てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

イメージの系譜 ― 江戸絵画を横断する試み(10)

2006年11月22日 | 美術随想
余白について その2





 そこに存在しているのに、あえて描かないということ。それが余白の本質だとすれば、絵を観る側にも想像力が求められることは必定である。文学をよく理解するためには「行間を読む」ことが大切だ、とはよくいわれることだが、それにならっていえば「余白を観る」ことが日本の絵画を味わう大きなポイントであるかもしれない。

 円山応挙の『懸崖飛泉図屏風』(プライスコレクション、上図)は、画面の半分以上が余白で占められているといっても過言ではないだろう。この屏風は右隻が四曲、左隻が八曲という左右非対称の形をしていて(上・右隻、下・左隻)、注文主の家の構造に合わせたものだといわれているらしい。つまり、部屋の角に立て回したということであろうか。このたびの展覧会でも、右隻と左隻が90度の角度になるように展示されていた。なるほどこうやって置いてみると、描かれた風景は平面を抜け出し、はるかな奥行きをともなって立体的に浮かび上がってくるようにも感じられる。

 ところが冷静に眺めてみると、右隻の景色と左隻の景色はつながっているわけではない。それなのになぜ、目の前に広大な風景が出現したように見えたのだろうか。ここにこそ、余白の魔術があるように思われるのである。

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 右隻には滝が描かれているが、滝壺は岩陰に隠され、流れ落ちた水の行方は描かれていない。手前のほうにはまだ若い松が生えていて、その根もとに橋がかかっているのをみると、水の流れはその橋の下をくぐっているのかもしれない。しかし何しろ、具体的なことはいっさい描かれていないのだ。

 ふと左隻に目を移すと、そこにはさらに大きく育った松の木が生えている。そして松の枝が斜めに差しかかる下を、薄青く着彩された川がくねりながら流れているのに気がつくのである。そのときぼくたちは、右隻と左隻との断絶を飛び越して、右上の垂直な滝から左下の滔々たるせせらぎまで、ひとつの大いなる水の流れを一望したような感覚をいだかざるを得ない。

 これはひとえに、描かれている風景が霧か霞のような余白で寸断されているからだといえるだろう。そこに水が描かれていないからこそ、観る者は自由に水の流れを想像することができるのである。ましてやこの屏風が平面に並べられるのではなく、ある程度の角度をもって立てられたとき、見えない川はいつの間にか屏風を飛び出し、部屋の中を流れはじめるといっても過言ではあるまい。

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 このような一種のトリックは、応挙にとってお手の物であったようだ。兵庫県の北部、日本海にほど近い真言宗の大乗寺は、通称「応挙寺」などと呼ばれ、応挙とその弟子たちの手になる165面もの障壁画が残されているという。ぼくはそこへ出かけたことはないけれども、以前大阪で開かれた展覧会でそのごく一部を観ることができた。なかでも『山水図』(下図、部分)は、部屋の三方の襖を使って見事なパノラマを描き出している。



 部屋の片隅から流れ落ちた滝は、川となっていったんは画面から消えるものの、ふたたび別の面に海となってあらわれる。まるで畳の下を水が流れていったかのような、あるいは畳そのものが水面(みなも)であるかのような、何とも壮大なからくりが仕組まれているのである。応挙のケタ外れの構想力のすごさを、改めて思い知らされないわけにはいかない。彼は部屋の畳すらも、大きな余白として利用したのだった。

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 しかし一方で、応挙は写生画の名手でもある。彼は、これ以上ないほど写実的な滝を描いたこともあった。『大瀑布図』(相国寺、下図)がそれである。画家は真正面から滝と向き合い、流れ落ちる水の勢いや、激しくうねる波しぶきまで、まことに精密に描き尽くしている。まさに迫真の描写というべきであろう。ただひとつ注目すべきことは、ここではまったく余白が使われていないということだ。



 この絵は、応挙のパトロンのために描かれた。その人物は寺院の門主であったが、庭に滝がないことを嘆いていたらしい。そこで応挙は、まるで本物かと見紛うほどの滝の絵を献じ、恩義に報いたのである。その絵は、実際に滝が流れ落ちているように見せるために、庭の木からつるされたという。

 余白を駆使して雄大な空間を感じさせるのではなく、絵自体を巨大な滝そのものとして ― 滝の全部ではないが、少なくともその一部として ― 応挙は描いたのである。余白の魔術師とは裏腹な「リアリスト・応挙」の真骨頂が、ここにあるといっていいだろう。しかしそのためには、幅が1メートル44センチ、縦が何と3メートル62センチという、お化けのような掛軸を描かなければならなかったことは、付け加えておいたほうがいいかもしれない。

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