延長線上

ワンピースの感想が終わり、延長線上はまた一つ延長して、なにやら分からんブログへ・・・

前回、前々回と

2008年08月25日 | Weblog
前回、前々回と、ブログから消去した内容に、

家族について、家族の死について、ふるさとについて
の内容を記載しました。
いずれも真実であり、その中で記載した、
「どちらが捨てられたのか」について
その続きを書くに至ります。

「母が死ぬ」といことが現実味を帯びてきた、
ということを姉からの手紙で知った時
手紙はすでに旧住所からの転送であり、期限はすでに4ヶ月過ぎたこと、
そして後8ヶ月で二度と向こうから連絡が取れなくなる状況でした。

私は手紙を一通送り、二度とそちらに手紙を送らぬこと、
そして親を愛さぬ子などいないことを便箋一枚に殴り書きのように書きました。

それから2ヶ月くらいが過ぎたのがおとといでした。
私は小さな島で18になるまですごし、
島の外の世界も好きでしたが、一番好きなのはやっぱり島でした。
本土に来て暮らすようになると、島の雰囲気とはまったく異なり、
帰ることの無い島の環境は忘れていったのですが。

ここ数日、秋の気配を感じ、空の青さと体を過ぎるさらっとした強い風に
島を思い出して、何をすることなく数秒、
心地よくて、つい風を浴びていました。
そのとき思ったことは
私はこうしてたまに島の懐かしさに触れ、離れた寂しさを思い、
過ごすだけなのですが、
母や他の家族は私が残したものや様々な記憶に触れながら生活しているのだと思いました。
そう思うと、捨てられたのは私ではなく、私以外の人達であったのだと
正しい答えに触れ
今の私は、死を現実味に感じる母とその家族に申し訳なく思い一時的に感傷的になり泣きました。
そして、私は家族の死に直面することを回避した
頼りならぬ人間になったのだと思いました。

この日記が書き終われば、家族を縁が遠いだけというただの一人の人間に戻り
今の私の周りの人間が誰も知らない「私の家族の死」を口にせず、顔にも出さず
仕事に戻ろうと思います。
コメント
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