて過去の人生経験、または過去に日本人が作ってきた法律、
これらに依って物事を進めていかなければなりません。
しかも今は同僚の政治家、野党、マスコミだけでなく、一般市民からも多数の意見が寄せられます。
これらの多くの意見を集約し、一つの方向に持っていくことは至難の業だと思います。
被災地の復興支援を1日も早くしなければいけないことはもちろんですが、
公平性も確保しなければいけないし、他にも調整しなければいけないことはたくさんあります。
先日、自民党などが内閣不信任案を出して、国会で否決されましたが、
何か「自分ならこうする」という具体的なプランがそこにあったのでしょうか。
そしてそれは本当に実現可能なものなのでしょうか。それならよかったのですが。
そういったいわゆる「菅降ろし」といわれるものは今に始まった話ではありません。
毎年のように首相が辞めさせられ、今回も菅総理が退陣表明をすることによって事態の収拾が図られました。
誰かがトップの座を退き、それで事態が好転した例が今まであったでしょうか。ということを念頭に置き、
その人が辞めた後のビジョンを具体的に構想してから行動していたでしょうか。
まず「××降ろし」ありきで、後のことには責任を持たないという態度はなかったでしょうか。
そういうことを、政治家やマスコミの皆さんはよく考えてほしいと思います。

今までいろいろと書いてきましたが、被災地の方は無理に笑顔を見せなくてもいいです。
「がんばろう」という掛け声もありますが、それは例えばうつ病の方には言ってはいけないといわれています。
なので私はそのようなことは言いません。
日本中から、何千億といわれる義捐金がすでに集められています。
公平で効率的な分配をするためにまだ検討中で、実際まだあまり届いていないようですが、
それが届くころには、金銭的な余裕も少しは生まれるかもしれません。
できることを、自分のペースでやる、これが基本だと思います。
私たちはいつまででも待っています。