あまりにも広範な部門から出品された展示品に、まんべんなく言及する余裕はない。なかには、地球儀やコンパスなどの道具類、刀剣や銃などの武器、ダイヤモンドを惜しげもなく使った装身具など、純粋な美術品とは呼べないものもかなりの数にのぼる。しかし実際に観てみると、これがなかなかおもしろく、ついつい長居してしまったのである。
暇を見つけては美術館に出かけるぼくであるが、博物館に足を向けることは少ない。日本では美術館と博物館が峻別されているからである。しかしドイツ語では、英語と同様にどちらもMuseum(ムゼーウム)という。今回のように、鑑賞を目的としたいわゆる芸術作品と、実用に供するために作られた道具や衣装などを一緒に観ていると、目くじら立てて両者を区別することがナンセンスに思われてくる。どちらにも、人間の生活を潤すために考えぬかれた工夫と努力、そしてその精華があるではないか。そこにはひとしなみに“美”の精神が横溢しているとさえ、ぼくはいいたいのである。
しかし日本という国では、もともと茶の湯のための道具であった茶碗を“美術品”と呼んで美術館に収蔵する一方で、土器や土偶は博物館行きと決まっているようだ。ここに、ある種の視野の偏りのようなものを感じなくもない。それはともかく、この文章が「美術随想」である以上、やはり美術品について、それも絵画にしぼって書いてみたいと思う。
*
ヴェネツィアを描いたカナレットの風景画、いわゆる景観図は、以前からよく目にする機会があった。定規で引いたような直線を駆使した建物の描写、それと対照をなすように思い思いに運河に散らばるゴンドラのさざめき。それらが遠近法にのっとって、画面の奥に向かって見事に収斂していく気持ちよさ。そんなものを、カナレットの絵から感じる。
カナレットの甥にあたるベルナルド・ベロットという画家のことは、今度の展覧会を観るまでまったく知らなかった。彼はカナレットの弟子として、伯父の制作態度をつぶさに見てきたはずであるが、のちにヴェネツィアを去り、ドレスデンやウィーン、ワルシャワなどの宮廷に仕えて生涯を送ったそうである。彼はしばしば、みずからをカナレットと名乗ったため、偉大なる伯父と混同されることがよくあったらしい。だが展示されていたベロットの風景画は、カナレットのものとは作風が著しく異なっている。
『ヴェローナのアーディジェ川』は、特に見事な一枚だった。会場にあった作品だけで単純に比較すると、ベロットはカナレットをはるかに凌ぐ大画家ではないかという気がしたほどである。『ロミオとジュリエット』の舞台としても有名なイタリアの古都ヴェローナを大きく蛇行しながら横切る大河は、細かいさざ波の上に両岸の家々を映しながら、焦らず騒がずのんびりと流れていくようだ。直線状に切りひらかれた運河とはちがうのである。
画面の中央奥には、小高い丘に古城が建っているのが見え、さらに丘の麓からは支流が小さな滝となってそそいでいる。まるで現実に川のほとりに立っているかのような錯覚を呼び起こされるが、これが実はいろんな場所の景観を寄せ集めた架空の風景だということをきかされると、驚かずにはいられない。
*
ベロットがドレスデンにいたころに描いた、エルベ川を中心に据えた風景画も何枚かあった。土地柄のちがいだろうか、運河を挟んで家々が向かい合うカナレットの絵とは相当の隔たりがある景色だ。ベロットは川の向こう岸に都市の景観を、こちら岸には自然の地形がありありと残る風景を、ひとつの画面に対照的に描き分けている。
なかには、建築中の教会を描き込んだものもある。塔のまわりに足場が組まれているさまは、現代の工事現場さながらだ。それは都市化していくドレスデンの象徴のようにも見える。しかしエルベ川のこちらでは、釣り糸をたれる人がいたり、犬と戯れる人がいたり、あるいは牛が散歩していたり、のどかな田舎の暮らしがつづけられている。
この絵もやはり、いくつかの異なる地点から見た風景を一枚に寄せ集めた、現実にはあり得ない眺めだったかもしれない。しかしいずれにしても、ベロットがキャンバスの上に描き出したドレスデンの景観は、都市と自然とが同居し、大河の滔々たる流れともども見事なバランスを保って調和しているのである。
しかし大戦末期の無差別爆撃で、ここに描かれた家々の多くは破壊された。3年前の豪雨では、穏やかなエルベの流れが濁流に豹変し、容赦なく街に流れ込んでいった。ドレスデンは二重の復興を課された、悲劇の街なのだ。ベロットの絵を宮殿の上階へ運び上げた市民たちの目に、そこに描かれた古きよき時代のドレスデンの風景は、いったいどんなふうに映ったことだろうか。
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暇を見つけては美術館に出かけるぼくであるが、博物館に足を向けることは少ない。日本では美術館と博物館が峻別されているからである。しかしドイツ語では、英語と同様にどちらもMuseum(ムゼーウム)という。今回のように、鑑賞を目的としたいわゆる芸術作品と、実用に供するために作られた道具や衣装などを一緒に観ていると、目くじら立てて両者を区別することがナンセンスに思われてくる。どちらにも、人間の生活を潤すために考えぬかれた工夫と努力、そしてその精華があるではないか。そこにはひとしなみに“美”の精神が横溢しているとさえ、ぼくはいいたいのである。
しかし日本という国では、もともと茶の湯のための道具であった茶碗を“美術品”と呼んで美術館に収蔵する一方で、土器や土偶は博物館行きと決まっているようだ。ここに、ある種の視野の偏りのようなものを感じなくもない。それはともかく、この文章が「美術随想」である以上、やはり美術品について、それも絵画にしぼって書いてみたいと思う。
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ヴェネツィアを描いたカナレットの風景画、いわゆる景観図は、以前からよく目にする機会があった。定規で引いたような直線を駆使した建物の描写、それと対照をなすように思い思いに運河に散らばるゴンドラのさざめき。それらが遠近法にのっとって、画面の奥に向かって見事に収斂していく気持ちよさ。そんなものを、カナレットの絵から感じる。
カナレットの甥にあたるベルナルド・ベロットという画家のことは、今度の展覧会を観るまでまったく知らなかった。彼はカナレットの弟子として、伯父の制作態度をつぶさに見てきたはずであるが、のちにヴェネツィアを去り、ドレスデンやウィーン、ワルシャワなどの宮廷に仕えて生涯を送ったそうである。彼はしばしば、みずからをカナレットと名乗ったため、偉大なる伯父と混同されることがよくあったらしい。だが展示されていたベロットの風景画は、カナレットのものとは作風が著しく異なっている。
『ヴェローナのアーディジェ川』は、特に見事な一枚だった。会場にあった作品だけで単純に比較すると、ベロットはカナレットをはるかに凌ぐ大画家ではないかという気がしたほどである。『ロミオとジュリエット』の舞台としても有名なイタリアの古都ヴェローナを大きく蛇行しながら横切る大河は、細かいさざ波の上に両岸の家々を映しながら、焦らず騒がずのんびりと流れていくようだ。直線状に切りひらかれた運河とはちがうのである。
画面の中央奥には、小高い丘に古城が建っているのが見え、さらに丘の麓からは支流が小さな滝となってそそいでいる。まるで現実に川のほとりに立っているかのような錯覚を呼び起こされるが、これが実はいろんな場所の景観を寄せ集めた架空の風景だということをきかされると、驚かずにはいられない。
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ベロットがドレスデンにいたころに描いた、エルベ川を中心に据えた風景画も何枚かあった。土地柄のちがいだろうか、運河を挟んで家々が向かい合うカナレットの絵とは相当の隔たりがある景色だ。ベロットは川の向こう岸に都市の景観を、こちら岸には自然の地形がありありと残る風景を、ひとつの画面に対照的に描き分けている。
なかには、建築中の教会を描き込んだものもある。塔のまわりに足場が組まれているさまは、現代の工事現場さながらだ。それは都市化していくドレスデンの象徴のようにも見える。しかしエルベ川のこちらでは、釣り糸をたれる人がいたり、犬と戯れる人がいたり、あるいは牛が散歩していたり、のどかな田舎の暮らしがつづけられている。
この絵もやはり、いくつかの異なる地点から見た風景を一枚に寄せ集めた、現実にはあり得ない眺めだったかもしれない。しかしいずれにしても、ベロットがキャンバスの上に描き出したドレスデンの景観は、都市と自然とが同居し、大河の滔々たる流れともども見事なバランスを保って調和しているのである。
しかし大戦末期の無差別爆撃で、ここに描かれた家々の多くは破壊された。3年前の豪雨では、穏やかなエルベの流れが濁流に豹変し、容赦なく街に流れ込んでいった。ドレスデンは二重の復興を課された、悲劇の街なのだ。ベロットの絵を宮殿の上階へ運び上げた市民たちの目に、そこに描かれた古きよき時代のドレスデンの風景は、いったいどんなふうに映ったことだろうか。
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