てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

焼けなかったコレクション(4)

2010年07月08日 | 美術随想

岸田劉生『二人麗子図(童女飾髪図)』(1922年)

 泉屋博古館にもう1枚あった麗子の絵というのは、麗子がもうひとりの麗子の頭に髪飾りをつけるという、奇想天外な情景を描いている。『二人麗子図(童女飾髪図)』という作品である。

 もちろん、これは実際にあり得ないできごとだ。麗子は単なる愛娘ではなく、ひとつのモチーフだといったが、まるで静物画を描くときに果物や瓶をあれこれ並べて構図を練るように、麗子を2人並べてみたのかもしれない。劉生に『壺の上に林檎が載って在る』というタイトルの絵があるが、それに倣っていえば『緋毛氈の上に麗子が二人載って居る』ということになろうか。

 この絵は1922年3月21日に仕上げられたことが年記からわかるのだが、左側の麗子は1か月前に描かれた『麗子住吉詣之立像』とほとんど同じ顔をしている。ということはその絵をいわば粉本とし、麗子には新たに立ち膝のポーズを取らせて、2人としたのかもしれない。立ち膝でやや前かがみになるというのは、長時間維持するのがもっとも困難な姿勢のひとつではないかと思うが、それに耐えた麗子は画家の娘として立派だと思うし、劉生は親としてひどい奴だなとも思う(もし麗子が本当にポーズをしたのなら、の話だが)。


参考画像:岸田劉生『麗子住吉詣之立像』
(1922年、個人蔵)


                    ***

 複数の人物像を描くために同じモデルを繰り返して描くというのは、他の画家もおこなっていることらしい。以前、神戸にある小磯記念美術館に出かけた折、9人もの女性が登場する『斉唱』という絵はたった2人のモデルを使って描かれたのだとスタッフから聞いたことがある。

 なるほど、そういわれてみればいくつか似た顔があるような気がしないでもない。だが、これとこれは同一のモデルだと特定することは難しい。全員が共通の制服を着て、譜面を手に歌を歌うという同じ行為をしている群像表現であるから、ひとりひとりのちがいは顔の表情によってのみあらわし得る。小磯はごく少人数のモデルを使いながらも、顔の向きや角度や髪型を微妙に変えることによって変化をもたせ、あたかも9人の女学生が集合したように見せかけたのだ。この名画は人物表現に長けた小磯の職人的な技量で作り上げられた、いわば力わざの一品なのである。

 (岸田劉生の記事のなかに小磯良平の話を挟み込むのは唐突かと思ってずいぶん迷ったのだが、今ちょうど小磯記念美術館で劉生の展覧会が開かれていることがわかった。これも何かの導きだろうか。その展覧会を観れば、また新たな劉生の記事が書けるかもしれない。また兵庫県立美術館では、神奈川から来た麗子像と『斉唱』とが“競演”しているという。関西では観る機会の少ない劉生絵画を、今年は堪能できそうだ。)


参考画像:小磯良平『斉唱』
(1941年、兵庫県立美術館蔵)


                    ***

 けれども、考えすぎでなければ、ひとつの絵に2人の麗子が描かれているのは、彼女が微妙な年齢にさしかかっていたからかもしれない。1914年4月に生まれた岸田麗子は、このとき8歳の誕生日を迎える直前である。ぼくには姉妹がいないのでわからないが、そろそろ自分が女であることを自覚し、わが身を美しく飾ることに目覚めはじめる年ごろではなかろうか。

 とすれば、いつまでもお仕着せの毛糸の肩掛けでは満足できないはずだ。劉生にとって麗子は絵のモチーフにすぎないかもしれないが、麗子はひとりの少女としてすでに成熟をはじめている。自分の見栄えを気にすることが親離れの第一歩とするなら、彼女はいつの間にか父親と関係ないところで、みずからの生を歩もうとしているのである。

 さすがの劉生も、そんな娘の変わりように気づいたのではあるまいか。これまでの、おとなしく座っているだけの麗子は、もはや自分の手の内から離れようとしているのだ。

 髪を飾りつける能動的な麗子と、されるがままの受動的な麗子。ひとりの娘を裏と表から描いたこの絵は、画家としての人間観察の深遠さと、父親としての素直な戸惑いを余すところなく伝えているような気がする。

つづきを読む
この随想を最初から読む


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。