〔京都国立博物館のファサード〕
「中国」という国に対する日本でのイメージは、最近とみに低下しつつあるように思われる。かつてはよく耳にした「中国四千年の歴史」などといったキャッチフレーズは、タブーになったかのように使われなくなってしまった。最近テレビで報じられるのは、またどこそこの“パクリ”をやらかしたとか、日本の観光地や電気街を中国人が闊歩してお金を落としていくとか、シリアの武力弾圧停止を求める国連安保理で拒否権を行使したとか、そんな話ばかりである。
先日、京都のある美術館で絵はがきを300円分買おうとしたら、店員が指を3本突き出して「スリー・ハンドレッド」といったのには仰天した。思わず「日本語わかりますけど」というと、その人は「ごめんなさい、最近中国の方ばっかりで」と平謝り。中国人が日本の文化に接してくれるのはいいことかもしれないが、自分まで中国人の一族と間違われるとなると、あまりいい気持ちはしない。
だが、日本絵画が中国からの強い影響を受けていることは動かしようのない事実である。あの雪舟も中国に留学し、水墨画を研究していた。南宋時代に活躍した牧谿(もっけい)という画僧の絵は海を渡って日本に多く流入し、わが国の国宝に指定されているぐらいである。
その一方で、近代の中国でどういう絵が描かれているかということは、ほとんど知られていないのではなかろうか。もっと新しい時代の、火薬を使った現代芸術家・蔡國強(さいこっきょう)の活動ぶりが少しばかり伝わってくる程度だ。正直にいうと、ぼくも中国の絵画など過去の遺物であるかのように思い込んでいたふしがあって、最近はどんな画家がいたのかなど関心の外であった。
京都国立博物館で開かれた「中国近代絵画と日本」は、そんな盲点を少しは埋めてくれるのではないかという期待をもたせてくれた。ぼくはかつてここの平常館(今は建て替え工事中のため閉館)で斉白石(せいはくせき)の絵を何枚か観たことは覚えていたが、近代の中国の美術に触れるのはそれ以来のことだった。
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斉白石『宋法山水図』(1922年)
展覧会の構成、中国人画家と日本人との交流などについては省かせていただいて、あくまで印象に残った作品についてぶつ切りの感想を書く。斉白石は1864年生まれ、1957年没。日本でいえば、横山大観とほぼ同世代である。先ほども触れたように、ぼくには二度目の出会いとなる。
斉白石はまた、中国のピカソなどと称されているそうだ。ぼくにいわせれば、いったいどこがピカソなのかわからないが、そんなことをいっているうちに、とんでもないニュースが今日になって流れた。彼の絵が昨年落札された美術品としての最高額を記録し、ピカソの値段を上回ったというのである。
だが、先週ぼくが彼の絵を観ていたときには、これがピカソに匹敵する絵だとはとても思わなかった。『宋法山水図』は、あの有名な桂林の風景がもとになっているらしいが、福井出身のぼくには東尋坊にしか見えない。
なるほどよく眺めてみれば、いびつな立方体を幾重にも重ね合わせたような造形は、ピカソふうといえなくもないだろう。われわれが古い中国の山水図から受けるような深山幽谷のイメージはなく、何といっても突兀たる岩山の頂上にプレハブのような一軒家がちょこんとのっかっているところが、すでに違和感を覚えさせる。
ただ、画面の下に描かれている奇妙な“幹のない樹木”の表現には驚かされた。まるで触手を伸ばす原始生物のように、観る者の背筋を凍りつかせる不気味さがある。“不気味な山水図”というのは、雪舟が中国から持ち帰った水墨画の奥義のなかにはなかったにちがいない。
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