横山大観『海潮四題・秋』(1940年、足立美術館蔵)
『海潮四題・秋』は、やはり皇紀2600年を記念する展覧会で「海に因む十題」の一点として出品されたものである。その後行方不明になっていたが、10年前にようやく発見され、足立美術館のコレクションに加えられた。
雄渾な富士の連作と比べて、ここで大観が描いた海は、優しい。白波を立てて打ち寄せた水は、にわかに砕けて波打ち際へと広がり、浜千鳥の足を濡らす程度のことぐらいしかしないだろう。われわれは昨年、海というものがときには牙をむき出し、大勢の人の命を奪い去ってしまうものでもあることを、いやというほど思い知らされたばかりである。
それに比べたら、この海の穏やかさは胸にしみいるようだ。「富士山の画家」たる雄々しき大観のもうひとつの側面が、ここにあることを忘れるわけにはいかない。彼はのちに英霊をしのぶモチーフとして海を選んだふしがあるが、まだ戦争に突入する前に描かれた『海潮四題・秋』は、純粋な海の情景にほかならないように思える。
この絵はどこの海岸を描いたものかわからないが、日本海側の北陸に生まれたぼくとしては、やはり太平洋にちがいないと思う。遠くの水平線と空との境界が曖昧で、融和しながら彼方に消え去っていってしまうような描写は、無限の空間の広がりを感じさせる。
けれども日本はこの翌年、太平洋の向こうの国と争いをはじめることになる。そのことを考えると、あくまで静穏な海原の情景は、嵐の前の静けさでもあったのだろうか。大観はそのことに気がつきながら、この絵を描いたのだろうか。
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参考画像:横山大観『或る日の太平洋』(1952年、東京国立近代美術館蔵)
敗戦から数年を経て、大観が改めて取り上げた太平洋は、先の絵とは似ても似つかないものに変貌していた。
海面は不気味に盛り上がり、激しい波が頭をもたげる。その陰から姿をのぞかせているのは、決して勇ましいとはいえない一匹の竜である。
この絵が描かれた1952年は、日本がGHQの占領下から抜け出し、独立を果たした年にあたる。戦後間もなく大観は司令部に呼び出され、尋問を受けたあげく、戦犯容疑は不問に付されていた。けれども、かつてあれだけ戦意を鼓舞する役割を演じたこの老画家の胸中には、きたるべき新しい時代に向かって自分を奮い立たせるものは何も残っていなかったのではないか。
晩年の傑作ともいわれる『或る日の太平洋』だが、近藤啓太郎はこの絵についてこう述べている。
《簡略化したものと細密化したものとが随所に混じり合った破綻だらけの絵で、何か破れかぶれになって描いているような気配もある。これを日本のシュールリアリズムと評した批評家がいて、大観は子供のように喜んだというが、それはあまりの見当違いに出会ったときの驚きにも似た、飛躍的な感情によるものであろう。》(『大観伝』)
押しも押されもせぬ巨匠・横山大観の胸の内が、実は無残に引き裂かれていたのが眼に見えるようである。
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