延長線上

ワンピースの感想が終わり、延長線上はまた一つ延長して、なにやら分からんブログへ・・・

自粛の中心で思うに至る

2020年05月01日 | 日常
引き続き自粛中ですね。

最近、米を炊くようになりました。
それまで、週に3日病棟勤務、週に3日学校、週一日の休みは学校の課題をやる、もちろん学校、仕事終わってからやっても、みんなで協力しても間に合わないから週一の休みも課題で消える。そんな4年間ほどを過ごしていまして、家事をする時間もないので炊飯ジャーが壊れてからは米を炊かなくなりました。幸いにコンビニでおにぎりは百円くらいだし、サトウのごはんもおいしいし安いし、一人暮らしの寮住まいの狭い炊事場では釜を洗うのも大変だからと考え米を炊かなくなりました。それがこの部屋の生活では当然の選択のように思っていました。しかし、コロナ自粛で、学校、仕事はなく私は毎日部屋にいて、切迫してやることがないので、晴れいれば布団を干し、朝顔を洗い、軽く掃除する(以前の生活では顔を洗う時間も惜しんで寝てた。)。洗濯を回して米を研ぐ。父が2年前に送ってくれた米なので、古米中の精鋭、黒い米びつなのかそんなものが付いているものがたくさんありますし、全体的に透明感がなくなった白いのもあったりで、それをとるところから米研ぎが始まります。3合をざるに取り、めぼしいものを取り、ひっくり返し、また取り、ひっくり返しと繰り返しながら10分ほどすると50粒くらいを除去してそれから米を洗います。
 うちの父は米のとぎ方にうるさく、帰省しても娘にはさせません。父が言うにはとぎ汁から白いものが出なくなるまで何度でも洗う。それから少しにがりを入れると古米でもとてもおいしくなる。と教えてくれました。私は帰省時その話を聞いて、そんな時間あるわけない、と心の中で苦笑いしたものですが、今はその言葉を頭の中で反芻させながら米を洗います。古い米なので10回くらい洗ってやっとうっすら白濁するくらい。父のように几帳面ではないので、これくらいなら及第点と米を乾かします。
 ご飯を食べる1時間前くらいに米を水につけ20分、それから炊飯を開始する。
 そんで私の全くおいしくないおかずを食べながるわけです。(おかずも作ることがある!!)
 
 米を研ぎながら、私はこんなこともできていなかったのか、主食を準備するということもできない生活って正しいのだろうか、他の人はどうだろうか、これは人生を送るうえで当たり前に行えないといけない行為なのではないか、仕事、学校、課題に追われ私は人生の質をないがしろにしているのではないか、そんな風に考えながら米粒を眺めていました。

この自粛中、ツイッターのタイムラインでも完全に自粛しているのは私くらいで、私は人生でこれ以上ないくらいつぶやいているようで、古くからの友達が「てんさんがタイムラインにいると休みなんだなあと思う」と言ってました。友達は私の忙しさも知っているし、2日に一度2,3回、つぶやいていた私の無職さを軽蔑するわけでもなく、私の思わぬ休みに付き合ってくれているわけですが。これも見た時やっぱり忙しかったのかもな、と思いました。

コロナ自粛は私にとって価値のあるものになりそう。勉強も好きなこといっぱいできて楽しいです。

 ちなみに炊飯ジャーを買ってはいませんので、先日なんとなくサーモスのお米が炊ける魔法瓶を3500円くらいで買いました。小さいので洗いやすいですが、米はたいして美味くはないですけど、私には相性が良いのか高頻度で活躍しております。圧力鍋もあるけれど、これまた洗うには炊事場が小さすぎる。
 2年前に父が送ってくれた米ももう少しでなくなりそうです。

昨日岡村隆史のオールナイトニッポン聞いてました。矢部が抜けてからあんまり雰囲気が好きじゃなかったし、忙しくて聞かなくなったんですが、聞けるようになりました。で、昨日のっていう。失言の後だから聞いちゃおと思う程度の底辺リスナーでもあるわけですが、
矢部の公開説教は鬼気迫るものがありとても怖かったですね、自分にも身につまされるものがあり、かわいそうさんになってる、とか、逃げ癖ができてるとか、偉くなって誰にも怒られんようになったから仕事にも出てきてるからこういう発言になった、とか、まーまー深夜放送を聞くようなリスナーって一人で聞くだろうし、多くは独身やら夜勤という職場の中の底辺にいる人だったりするだろうしよ。えぐるえぐる。
でも、結婚やら子育てやらをちゃんと発達段階をこなしている矢部と女性にもてあそばれてトラウマを抱えた時と変わらない岡村では、意識や認識の差が如実に出た放送でもあった。30年ちかく同じ場所で仕事をしてきた二人がこうも差が出るとは恐ろしい人生選択。
問題発言やらアンチ矢部になった人もいるらしい「結婚したら」も女性への不信感をこじらせているがゆえに、女性を軽視し蔑視する態度に繋がってるという指摘は正しい。誰か一人を大切にして、それを通して自分をアップデートしてほしいということなんだろう。たしかに女性でひどい目にあったなら飛び込んでみるのはいい。結婚や女性は岡村を人格者にするためのものじゃない、その指摘もわかる。でもそれは赤の他人から赤の他人に向けての指摘として正しいが、深くお互いを知っている間柄では通じない意見ではないかと思う。愛の意味やその価値を疑う人はいないでしょ。愛が内包しているものが多い。看護の世界でも愛なんて文言は出てこないのよ。概念としてザルすぎて、便利なワードではあるし、無形過ぎて伝わらない。具体性がないしね。でも、絶対的で不動のものと言えばこれしかないんじゃないだろうか。岡村にかけているのは愛だったわけだけど、矢部がぶつけてきたものも愛で、持っていなければ人として危ういのよ。私も持っているとは思ているけど、不安になったから家の中整理整頓してくるわ。なんか、コンビはいいなとおもったけども、ナイナイは本当にもうダメなのかもしれないと思ってもしまった。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする