延長線上

ワンピースの感想が終わり、延長線上はまた一つ延長して、なにやら分からんブログへ・・・

釣りをした後日の話

2017年05月13日 | 資格
釣りをして七日間が過ぎたわけですが、
学校も仕事をあるし、夜釣りに行くタイミングは合ったけども行けなかったんですが
その間も私は一定のラインに到達するまでに発揮される寝食を忘れて没頭するという悪い癖を発揮し
本を読み、頭でっかちにして行き、経験と照らし合わせ、分析をすることで知識の土台を作り、それを糧にして新たな
頭でっかちをして、経験を積み、という貪欲さを発揮し驚くスピードで、ある一定のラインまで上達していくわけですが

この間の釣りは天候に恵まれて良かった
手取り足取り丁寧に教えてくれる人で良かった
突然現れたちんちくりん女を受け入れて色々面倒見てくれる家族にあえてよかったとか
魚を釣りながら、よい凪の海と、釣竿と海を眺めている所を思い出しながら
あったこともない祖父と、その祖先と、若い頃の父や叔父たちと対話したような
三島由紀夫が白い馬で例えたようなものを、私は見たような気がするのだけれど
同時に、自分が孤独であることを強く認識したような気がする
すげえ辛かった結婚生活やすげえ苦しんだ思春期やそれ以降の間の抜けた幸福や創作をしながら生きてきた自分の人生の中に
感情というものが大きく欠落しているのを感じた、ような気がする
私がこだわらないということにだわる、感情を浪費せずになるだけ穏やかに過ごす、
30歳での離婚を機に、ほとんど使わなくなった感情が使わなくなったから機能しなくなっていく、廃用症候群になっていたのだな
昔はもっと怒って悲しんで、悔しくて、とかやってたんだけど、それに疲れてやめたら、使えなくなっていたんだな

そんでそれは一見いいような気もするけど、実際それが機能しないのはそれはそれでおかしなことで、
持って行くなちゃいけない感情が自分の中にもともとなく、
それは傍目からはわからない大きな欠落であることをになんだか気が付いてしまって
突然思いついたように自殺する人ってこういう人なんだなと思いいたる

私の友達のうちは、その子供が遊びに来てて、私がすでに先にその人のうちで先にあそんでいても
なんら驚くことなく「よーてんちゃん久しぶり~」と話し、さらにその子供達は知らない大人がいるだけで別に普通に過ごし
晩御飯の時間になったら一緒に食べるという流れになるし
釣りを教えてくれた人のうちは、私が釣りに来ることを知っていて、誰かというのもわからなくても、釣りの生徒の一人という前提で話をはじめ、色んなことを教えて話して、親戚の中で情報が密にされており、
家族や親族ってこういう事なんだと思い、
その人たちがお互いのかかわりの中で、いらだったり、しょうがないと諦めたり、何度も同じことを言わなくてはいけない事などそういうちょっとしたやりとりを私は体験したことあったかなと思い始めたりして
なんだ、私は本当に何も持ってないんだな、と思ったんだよなあ

最新の画像もっと見る

コメントを投稿